少子化考1「子供を産まない勝手な人のせいで少子化になる」という風潮こそが少子化を招いている話
まず、私は子供を産まない選択をしていますが反出生主義ではなく、産みたい人が産み育てやすい社会を希望しています。そして迷ってモヤついてる時は当事者でもありました。
その上で、オブラートに包んでいるけども、「子供を産まない勝手な人のせいで少子化になる」っていうやつはまずその口閉じろよっていう口の悪い記事です。
「子供を産まない勝手な人がいるから少子化になる」という大胆な勘違い
少子化の遠因はバブル崩壊とかデフレで子供は贅沢品とか言うけども、もはやこれは社会が産み育てるに適してないという国民の総意と言ってもいいと思います。
そして「子供を産まない勝手な人がいるから少子化になる」って言う人にはそのまま、
「あなたのような人間がいるからいつまで経っても社会が成熟しない」
とお返ししたい。
2023.1追記、まさにこのようなおじいちゃんのこと
誰だか昔の政治家も「子供は2人産んでほしい」と言っていた。
→女性が社会進出するから少子化?
→子供を産まない我儘を認めるな?
→LGBTは非生産的?
→同性婚は認めない?
「ワーッ未熟な価値観の具現化〜〜!」もしくは「昭和の価値観の残りカスを大事に暖めてる人〜!」と心の中で思っていいし、もしウッカリ口に出したところで責められまい。
現代少なくとも先進国社会で、「少子化」をもっともらしい理由に『当たり前に認められるはずの個人選択を非難する』風潮はそれ自体が「ひとりひとりが尊重される成熟した社会」の足を引っ張ってるし、古い価値観の社会に固執していては子育て支援も育休も進まない。
「こんな社会で産み育てられる気がしない」のもわかる。
個人主義を認めすぎると少子化になるという説も一瞬説得力があるように見えるけども、日本は社会主義ではない。産む産まないは自己選択。
社会の中で役割を果たす事が「女性は子を産む」一択だった昔と違い、様々な選択肢を排除して女性に産めと自己犠牲を強いるのは無理なんです、もう。その自己犠牲から解き放たれ、出産子育ては自己実現の世の中。
ジェンダーギャップ指数が高いほど出生率が上がる
いや、言うても「出生率」と「社会成熟度」って何の関係があんの?って話ですが、
ここにジェンダーギャップ指数が高いほど出生率が上がるというデータがあります。「女性が社会進出するから少子化になる」って言ってた人、はいそこ正座。
「多様性や女性のキャリアを認めるから少子化になる」と真逆のデータを網膜に焼き付けてください。
このトピックを次でざっくりと「社会成熟度が上がれば出生率が上がる」に着地させます。
多様性は認める認めないではなく単なる事実
社会成熟度は「市民一人ひとりの個性が尊重されている程度」で定義され、
→個人的視点(自己実現、精神的満足):誰もが生きやすい社会のための、
→社会的視点(ユーティリティ、使い勝手):福祉の充実や子育て支援
で評価できると考えた時、
ジェンダーギャップ⇆出生率ほどの相関関係は示唆できないかもしれないけど、私は「産み育てやすい社会」は「誰もが生きやすい」とイコールだと思うし、自己実現のためにユーティリティが整えられた社会がそれに当たると思う。
多様性は認める認めないではなく単なる事実であり、誰もが個性を尊重されて「LGBTは、未婚は、産まない女性は〜非生産的」などの価値観を過去のものにする事がその近道だと信じて疑わない。
なので、産めハラマンはまずその口を閉じる事が少子化解決の一歩になると思います。
→つづく
少子化考2「少子化っていうけど日本の1億人は多すぎるし世界の人口は爆発してる」
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?