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なぜ、蘭世の左胸には勇気があるのか

うわ、しょぼ! 寺田蘭世しょぼ!

寺田蘭世さんに対する私の第一印象は決して良きものではなかった

当時、私は乃木坂46をきっかけとしてアイドルなるものを学んでいた。そしてあの時、私の目を最初に惹いたのは生田絵梨花さんだった

私は今でも、生田絵梨花さんのことを心から尊敬している。平成後期のあの頃、これほどまでに高まったアイドルがいるとは夢にも思っていなかった。経歴、能力、人格、成果……あらゆる点で目を惹くその存在感には圧倒されるものがあり、乃木坂46を乃木坂46にしたのはこの人あってのことだとすら思っている

もっとも、これだけ評価しているのに推してはいなかった。そしてあの時、私の目を最初に追わせたのは齋藤飛鳥さんだった

私は今でも、齋藤飛鳥さんを乃木坂46の最高傑作だと思っている。当時の私は齋藤飛鳥さんの映像を片っ端からチェックし、齋藤飛鳥さんが載った雑誌を片っ端から買いこみ、齋藤飛鳥さん絡みのイベントに足を運んだりもしていた

もっとも、これだけ追っかけていたのに推してはいなかった。今考えると、"追う" と "推す" は微妙に何かが違っていたのだと思う

そして他にも、舞台に命を懸ける変身ヒーローこと井上小百合さん、自分の五体を駆使して趣味をアートに変換していく伊藤万理華さん、元気な笑顔と繊細な言葉を持つ北野日奈子さん……etc、彼女達は私に多くのことを教えてくれた。この坂道にはいくらでも素晴らしいアイドルがいる中、

私は寺田蘭世さんを発見してしまった

これは偶然でもあり必然でもあった。選抜からアンダーに至るまで乃木坂46のあらゆる場面に関わってきた乃木坂の権化 = 齋藤飛鳥さんを徹底的に掘り下げていった場合、様々なアイドルが自然と眼に映るようにできている。私は寺田蘭世を見つける側の人間だったのだ。そして私は正直にこう思った

いや、ない。流石にこれはない

いくらなんでもショボすぎると思った。このライン上には既に齋藤飛鳥さんが存在している。こんな出来の悪いパチモンみたいなやつどうでもいいではないか。エクスカリバーに対するエクスカリパーぐらいどうでもいい。現に今、齋藤飛鳥という平成最後の傑作が目の前で大輪の花を咲かせんとしているのに、同じライン上にいながら遥かに劣るヤツのことなどどうだっていいじゃないか

私は寺田蘭世の生態を調べ始めた

想像通り、いや、想像以上に、寺田蘭世さんはショボかった。ブレイクする前の齋藤飛鳥さん = 舞台上の自己アピールででんぐり返しをしていた頃の齋藤飛鳥さんと比べてもなおショボいのが寺田蘭世ってヤツだった。そんな私の認識をある意味で深め、ある意味でひっくり返した番組があった

のぎ天

簡単に説明すると、乃木坂46のアンダーメンバーがお寺で修行したり船で釣りをしたり猫を探しにいったりする今は亡き懐かしのWeb番組だ。主に選抜が出演する乃木坂工事中の華々しさに比べると、一にも二にも何やら泥臭く、昔の乃木坂ジャージが妙にしっくりくる手作り感あふれる番組だった。そんなのぎ天の歴史の中で、寺田蘭世さんが初参戦した企画がある。それこそが、

アスレチックバトルである!


