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考えてしまう。はじめてのクラス懇親会~中学編

7月、中学生になった長女の初めてのクラス懇親会があった。

中学受験をし、無事希望校に合格。
その後コロナ禍で入学式も全体保護者会もすべてオンライン上で開催。長女は一足早く通常授業に入ったものの、親である私が彼女の学び舎に訪れる初めての機会になった。

彼女のクラスの出席者は全て母親だった。
指定された席に座り、静かに待っているお母さまがたを観察する。

「ザ・お母さま」という服装が多い。紺色のワンピースや、紺色の上下のセットアップ。白いポリエステルのサラサラした感触のトップスに黒やネイビーのパンツ。上履きは百貨店で買える黒いおリボンのついたもので、たためるものもスリッパ型も両方いる。何人かはこぢんまりとしたブランド物のバッグを携えている。

小学校受験で見かけるような、頭の上から爪の先までピシリと整えている感じではない。服装こそ間違いないお母さまのいでたちだけど、お化粧は全体的に薄めで、ジェルネイルをしている人は発見できただけで2人しかおらず、髪の毛も“なんとなく”でまとめている人が多かった。とびきりオシャレな人、個性的な人、どの社会に属しているのかわからない、というような人は発見できなかった。

全体として、ちゃんとしているけど、地味。そんなトンマナで統一されている。なるほど、受験しているのだから親の方も志向性がある程度は決まっているし、なおかつ選抜されているのだからまとまるのだなあと感心していると、遅れて入ってきた隣に座ったお母さまが、上に書いたようなおとなしさを醸し出しつつも、エルメスのバッグにハリーウィストンの大きなダイヤの指輪をしていて、驚く。森も木も、両方見ないとなあ、などと一人反省をする。

先生がやってきて、お決まり通りのご挨拶と撮りためていた写真画像を見ながらクラスの雰囲気を説明し、これまたお決まりの保護者挨拶になった。

それはそうと、先生は「それでは自己紹介を30秒程度で」とおっしゃった。
初回のクラス懇親会で「お子様の様子を紹介ください」といえる先生もいらっしゃるけど、少数派な気がする。“自己紹介”って、お母さまの紹介をするんじゃないよね?と毎回思う。一番手のかたが真に受けて、お母さまご自身の紹介をしないか、いつもハラハラしてしまう。そのあとのお母さまがどう続くのか?でもわたしは色々な「お母さん」の様子を知らないから、そのまま最後まで本気のお母さん自己紹介大会になったら楽しいのに、といった妄想をグルグルっとするけど、皆オトナなので、きちんと子供の紹介をする。

ここでもトンマナ統一は良くできており、小学校でたまに見かける一人長々とお子様の心配事をお話ししてしまうお母さまはいない。おおよそ20秒程度で話し終える。兄弟構成や通学時間といった基本情報に加えて、特徴的な性格や学校生活をどのように家庭で話しているか、ということ。最後に「よろしくお願いします。」と美しくまとまっている。簡潔で少々寂しい気もするけど、進みがテンポよく、ストレスが少ない。

半分以上を聞き終わり、なんとなくご兄弟、お兄さまが居られる方が多いのね、と思いながら、我が子の紹介も手順にのっとり、あまり余計なことを言わずに終える。

最後から何人目かのお母さまが「上に高3の兄がおりまして」というので、あぁ、お兄さまがやはり多いわ、また受験なのね、大変だわ、と耳を傾けていると

「兄の学校は、いまだに週1しか通学しておりませんで。」
で、一拍置き、

「〇〇(この学校に通っているお子様の名前)とは、毎日通学出来て本当によかったわねぇと、毎日話しております。」

と言った。

とたん、私は後ろを振り向いてその他のお母さま方がどのような様子で聞いていらっしゃるのかを確認する。
なんとなく、怖いことになってない?いや、なってないか。よくわからず。

「隠語」の発動ではないか、と思ったのだ。

これは中学受験を経て、そして関係者が近くにいると分かるもので、日本で指折り数えて上位に入る男子校のことを指しているのではないかと思われる。つまり、「この子の兄の学校は〇〇です」と言っているのだ。

なぜ終盤のこのタイミングで、この情報を繰り出してきたのかがすごく気になり考えてしまう。「隠語」として意図的に使っているのか、使っていないのか。深い意図は一切なく、お子様が「毎日学校があって楽しそうです」ということに対しての単なる比較なのか。私が感じたのと同じように、お兄さまが多そうなご学友に対して、一種のマウンティング的な技法としてこのエピソードを使っているのか。または「ほぼ毎日家に子供がいて地獄です」というお母さまの自己紹介寄りのエピソードなのか。なぜ、週一エピソードのあとに一呼吸置いたのか。というか置いたような気がした、けど、どうだっただろう。

自分だったらどうするのだろう。
『わあ、男の子をお持ちのお母さまがおおいのね。うちも居るんです、ええ、学校は〇〇なんですけど。』
…初期情報として極めて不要だと思う。でも「ほぼ家にいるんですよー、困るんです」という愚痴のための呼び水なら使うかもしれない。でもやっぱり、はじめましての相手に話す内容でもない気がする。そもそも情報を知っている人に学校名を暗に示しているように思われるんじゃなかろうか。考えすぎて選択できない。だから、自己紹介のエピソードからは落選すると思った。

そして、聞き手がどう受け取るかを考える。
分からない人にとっては、多くの学校が通常に戻っているので「あら、まだそんな学校もあるのねえ」で終わるだろう。分かる人は「あら、優秀だこと」と感想が大いに変わる。みんなはどちらで受け取ったのだろう。そして優秀さに気づいた、同じくご子息を持つお母さまの反応はどうなのだろう。うらやましいこと、なのか、驚き、なのか、うちはもっと賢いわよ、なのか、他のものなのか。

聞いたとたんに考えなければいけないことがあまりに多くて、一瞬思考が停止する。
半面、身体は見えないビリビリを勝手に予測し、反射神経でつい周りを観察してしまったのだ。(結局他のお母さま方の顔色から、何かを察することもなかったのだけど。)


あとから思考が追い付いてくるのだけれど、こういう時に、自分がどういう顔をしていたらいいのか、どちらの立場の、どのようなふるまいをしたら正解なのか、本当に良くわからない。

ちなみに今回は、偶然かなり親しくしている知人がいるから情報として知っているだけで、わたし自身は全般的に「隠語」についての知識がなく、突き詰めると根本的な興味が薄いのかもしれないとも思う。ごくまれに「分かっている側の人」とみなされて話をされ、気のいいひとが解説してくれるから知っていることもある、その程度のことだ。

この手の知識は、興味と正比例しているのだろうから、興味からの学習=情報収集でそれなりに得られるのだと思う。分野は色々だろうけど、多くの隠語を知っている人は特定の分野だけでなく他のところでも知っていることが多そうだ。
「中学受験界隈」だけに絞っても、すごくありそうだなと思う。

駆使できる人がいたらちょっと格好いいな、と思ったりもするのだけど、今回の件のように考えすぎて止まってしまうわたしは、多くを知らないほうが良いのかもしれない。笑顔で話しているのに双方にらみ合いの状態とか、怖い。でも、実際にどこかで起こっているのだろう。


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