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こころにうつりゆくよしなしごとを そこはかとなくかきつくれば あやしうこそものぐるほし…

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こころにうつりゆくよしなしごとを そこはかとなくかきつくれば あやしうこそものぐるほしけれ

最近の記事

自分の幽霊

20代半ばで鬱病になり、入院した その時の理由も人間関係だった 何もかもがどうでもよくなったが、でも死にたくはなかった オセロの駒を一つ返すだけで、盤上の色がざらっと変わるように 全てをひっくり返したい 私は勝ちたかった 自分を否定する全てに 退院後主治医が止めるのも聞かずに、転職して東京へ出た 今考えたらかなり無茶な話である まあなかなかに地獄のような転職当初だったが、気が付いたら持ち直していた 持ち直した状態で結婚し、出産し、引越しをして子育てをし、今

    • 扉の取手

      いまさらですが ここ数年、軽めの鬱だったんだと思う 「鬱病へようこそ」と書かれた扉の取手を握って、少し開けては閉め、開けては閉め、を繰り返し、結局は中に入らずに扉を背にして座り込んでる状態だったなあ、と 実は、これまで繰り返しているパターンがある 「ここが私の居場所」と感じるような思い入れのある居場所ができる ↓ そこで何かしらの役割を得る ↓ 誰かに疎まれ、役割や居場所を全て失う まあ全てはなるようにしかならんし、誰かだけを責めるつもりもないんで、私にも至らぬ点が

      • オプション

        いろんなものを手放そう 性別不詳にみせるための努力 「格好良い」と言われるための痩せ我慢 どれだけ抗っても この身体から丸みのある曲線が消えることはなく 年齢を重ねることでそれが余計「無理なこと」になってきた 昔から男になりたい訳ではなかった ただ「女であること」を殊更主張することが嫌だった いや、ほんの15年くらい前まではそうでもなかったのだ 他の誰とも違うことを主張したいがために 試行錯誤した結果 「性別不詳、金髪の短髪、筋トレした身体」 というキーワードが

        • 祈り

          人間って馬鹿だな、と思う いつまでも過去に囚われて、勝手に人の気持ちや思いを想像して、憎んだり、恨んだり、悲しんだり、寂しがったり 現実をそのままの大きさで受け止められずに右往左往する 自分のこの想いを分かってほしい分かってほしい分かってほしい、と相手にぶつける あるいは、ぶつけるのを諦めて自分にぶつけて内側を凹ませる そういうのを見るのは辛いし、聞きたくない なんでそんなもん見せるんだ、とずっと思ってきた ただ、ここに来て心境が変わった それが私の目の前で繰り広

        自分の幽霊

          何者かにならなくて良かったんだ

          KANが亡くなった (ずっと「KAN」と呼んでいたので敬称略で失礼します) 高2の時に出会い、デビューアルバムから4枚ほどのアルバムを聴き漁った 大学進学後、R&B、特にその時全盛期だったニュージャックスイングにどハマりして邦楽を一切聴かなくなるまでの数年、本当によく聴いた 先日訃報を旅先で知り、まあまあ落ち込んで、長い間聴いてなかったのに何故こんなに落ち込むのかを考えながら、彼の曲をずっと聴いている 彼の音楽を聴きながら、あの17歳の頃の自分を思い出した 携帯も

          何者かにならなくて良かったんだ

          毒を食らわば皿まで

          毒に対応しようとするならば 毒をもって毒を制すか 毒消しを使うか 毒に耐性をつけるか そもそも飲まないか あたりだろうか それが良いのか悪いのかはわからない わからないけれど 私はそのどれも採ることができない 毒の奥にある寂しさや辛さ、消せない消えない過去、埋まらない空洞 そういうものを勝手に見てしまって この手を背中に当てることで少しでも和らぐのなら、と思ってそうしてしまう そうしないではいられない そうしたところでまた同じことの繰り返しとわかって

          毒を食らわば皿まで

          私はいわゆる「毒親」持ちである いきなり重くてすいませんね 毒なら毒なりにいろいろありつつ日々を過ごしているようで、距離があることもあり、これまではまあなんとかなっていた が、まあまあ歳を重ねて毒ぶりにある意味磨きがかかり、こりゃなんとかせなならんなという状況になってきた 大人には歳を重ねたら自動的になれる、と子どもの頃は思っていたが決してそうではない 歳だけ重ねた子どものまあなんと醜悪なことか 自分の親に対してこんなことを思うのは嫌だけど、そうでも思わないとやっ

          脳筋

          身軽になって、1ヶ月半近く経った 11月頭までまあまあ予定が詰まっていたのもあってバタバタしていたのだが、ここにきて一気に落ち着いた 時間がなんぼでもある さて、何しよう 本を読むんだ、撮り溜めたアニメを見るんだ、映画を見るんだ、美術館や神社仏閣に行くんだ、などと辞める前は考えていた そういうこともするんだけど 言うなれば、ひたすらぼーっとしてる ぼーっとして昼寝したら一日が終わる これでいいのかと思わなくもない が、まあええんだろう 気がむいたことをする 気が向

