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高気圧ガール

山下達郎が夏休みの沖縄旅行キャンペーンでこれを歌ったのが、もう40年ほど前。昭和のエアマンなら思わず口ずさんでしまうメロディーです。

自分も当時は、エアコンもオーパイもついていない機体で、どこまでも飛んで行くのが楽しくて、食事も飲み物も摂らずに朝から晩まで飛んでいたものです。歌詞の中にあるように、1日2,000マイル飛んだこともありました。別に逢いたい娘がいるのでなく、高気圧の縁を時計回りに風向きと燃料を気にしながら、ひたすら南西諸島に点在する滑走路を目指したものです。

昭和の頃は熱射病という用語はあっても、熱中症などという言葉は日常使われていませんでした。熱射病とは、体温が40℃を超える命の危険性がある高体温状態で、意識障害を伴います。熱中症は、暑さと湿度によって発汗機能による体温調節が出来なくなった状態で、熱射病も含まれますが、主にその一歩手前の病態と云えるでしょう。当時は水分を摂っては行けないと、今では信じられないような指導を受けたものです。

そういう訳で、当時日本で大塚製薬のポカリスエットが徐々に知られるようになりましたが、アイソトニック飲料を飲みながら操縦訓練するなどという発想は希薄でした。スポーツ飲料は糖分が含まれているベタベタした液体で、コックピットで溢すと大変です。上空で巡航に入った後、仲間が歯を使ってペットボトルを片手で開けようとしたら、計器盤にポカリが噴き出してしまいました。教官に「こんなもの機内で飲むんじゃない!」と酷く叱られていたことを思い出します。

エアコンがない機体でも上空へ上がればAir-ventでかなり涼しく感じますが、実際真夏に飛ぶエアマンは、大抵軽い脱水状態に陥ります。Tow-barで機体を格納庫から出し、燃料をドレインして、機体回りを点検するだけで、既に玉の汗を搔いているからです。こういう作業をFBOの地上スタッフに任せられても、人間は常に発汗しており、エアコンが効いた機内では湿度が0%近くなっているので、発汗していることに気付かないことも多々あるのです。

かつて、高気圧ガールのイメージそのままのアクティブなエアマンがおりました。周囲の同僚が気づくほど、彼女は意識して水分を摂らずにいました。本人はトイレが近いから飲まないのよと云っていましたが、若い女性ですからメークや髪型が汗びっしょりになるのが嫌だったのでしょう。そんな彼女がある晩スティ先のホテルでガタガタ震えて高熱を出しました。意識は比較的しっかりしており、「腰が重くて痛い」と訴えます。町立病院の救急へ連れていくと、宿直の医師は腰をどんと一叩きして、彼女は悲鳴をあげました。ドクターは「もう腎盂腎炎になっているね」と一言。抗生剤投与し、1Lくらい大量補液して帰されました。

男性でも飛行中に酷いことになった教官を知っています。さっきまで元気だったのに、飛行中突然口数が少なくなり、前かがみになって盛んに右腰を摩っています。いよいよ肩ハーネスを外して脂汗をかいてるいるので、「どうしましたか?」と声がけしました。件の教官は同様なエピソードの持ち主だったのか、「石だと思う」と...。「石って胆石ですか?」と訊ねたら、「尿管結石だよ!」と苦しそうに一言。右腎盂に溜まっていた結石が、脱水で干上がった右尿管に脱落して引っかかったようです。

「PanPan通報しましょうか?」促すと、「それには及ばない」とぼそり。「尿管結石の発作で死ぬことはないのさ。」と経験者は語りました。結局、自分の飲み物も全部あげて目的地まで飛びました。降機するのも辛そうでしたが、何とこの教官、この後ビールを飲みに行くと云うのです。一人でジョッキ10杯は飲んだでしょうか、その後縄跳びして「傷みが右脇へ移動したから結石で間違いなし。これで病院へ行かなくて済む...」と宣われました。

高気圧ガールはバブル景気に突き進んでいた昭和時代の歌謡曲ですから、この頃の思い出は今日考えれば滅茶苦茶な話ばかりです。あのアップテンポのビードサウンドを聴くたびに、若さだけで飛んでいた自分を思い出して、思わず苦笑いしてしまうのです。

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