これまた簡単に説明すると、横浜つくし野コースのフィールドアスレチックでアンダーメンバーがしのぎを削る企画で、この企画には齋藤飛鳥さん、北野日奈子さん、伊藤万理華さんといったメンバーも参加していた。ならば見るしかないと私はきっと考えて。楽天の動画を開いた私の眼に飛び込んできたのは、

上下鐘撞きに挑む寺田蘭世の姿だった

リンク先を参照してもらえれば、どういう遊具かはある程度伝わる思う。そんなヤバいもんでもない。揺れはするので多少は恐いが、最悪、脚を踏み外したところで落ちるという程のもんでもない。実際、他のメンバーは30回ぐらい撞いていたのをうっすらと覚えている

しかしそこにいたのは寺田蘭世だった。のぎ天MC・早出明弘さんとのイマイチ噛み合わない味のある会話が終わり、上下鐘撞きに両足を載せたその瞬間……、寺田蘭世さんは「無理だよお〜〜」と最速0.2秒で弱音を吐いていた

マジか。寺田蘭世マジか

早出さんから「大丈夫ですか?」と聞かれて「だいじょばないです」と答える寺田蘭世。鐘撞きが始まった途端、声色が変わるレベルの悲鳴を上げる寺田蘭世。もはや降りることすらできなくなっている寺田蘭世。記録0回

本人曰く、そもそも公園で遊んだことがなかったそうな。なんというかもう、弱いにも程があるレベルで寺田蘭世は弱かった

しかし番組はまだまだ続く。この手の番組の常として、後半の方がより難易度の高いミッションになるわけだ。そして再び寺田蘭世のターンがやってきた

松の木登りである

これまたリンク先を参照してもらえれば、松の木登りとやらが何なのかを一目でわかってもらえることと思うが……思うが……

いや、無理だろこれ

上下鐘撞きでガチ泣きする女の子にこれはムリだと思う。上位陣は1〜2分程度でクリアしていたが、もはや記録云々の段階ではない。ここでの寺田蘭世さんの泣き方は「キャー!」っていうギリ余裕のある女の子のそれではなく、「もうだめだぁ〜おしまいだぁ〜」系の、この世の終わりみたいな泣き方だった

当時、固唾を飲んだかどうかは流石に覚えていないが、私は寺田蘭世さんのチャレンジをしっかりと観ることにした。のぎ天MC・早出明弘さんとのイマイチ噛み合わない味のある会話が終わり、再びチャレンジが始まった

それはそれは怖い映像だった

アスレチックという概念を根本的にわかっていない人間特有の覚束ない手足。そもそも身体が小さすぎて手も足もちゃんとは届かない。なんとかロープに足を乗せても、その度に全身がぐわんぐわん揺れる。もし落ちたらタダでは済まない。いつの間にか、その場の全員が一丸となって応援するほど危なっかしいが、

寺田蘭世は泣いても退かなかった

泣き叫びながらも一向に退かなかった。山ほどの泣き言を積み上げながら、絶望的にゆっくりではあるが、決してギブアップすることはない。少しずつ、少しずつ、すったもんだしながらそれぞれの関門を突破していき、そして、


7分40秒81、松の木登りクリア……!!


ゴールしたその瞬間、寺田蘭世さんは確かにこう言った

泣かない!(寺田蘭世/2014年12月5日/のぎ天)

いや、もう手遅れだよ

事ここに至るまでにひたすら泣き喚いているのだ。手遅れにも程があると思う。しかし寺田蘭世さんはそこでつよがった。後に #つよがりヒロイン とも呼ばれる女性、寺田蘭世とはそういう人間だった。そしてこの、全員で盛り上がった直後のラスイチ。北野日奈子さんが40秒だか50秒だかで松の木登りを早々にクリアして、画面端にいる最下位の人が愕然とするまでが良き思い出だ

寺田蘭世はあまりにも弱く、誇り高いファイターだった

「ゲームひとつするにしても真剣に取り組め」っていうのが我が家のルールで。「たかがゲームだから」って人は妥協するじゃないですか? そういうのも好きじゃないんですよ。例えば、お正月とかにみんなで集まってゲームしたら、子供に勝たせるためにやるとか、そういう謎の気遣いは逆に失礼じゃないかなっていう考えが私にはあって。そういうところから負けず嫌いっていうのが生まれたのかなって思います(寺田蘭世/2017年6月1日/BUBKA)

寺田蘭世さんはちっちゃくてかわいい人だ。だが、ちっちゃくてかわいい人に甘んじようとはしなかった。全身全霊でぶつかっていく人だった

そしてその一方、未曾有の窮地にあってテンパりながらも、挙動不審で変な人と思われることを気にしたり、泣いてあざといと言われることを気にしたり、何と言うべきか妙に冷静な心配をしている変な人でもあった

なんだこいつ……?

