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航空機事故から学ぶ:gear downしてギャフン

航空機のコンピュータ化が進んだ1970年代、航行技術は大いに進歩しましたが、操縦席の表示はまだグラスコックピット化されておらず、LEDが実用化されるまで電球が使われていました。電球の寿命はLEDのそれに比べると圧倒的に短いため、飛行中に球切れとなる事態が日常的にあったのです。取分けギアランプの不点灯は球切れかギアの故障か判断が難しく、その対処が原因で大事故につながった事例も知られています。

球切れに気を取られて高度低下し墜落:Eastern航空401便事故
1972年12月29日の新月の晩、EAL401便L1011型機(N301E)はNew York JFK空港からMiami空港に向かってアプローチ中だった。機長は入社30年超で総飛行時間3万時間目前の超ベテランで、副操縦士、航空機関士、それにMiamiへ移動中の整備士が操縦席に陣取っていた。機長がGear-downを指示したところ、Nose gearが緑に点灯せず、同機はMiami Approachへ2,000ftでのCirclingをリクエストした。N301Eは同年納品された新鋭機であり、自動操縦装置が導入されていた。高度2,000ftで自動操縦をセッチした。Gearの出し入れを繰り返しても緑ランプが点灯しないため、電球切れを疑って外してみたが、電球に異常はなかった。機長は「たった20セントの電球ごときでバタバタせねばならぬとは!」と憤慨しながら、航空機関士へHell holeと呼ばれる操縦席直下の覗き窓へ降りて、Nose gearが出ているかを確認するよう指示した。着陸灯を点灯していなかったため、新月の晩では外は何も見えず、機長は点灯して再度確認するよう指示を出した。
ATCは同機が900ftまで高度を落としているので、状況はどうなっているか?と問い合わせたが、Radarの精度が当時は精密ではなかったので、高度が低過ぎとは指摘しなかった。方位180°で最終アプローチへ向かうよう指示された時、機長らは初めて高度がひどく下がっていることに気づき、機長は"Hey, hey, what's happening here!?"と叫んでthrottleを全開にしたが間に合わず、23:42に同機は空港外れのエバーグレース内の湿地帯へ着陸するように墜落した。
墜落当時の暗闇の中、漁師が湿地帯で漁をしていて、401便が超低空で上空を横切り、その後墜落したのを目撃した。直ちに現場へswamp用のboatで急行し、生存者を救出しながら、国境警備隊のヘリに懐中電灯で墜落位置を知らせた。墜落現場は燃料の滑油で油まみれで、ムシやワニが生息する。生存者は過酷な環境にも耐えねばならなかった。機長は操縦席内で生存していたが、"I'm going to die..."と言葉を発して絶命した。
乗員乗客176名のうち99名が死亡したが、生存者のうち8人が湿地帯に生息する嫌気性菌でガス壊疽を発症し、高圧酸素療法にも拘わらず更に2名が亡くなった。
NTSBの調査官らは事故機のauto-pilotシステムを取り外して別の同型機へ装備し飛行させてみたが、異常は見られなかった。先行機のNational航空607便操縦士からも、着陸に当たっての支障は何らなかったと証言を得た。回収されたCVRからは、設定高度±250ft超(即ち1,750ft)で警告チャイムが鳴っており、A/Pが正常に作動していたことが確認された。
事故から2か月後、EALの操縦士が、操縦席でchartを落とした時、操縦桿を気付かぬままに押してしまい、作動中のA/Pを無意識に切ってしまったことがあると公聴会で証言した。FDRを詳しく見ると、23:37:20に高度が下がり始めており、その時刻のCVRを聴取すると、機長が機関士へ振り返って話しかけていたことが分かった。恐らくその際に、機長は操縦桿を知らず知らずのうちにbumpさせていたと想像された。
事故機のNose gearは実際出ており、それを表示する電球が切れていただけと判明した。NTSBは、担当する機体が指示通りに飛んでいなかった場合、ATCの呼びかけを徹底することを勧告した。

