考えてしまう。“問題児”への子供の残酷さ
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※今回の話は、人によってはつらい過去を思い出させたり、嫌な気持ちになるおそれがあります。
思い当たる方は、読まずにここで引き返していただけると幸いです。
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長女のおさななじみの男の子は、自他ともに認める「問題児」だった。
言葉遣いがやや乱暴で怒りっぽいところはあったけれど、不満があったり怒ったりするときに、地団駄を踏みながらも言葉で自分の思うところを説明していた。その話しぶりが幼いながらも論理的で、保育園時代だったから、言語化能力が高いのだな、と思った。
中学年になると読書家になり、彼が読む本はクラスで流行ってしまうので図書館でなかなか借りられない、と娘から愚痴をきいたことがある。
手先がとても器用で、立体構造の把握が抜群。我が子にその能力がなかったこともあり、展示される彼の作品や工作にいつも驚かされた。
年齢相応のおふざけ要素も持っていて、クラスの中でもそれなりに目立つような男の子だ。
「授業に参加せずに注意をしても読書を続ける」
「危険物を勝手に作って遊ぶ」
「注意しても反論ばかりで聞かない。親御さんからも注意をお願いしたい」
学年が上がると徐々に先生との不和が問題になり、頻度が増えた。
学校からの電話に母親は都度謝罪しつつ「もっとうまくやればいいのに」とため息をついていた。
授業がつまらなさすぎて、退屈の度を越えるんだ。
時間がもったいない。つらすぎて本を読まずにはいられない。
工作で余った資材で自由に作品を作ることは認められている。
武器の形にしたけれど、誰かをケガさせないように刃先は丸くしているし、当然実際に刺すわけではないし。
先生が安心できる造形以外は作ることを許されないの?
何が責められることなのか。こちらが説明しても聞く気がないのは先生の方だ。
母親は彼の性分を理解していたし、同情もしていた。彼のサポートをするために先生にいくつかの提案をしたようだったが、特別扱いは認められないということで却下された。
賢さのある子なのだと思う。
賢いけれども「おりこう」ではないので、学校の大人から「問題児」として扱われるのだ。
それでも全体的には落ち着いていた学年で、突如「いじめ」の話が持ち上がった。
ある子が嫌がらせを受け、休んでしまったのだ。
首謀者として、おさななじみの彼の名前が持ち上がった。
被害者の子が、やった子の具体名として出したらしい。
校長含め学年主任や担任から両親が呼び出され、できごとの説明を受けた。
この時ばかりは彼の母親は「もっと分別のある子だと思っていた」と泣いた。
けれど、その場で彼は泣きながら怒った。
俺だけじゃないのに。
どうして俺だけなの?
俺ならいいと思ってるの?
両親がお詫びをしつつも事実確認を必死にお願いし、調査が始まった。
実に、その学年のほぼすべての子が、被害者の子に対して何らかの嫌がらせと思われるようなことをしたことがある、と答えたのだそうだ。
この話を聞いた時に、子供の残酷さについてものすごく考えてしまった。
嫌がらせを受けた子は、本当につらい思いをしたのだと思う。
その子は、彼だけではなく、全体から攻撃を受けていた。
それが明るみになる時、「名前を出していい人の代表」として彼の名前を差し出したのだ。
先生も「ああ、やっぱり、あいつなら」となる。
日ごろから「問題児」の彼なら、やりかねない。
仮に彼が「やってない」と嘘を言っても、こちらに分がありそう。
先生が驚いてしまうような他の大人しい子の名前を出して、万が一にでも「本当にそうなの?」なんてこちら側が疑われることもないだろう。
もちろん、被害にあった子がここに書いたようなことを思ったのではないと思う。
けれど、この思考の言語化を通り越して、直感として「みんながやった」でも「他の子がやった」ではなく「彼がやった」と言ったのではないかと考えてしまう。
そして、彼自身もきっと、気づいてしまったのだろう。
そんなに嫌だったのか、悪かったなあ。と思うよりも前に、自分は全体を代表し、真っ先に指名されて怒られる役なのだ、と。
だから怒り、泣いたのだ。
学校の大人からだけではなかったのだ。
先生とのやり取りを見ていた友達たちからも、自分は「問題児」だとラベリングされ、事がスムーズに運ぶように、大事にならないように差し出されるのだ。
わかりやすい「わるもの」のアイコンとして使われるのか。
チマチマと頭の中で自分が損をしないような策を考え、うまくストーリー建てできるような年では、まだない。
生き物として、うまくやるための直感が働くのだ。
だからこそ、むき出しで残酷なのだ。
そして賢ささえも仇になり、その残酷な構造に瞬時に気づいてしまう子もいる。
彼の感受性に涙がこぼれそうになる。
豊かな大人になるために、これからも間違えることはあるだろう。そして気づきの多い彼だから、傷つくことも多そうだな。
そう思いながら、少しだけ自由が増えているはずの中学生活を、少しだけ生きやすく過ごせていることを願う。
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