知りたくなった。もっと知りたくなった。その当時から私は、愉快な人間に目のない人だった。生田絵梨花さんや井上小百合さんのように、超A級の愉快な人間の存在は私の心を踊らせる。そんな私にとって、寺田蘭世さんは "ショボいやつ" から "ひょっとしたら愉快かもしれないやつ" に変わっていた

私は寺田蘭世を徹底的に調べ始めた

掘ってから知ったのか追ってから知ったのか、その辺諸々の時系列は流石にもう覚えていないが、寺田蘭世さんは何度も何度もぐちゃっとなっていた

フリーフォールに乗り「(蘭世の勢い)とまらんぜだよ!」と絶叫する寺田蘭世

夜中に肝試しをして「背中が!背中が!」とクセの強い怯え方をする寺田蘭世

乃木坂内オーディションに真正面から玉砕して泣いた寺田蘭世

ステージに立てない悔しさで泣いた寺田蘭世

ステージに立ったら立ったで悔しさで泣いた寺田蘭世

武道館で選抜のライブと比べられる現実に泣いた寺田蘭世

選抜発表で幾度となく悔し涙を流してきた寺田蘭世

自転車に乗ってあまりのできなさに自己嫌悪でうずくまる寺田蘭世

聳え立つ氷の絶壁を前にして一晩ずっと泣き震えていた寺田蘭世

舞台セーラームーンを前にして逃げ出したいほど恐怖した寺田蘭世

私の記録や記憶では片っ端から凹られてきた人だ。元々の基本性能が高くなく、精神面も極度の怖がりで、案の定、何度も何度もバキバキのボコボコになる。なのに決してそのまま沈むことはなく、常に立ち上がってくる変な生命体だった

そして、プラスに取れば唯一2幕に出れなかったメンバーです 唯一ですよ! 今後、私が活動していく上でこれは最も最悪で最高な歴史になるでしょう、、(>_<)(寺田蘭世/2014年6月17日/乃木坂個人ブログ)

プリンシパルという、乃木坂46主催の舞台オーディションで玉砕した後の発言だが、なんかもうむちゃくちゃ言ってる。今後ステージの真ん中に立つことがあれば良き思い出になると言いたかったようだが、"プラスに取れば〜" の一節があまりに愉快すぎてたぶんもう忘れない。寺田蘭世はいつだって立ち上がる

蘭世さんは切れるというよりも、時々その線が細くなる。細くなって見えなくなっていくけど、消える前にまた復活する。だから生命力が凄いなって思うんです。途中で途切れないから。波はあるけどずーっと保ってるっていう(久保史緒里/2018年2月10日/MARQUEE)

後輩の久保史緒里さんの評価だが、不思議な深海魚を語るときのテンションだ。なんなんだろう。なんなんだろう、この人は。いや、そのひとは、まるで夏の夕立のように突然、私の前に現れた

寺田蘭世さん曰く、 一歩は0.5しか進まない。そうだとしたら。自分の身に逆風が吹き荒れたとき、一体どうやって前に進むのか

何もない寺田蘭世 何もできないって思われてる気がするし昔からそうですし自分でも私って何でって思う事沢山ありました でも、諦めない気持ちだけが私の強みです(寺田蘭世/2016年11月8日/乃木坂46個人ブログ)

"弱いけど 強く生きていくしかない"。寺田蘭世さんはそう言っていた。恐怖に竦み上がりながら、それでも前に進む為のたった1つの力。それこそが、

 気合

寺田蘭世さんはよく "気合" という言葉を口にしていた。氷瀑に挑戦した時などは、その "気合" を全開にして登っていたように映る。しかし……

寺田蘭世さんが怖れたのは物理的な障壁だけではなかった。自分とは異なる他者の存在を怖れていた。ブログを書いては消して書いては消して何度も何度も繰り返す人だった。極度に緊張しいで、偏執狂じみた心配性でもある。それなのに。幾度となく、剥き出しの自分を綴った言葉をぶつけてくる人だった