エバーグレーズのような湿地帯で事故が発生すると、生存者にガス壊疽が8名も見られたことは、災害医学の知識として重要です。
生存した客室乗務員が燃料や滑油が漏れ出しているから、「火を起こさないように!」と大声で呼びかけていたが、救出活動の様子を観ると、タバコ片手に担架を運んでいる者がいて、当時はまだまだ非常事態でも喫煙が普通だったのだと思い起こされました。

事故機の機長は、事故後の剖検で脳腫瘍が見つかっています。事故発生まで全く症状がなかったとは考えにくい病理所見ですが、NTSBは事故原因とは直接無関係な事実と結論しました。機長はかなり注意力散漫な癇癪もちの性格だったようですが、それこそ脳腫瘍の影響ではなかったのか?と疑ってしまいます。

球切れに気を取られて燃料切れ:United航空173便事故
1978年12月28日、米国コロラド州Denver空港からオレゴン州Portland空港へ向かっていたUnited航空173便(DC-8型機)は、乗員乗客189名を搭乗させて、Portland空港の35km手前まで降下していた。空港管制官からRwy28への着陸許可が出され、着陸装置を展開しようとしたところ、乗客が驚くような衝撃音があった。航空機関士が主翼根本のgear-lockノブが飛び出しているか、懐中電灯で照らして展開を確認した。しかし機長はlanding-gearランプの1つが点滅していたため、本当に降着装置が展開したか確信できず、空港南方でholdingをしてマニュアルで対処することとした。
副操縦士がマニュアルを確認して問題なさそうと思ったが、機長は納得できず、結局空港周辺でholdingが90分続いた。乗客らは着陸時の衝撃に備えて、宝飾品などを外してbrace positionを取るよう指示された。機長はあと15分飛べると判断したが、副操縦士と航空機関士は残燃料は15分もないと警告した。
結局機長の判断に異議を唱えられず、gear warning hornを更にholdingにしたところエンジン2基が停止し、間もなく残り2基も止まった。Portland郊外の暗い闇を目指して強制着陸を試み、高層アパートを掠めながら、18:15にRwy28から南東へ5NM外れた木立の多い住宅街へ突っ込んだ。
幸い胴体部分の損傷は少なく、火災が発生しなかったため、死亡したのは乗客8名、客室乗務員1名、それに航空機関士の10名に留まった。
連邦運輸安全委員会(NTSB)はblackboxを回収し、不時着地点から離れた地点で右降着装置を発見した。ボルトは錆びていたが、それ以外の異状はなかった。CVRを解析すると、"F/E: We're loosing engines. PIC: Why...? F/O: Fuel... PIC: Open the cross feed valve..."と機長はエンジン停止が燃料切れ(fuel starvation)間近であることをすっかり失念しているようだった。
機長が残燃料15分とコールした際に燃料計には5,000Lbの燃料が残っていた。調査官は航行中に燃料が想定以上に消費された可能性を検討したが、実際は通常通りの消費量と分かった。機長は着陸装置が降りていない恐れがあるとfixation biasに陥り、副操縦士と航空機関士は燃料切迫の方がより深刻と考えたが、CRMが作用せず機長の執着を止められなかった。

降着装置の展開を確認するのに1時間半もholdingするのならば、滑走路上をLow-passして、管制塔から確認して貰うなど他の対処法もあった筈。墜落前に集合住宅に衝突していたら、もっと大惨事になっていたことでしょう。

着陸時に着陸装置が正常に降りているかを確認することは重要なことですが、乗員がそれに執着すると、心理的なトンネル効果でaviation-firstが損なわれてしまいます。最新鋭旅客機の自動操縦装置を信頼しきってしまったことも、これらの事故発生の一要因です。機械より人間が勝っている部分もありますが、人間がミスをすることあるのです。この微妙な関係を常に意識して操縦しなければならないと感じさせられた事故でした。
このような事故を防止すべく、後年NASAはCockpit Resource Management, CRMを研究、広く航空業界へ推進していくこととなったのです。



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