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40で死にたい私と。

「長生きはしたくないなー」
と電話越しに彼は言う。続けて
「70.80くらいで死にたい」と。

結構生きるやないかいと心の中でツッコミながら、

「私は50も生きていたくない
 年金もらう前に死にたい」 

と言ってみた。本当は40くらいで死にたいというのが本音だ。彼はええと驚きの声をあげる。

仮に人生が40年程度だったら。
たまに考える。 
20代の私はもう人生の折り返し地点。であれば、やりたいことをやって、たくさん旅行に行って、美味しいものをたべて、見て感じて考えて、悔いのないように生きたい。

そう思える気がする。

しかし今や人生100年時代。
途方にくれそうになる。
あとどれくらい苦しい思いをしなきゃいけないのだろうかと思ってしまう。先のわからない未来を見通しながら生きていかなくてはならないのが辛い。

大きくて真っ黒い私の不安。

「さすがに50は短いよ」

しまったなと思った。いつもはこんな正直に生死観の話をしないのに、最近メンタルの切り替えがうまくできずについ彼に本音を吐露してしまった。通話越しにひかれている気がする。

「子供とかペットとか残すものがいたらもうちょっと生きるよ」

私は彼にフォローなのかなんなのかよく分からない言葉を紡ぐ。  

「じゃあおれが一緒にいる」  

「あれ私今プロポーズされた?」

「しちゃったかも」

あはは。と少し笑う。 
いろんな感情が入り混じって
自分の情緒が分からない。
手放しで喜べない自分がいて、どうして私はこんなにひねくれているのだろうと思う。

“今”生きるのが辛いと思う私に生を強制させる言葉はあまり効果的ではない。体力もりもりの人とマラソン大会に出て、私はヘロヘロなのに相方は「僕と走ってるから楽しいでしょあと10キロ走ろう!」と言われている感じ。

分かっている、彼の言葉にそこまで深い意味はない。私がバットに入りそうなのを冗談で止めてくれている。彼の情緒はいつも一定で、優しいのだ。

果たされないかもしれない淡い未来の話。

分かることは
私達はまだ、あおくて
何も知らない男女だということだけ。


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