唯、目標を恥じらいなく言える気持ちだけを持ってるそれだけです。本当は誰だって心の中で叶えたい目標って持ってると思うんです でも、それを公言できるかできないかの差です(寺田蘭世/2016年6月9日/乃木坂46個人ブログ)

気弱くて 極度の心配症だから 流石にもう無理って思う事 逃げ出したいって思った事も正直あります。でも、色々考えた結果 テラダの脳みその中に「諦めたくない」「皆に嘘をつきたくない」どんなに辛くても悩んでもこう言うプラスな単語たちの方が勝ってくるんです(寺田蘭世/2016年6月9日/同上)

おかしい。寺田蘭世さんの怖がり、緊張しい、心配性は筋金入りだ。あれは嘘じゃない。私も同族なのでホントのヤツだとわかる。だがもし、人の10倍怖れるとしたら、恐怖を相殺するには人の10倍以上、勇気を振り絞らないといけなくなる

無茶だと思った。私は十数人想定でこの文章をアップするだけでも緊張するが、あんな怖がりな人間が万単位を相手にそんなことできるわけがない。緊張するときは左胸に手を当てるそうだが、そこから勇気を引っ張りだせるとも思えない。しかしできる。できるのだ。寺田蘭世さんにはそれができたのだ

なぜ、寺田蘭世さんは立ち向かっていけるのか

寺田蘭世さんは小学校に上がりたての頃、誰とも口をきかなかったそうだ。他人の無邪気さにビビっていたという。だがある日、男子から「なんでお前しゃべんないの?」「こいつ変だ!」などと言われたのを "きっかけ" にして、

その瞬間、何かスイッチが入ったんです。なんでかわからないけど、「なんか違う」と思って。その瞬間から、今の私になった気がします(寺田蘭世/2019年4月/BUBKA)

何かって何だ

その何かに関しては後々もう少し詳しく検討する。兎にも角にも、寺田蘭世さんはその弱さゆえに何かと追い込まれやすいが、いざ追い込まれると "気合" という謎のエネルギーで意地でも立ち向かっていく。そういう何かがあるようだ

意見言えるタイプって思われがちなのですが いつも究極切羽詰まらないと発言できないだけの弱い人間なので 切羽詰まるまえに想いを伝えられる人になりたいです。(寺田蘭世/2018年11月9日/乃木坂46個人ブログ)

窮鼠、猫を噛むと言う。それが恐怖であれ暴言であれ、この世の何かに押し潰されそうになる度に立ち上がり、我が道を貫こうとする寺田蘭世。大好きな宝塚から頂戴した「やるからには最高を目指す。ただそれだけだ」という言葉を胸に、たとえ一番下からでも這い上がろうとする人だった。まさしくこの気合こそ、私が寺田蘭世さんを推した理由そのもの

……ではなかった

ここまで長々語っておいて難だが、それは一部だった。寺田蘭世さんはかつて、自分には気合しかないと語っていたが、もし本当に気合のみの人間ならば "見所のあるやつ" どまりだった。私が気を惹かれたのはその奥だった。あの気合が単なる反動的な虚勢に過ぎないのか、あるいは、真実の想いから生まれたものなのか

寺田蘭世はアスレチックを渡った

寺田蘭世は自転車を漕いだ

寺田蘭世は氷の絶壁を登った。

寺田蘭世は炎の戦士になった

寺田蘭世は武道館で吼えた

そしてその時々に、寺田蘭世さんは名状し難き個性を垣間見せていた

何言ったって、いろいろどうこう言われるし、言われるお仕事なので、仕方ないなって思っているんですけど。こんなたとえ方して伝わるか分からないですけど、1+1が2なんて誰が決めたんだ、って話なんですよ! 私、ただのバカです。数学ができないバカです。だけど、そういうことじゃないんです。人生はそういうもので計ってほしくないんです! だから私は、1+1は、100にしたいと思います!(寺田蘭世/2016年12月9日/武道館)

