第一・第二もみじ作業所 所長 古川大介さんインタビュー【第1回】40年前広島市で最初の無認可作業所が社会福祉法人格を取るまで
パッと目を引く、色鮮やかなポーチやカバン。気になって手を伸ばすと、勢いのいい筆使いに圧倒され、ポーチがまるでキャンバスのように見えてきます。美術館のミュージアムショップでも人気を博すそれらは、広島市にある社会福法人もみじ福祉会 第一・第二もみじ作業所で作られています。
社会福祉法人もみじ福祉会
1980年1月に広島市で初めて無認可作業所を開所してから、障がいのある人たちが地域の中でふつうに生活ができるようさまざまな「居場所」をつくりつづけている。「はたらく」「くらす」「ささえあう」場所として広島市内に9つの事業所を展開。人が人として、笑うように生きるための営みが形づくられている。
第一・第二もみじ作業所(法人本部)
広島県広島市中区吉島2丁目1-24
TEL: 082-243-0331 FAX: 082-243-0497
E-mail: info@fukushi-momiji.or.jp
HP: http://fukushi-momiji.or.jp/
心許ない日々が続く2020年の年の瀬、ポーチやカバンになる生地へのペインティングの見学とお話しを聞きに、第一・第二もみじ作業所に行ってきました。建物に入ると、ベートーベンの「歓喜の歌」が聞こえてきます。年末だから?いえいえ、”歓喜”ならぬ”換気”のタイミングだから。文化とユーモアを大切にする第一・第二もみじ作業所の所長 古川大介さんへのインタビュー、全6回。ゆるりとお付き合い下さいませ。
(写真を撮る前に、利用者さんの髪を結う古川さん。その手つきから長年の信頼関係が伺えます。)
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今日は、もみじさんがどういう作業所なのかというのと、どうしてポーチやカバンを作り始めたかを教えてもらえたらと思います。
古川
なるほど、もみじがどういう作業所か…。えーっとですね、まず、もみじ作業所はできて40年になります。
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40年!
古川
1980年に広島市西区にあるキリスト教社会館の2階で活動を始めたそうなんですけど、当時は養護学校*って言われてましたけれども、その養護学校を卒業したあと行く場所がないという障がいのある方が結構いたんですね。
*養護学校・・・以前は、障がいの種類によって盲学校・ろう学校・養護学校と分けられていたが、平成18年成立、翌年施行された「学校教育法等の一部を改正する法律」により障がい種別を越えた特別支援学校ができた。
(参考:文部科学省HP)
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はい。
古川
ある程度身辺自立できるような方には「授産施設」という行く場所はあったんですけれど、自分で移動したり、身の周りのことを自分一人で全部するのが難しいような、障がいが重い方は、なかなか行く場所がなくて。
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そうだったんですね。
古川
学校を卒業したとたんに行く場所がなく、在宅を余儀なくされる方々がたくさんいました。そういった方々も「仕事がしたい」とか「友達が欲しい」という声があって。「それをなんとか形にしていこうじゃないか」ということで、公的な補助があったわけではなく、関係者やご家族の手弁当で立ち上がったのがもみじ作業所ということになります。一応、広島市で最初にできた無認可作業所です。
機関紙「がんばろうや」 No.01 1994年5発行より
「今やなつかしい、十数年がんばった“夏暑く、冬寒い”無認可時代の作業風景」
古川
そういう場所ができると「自分も行きたい」と言う方たちがいらっしゃってですね、どんどん増えていって、一か所では足りなくて、他にも作業所を作って。そういってどんどん広がっていきました。
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なるほど。
古川
無認可という形でしばらく運営していましたが、我々がしていることは、ボランティアに毛が生えた程度のようなことではなくて、青年成人期を迎えた障がいのある方たちの、社会とのつながりであるとか、その人の自己実現であるとか、そういうのをきっちりと作っていく。その尊い仕事をしているんだということと、やっぱり運営面でも環境面でも安定したものを保障していかなければいけないのではないかということで、社会福祉法人格取得を目指していくという流れになっていきました。
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尊い仕事だからこその社会福祉法人格なんですね。
古川
当時は、社会福祉法人格を取るためには、自己資金と自前の土地というのが条件にあったんですが、なにせバブル絶頂の頃だったので、土地の値段がとんでもない金額だったんです。
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そうか!バブル絶頂の頃だったら…すごそうです。
古川
で、そんなお金もあるはずもなく。(笑)でも、なんとか作っていこうよということで、街頭募金をはじめ、お金になることは何でもしたと聞いています。
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例えばどんなことをなさっていたんですか?
古川
そうですね、コンサートを開いていましたね。仲間だけじゃなくて、家族とか、職員とか、みんなの思いや気持ち、当時の状況なんかを歌詞にして、歌って伝えることで、色々な人達に自分たちのことを知ってもらう機会であったりとか、一緒にそのコンサートを作ってくださる人を支援者として、理解してくださる人の輪を広げていくっていうことで「ともだちコンサート」。なので、もみじにはオリジナルソングが70曲ぐらいありますよ。
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70曲ですか!それはすごい。
古川
歌を作っていくときは、音楽のことに協力して下さる専門家の方ですとか、そういう人達をどんどん広げていって、市民合唱団のようなものを募集して一緒にコンサートをしたこともありました。HBGホール*の大ホールなんかでも。歌だけじゃなくて、和太鼓5、60台でコンサートをしたこともありましたね。
*広島文化学園 HBGホール
広島市にある多目的ホール。大ホールの収容人数は全2001席。
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すごい迫力ですね。
機関紙「がんばろうや」 No.56 2010年8月発行より
もみじ作業所30周年を記念して開かれた「第8回ともだちコンサート」
古川
自分たちのことを伝えていくっていうときに、困っていることとか、現状を訴えるっていうことももちろん必要なんですけど、やっぱり文化の力。文化面のつながりであるとか、直接的じゃないけど自分たちを表現することを通じて色々な思いだったりとか、自分を伝えるっていうことは、そういう意味では、土壌としてはあったんですよね。
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今の活動に通じるものがありますね。
古川
本当に色んな方々のご協力を得て、1993年の4月1日に、今、第一・第二もみじ作業所のあるここ吉島で、新たに社会福祉法人格を取ってオープンしました。
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障がいのある"人の魅力"を伝えたい。
一人でも多くのお客さまに「こんこん」と気軽にノックしてもらえますように。
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