          呪い

          タイトルがやたら不穏ですいません 最近「呪い」について考えている 人間が言葉を使わなければ、人間関係ってもっと気楽だったかもな、とか思う 匂いとか表情とかそんなんでコミュニケーションとるとか もっと曖昧で良かったんじゃね?とも思う 言葉の力、って凄くて、一旦口から出た言葉は取り消そうにも取り消せない 私は口から出たものはただの言葉ではなく、その場を変えたり、相手に影響を及ぼしたり、そういった力があると思ってる こっちで舞った蝶が遠く離れたところの天候を左右するよ

          輪郭

          自分の輪郭はほぼほぼ自意識で構成されていると思う それがあること自体は悪いことではないんだろう ただ、輪郭ばかりはっきりさせていると視点が自分にしか向かない 自分ばかりを、不安ばかりを、深掘りすることになる つまりは「独りよがり」の状態になるんだろう 自分、自分、自分 そうなった時の自分は、自分から終始監視されていて自由に振る舞うことができない 自他の境界が曖昧になるくらいまで自意識を薄めたら おそらくそれくらいで丁度良い 薄めたとて 私は、ここに在るのだ

          輪廻

          離れて暮らす親が闘病中だ もう長くこの状態で、昨今の流行り病のこともあり、ここ数年はあまり会えない期間が続いている 心配しだしたら、どこまでも心配できるので、努めて心配しないようにしている でないと私まで飲み込まれてしまい、こちらでの日々に影響しそうだからだ 私の親のことではあるが、私自身のことではない 改めてこう書くと「とても冷たく酷い奴」のようではある けれども、私には私の生活があり、こちらの家族がおり、日常がある 事実を事実として、その大きさのまま、ただ受け止

          やせ我慢

          みんなが見るもの、読むもの、聴くもの、着るもの そういったものを避ける性質だった それはもう親の仇のように わかりやすいもの 流行りのもの 人気があるもの そんなものに私は乗らない 私は普通とは違うのだ そう周りに示したかったのだろう 何をそんなに躍起になって証明したかったのだろうか 私は私でしかなく、それ以上でもそれ以下でもないというのに そのやせ我慢のおかげで培われたものもあるのだろうけど 最近すごく思う もうそろそろ、そういうのはいらんなあ

          やせ我慢

          お元気ですか

          一目惚れをしたことはありますか あるとしたならば、初めて一目惚れをした時のことを覚えていますか 私は覚えています 15の春でした 友達になったばかりの子と電車の中で話していた時に隣の車両から移ってきたあの子 すらりと高い背 短い髪 切れ長の目 その目が私を捉えた瞬間 落ちた 仄暗く、そして甘く深い穴へ その出会いは、良くも悪くも私を大きく変えた その穴から私が這い出してくるまでに10年かかることになるなんて、その時は知る由もなく 今思えば 大変失礼な物

          お元気ですか

          たとえば

          たとえば たとえば誰かに嫌われたとして、それがどうだというのだろう 私をどう扱うか、どう思うのかは、その誰かに委ねられていて、つまり自由だ ああ、そうなのね そう思うしかないのだろう 他人は変えられない 自分も変えられない 私は私 あなたはあなた あなたの心が自由であるように 私の心も自由なのです だから、あなたのふるまいをどう捉えるのか、それで傷つくか否かも、私の自由 つまりは 全て自分で選び取っているということだ 良いことだけではなく、悪いこと

          たとえば

          百日紅

          夏休みが始まるとあちこちで見かけるようになる 百日紅 この時期になると探してしまう 子供の頃から何故かこの木に目を奪われた ラジオ体操に行く朝の道で 登校日の行き帰りで 学校のプールに遊びに行く途中で つるんとした白めな色の幹の感じ 本当に猿でも落ちるんかな 美味しそうな、いい香りがしそうな、色のついたポップコーンのような、鮮やかな色の花 他所のお宅の庭木だったから近寄って見たことはなくて、いい香りがするのかどうかは知らないのだけど 今も運転しながら見か

          百日紅

          そういえば 幼い頃、特に文章を書くことが好きだった認識もなかったのに 文章を書いて生きていければな、と思っていた時期があった なんでそう思ったのかももう忘れてしまったけれど 何を書きたいのか まだ正直よくわからない 文章を書く人はそこをわかって書いているのだろうか 人によるのだろうか ただ 言葉は 沢山の言葉が、私の中にはあって それを出していくことで何がなされるのか、何の役に立つのかわからないけれど ここに書きつけてみようと思う