これは俗に "炎のスピーチ" などと言われている。しかし私はこのスピーチに、単純な熱量だけでは計れない何かを見出していた。単に熱い熱いと喝采をあげるというよりは、「そもそもなんでこんなことを言ったんだろう」といった具合に、寺田蘭世さんの一言一言の言葉を噛み締める時間が少しずつ増えていく。強い言葉はもちろん、優しい言葉でもそうだった

今思うと、寺田蘭世の "気合" は入り口だった

あの "気合" を発する寺田蘭世さんの瞳が気になった。目は口ほどに物を言う。真っ直ぐで、それでいて暗さがあって、優しくもある瞳。私はきっと、寺田蘭世という生き物の中に強固な何かを見出し始めていた

ブログやモバメで自分の生き様を書き連ねる寺田蘭世、NEWSがとまらんぜで人に寄り添う言葉を綴った寺田蘭世、雑誌等のインタビューで自身の背景を伝える寺田蘭世、14th個人PV『Don't be afraid to be FREE!!』を製作する寺田蘭世、乃木中やのぎ天で個性的な在り方を示す寺田蘭世、ガクたびで(料理下手くそなのに!)調理師学校で気後れせず奮闘する寺田蘭世、細腕なのに密度が凄いと腕相撲で言われる寺田蘭世、やたら生真面目なのに急に甘えてくる寺田蘭世、ライブで激しく揺れ動く寺田蘭世、Instagramで多彩な自分を表現する寺田蘭世……

いつしか私は、寺田蘭世を推していることを自覚した

最初は、判官贔屓の類じゃないかと悩んだりもした。弱い立場の人間に同情しているだけではないのか、そう訝しんだりもした

あの生田絵梨花さんや齋藤飛鳥さんを差し置いてイチ推しする理由などあるだろうか。(寺田蘭世さんと似た雰囲気がある)井上小百合さんは舞台女優としてその才覚を発揮していて、卒業後も時々観させてもらっている。(寺田蘭世さんと同じくファッションに通じた)伊藤万理華さんは多芸多才な実力者であり、これまた卒業後の個展をしれっと観に行ったことこもある。キャラクターのパワーでいったら北野日奈子さんの方が上だとも思う。剥き出しの精神を持つ独特な人で言うなら、後続の大園桃子さんや北川悠理さんも面白い。嬉しい悲鳴と言うべきか、選択肢や分岐点は沢山あった。それでもなお、

私は寺田蘭世を推す人だった

私の眼には、寺田蘭世さんの強固な何かが色彩豊かに感じられた。そして今の私は、寺田蘭世さんのことを類い稀なる強い人だとも思っている

だから考える。寺田蘭世の奥にあるものとは

次回のテーマは #真芯

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寺田蘭世さんは2021年12月12日付けでアイドルを卒業する。これまで幾度となく涙を流してきた人だった。泣いてる瞬間を他人に見られるのを嫌がる人だが、それでもなお、私達が見える範囲ですら何度も何度も泣いてきた人だった。怖くて。悔しくて。これまで一体、何度泣いたのだろう

そんな寺田蘭世さんのラストライブに涙はなかった。かつて「自分は自分だ悔い無く生きる」と言っていたそのひとは、何かつぶやき涙ぐむこともなく、実に晴れやかな表情をしていた。怖くて泣いて、悔しくて泣いて、嬉し涙を流してみたいとまで言っていた人なのに、美しく晴れやかだった

悔いはない、そのひとはそう言っていた

寺田蘭世1st写真集『なぜ、忘れられないんだろう?』


前回⇒なぜ、寺田蘭世を不完全に語り尽くすのか

次回⇒なぜ、ブランコはしっかり揺れ動くのか


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