演劇ゼミ卒業公演
3月1日(月)19時開演
東京学芸大学演劇ゼミ卒業公演
前提
東京学芸大学は私の出身校。「演劇ゼミ(以下、演ゼミ)」とは、教授のもとに集まるあの”ゼミ”ではなく、学生の自主性で成り立っており、部活でもサークルでもない、演劇について授業より深く考えたい人が集まる「場」です。
私も在学中に所属しており、2020年冬には、岩手県西和賀町で行われた雪の演劇祭に参加し滞在製作を行なったりもしました。
西和賀町のギンガク実行委員会について:https://gingaku.jimdofree.com/
2020年度はコロナの影響で、学芸大学の授業は多分ほぼオンライン、課外活動は最近まで自粛だったので(現在の状況は把握していません)、
幸い―という言葉は適切ではないだろうけど―私は現在もZOOMで札幌から、演劇ゼミの勉強会に参加しています。
このように説明が少々難しい演ゼミですが、先日、2021年春に卒業するメンバーを主軸に卒業公演が行われました。
実は私も、まだ演ゼミの活動に関わり続けている流れで、サポーター的立ち位置として創作に参加していました。と言っても、都合のつく日に稽古に参加し、議事録をとったり、関係者向けの公開通し稽古のフィードバックをしたりと、あくまでもサポートという立場を意識しながらの、ちょこまかとした参加の仕方です。
よって、「ちょっと関係者」という立場で観劇したことを、ここで明記しておきます。
概要
12月下旬から行われた稽古は、本番まですべてオンライン、つまり一度も誰とも直接会わない状態で創作・上演された。
上演は、ZOOM、YouTube、LINEのオープンチャット、miro(ホワイトボード機能を持ったオンラインツール)の主に4つの媒体が使用されており、出演者のガイドに従って、観客は複数の媒体を行き来する。
事前に「パリ観光ツアー」という名のオープンチャットへのリンクが配布され、登録・参加するところから、この上演は始まっていたと思う。
開演時間になると、ZOOMへのURLがオープンチャットに流され、そちらに移行すると、「ライブ配信」でイントロダクションが行なわれ、前述した様々な媒体を実際に行き来するというのが大まかな流れだ。
切羽詰まっていました
月末にぽんぽんと予定や締切が舞い込み、さらに3月頭にもぽんぽんと予定が決まり、こういう時に限って月のものが訪れ常に意識が飛びそうなほど眠たく、何なら謎の肌荒れで顔全体が粉ふき芋のようになり、体力的にも精神的にもいっぱいいっぱいだった。
この日も日中に予定していたヨガをキャンセルし、行きたかったなあと残念がる間もなく眠り、開演20分前にハッと目覚め、急いでPCを立ち上げる始末。
結果、開演には充分間に合ったが、少し心臓がばくばくした状態で観始めた。
よかったところ①
全体を通して出演者全員が「ぎこちなかった」ことが、かえってよかった。
ここで言いたいのは所謂「ヘタウマ」だったということではない。
オンラインにおけるコミュニケーションで何かが欠落してしまうこと=従来の「生」のコミュニケーションとは何かが違うことは、誰もが気がついているだろう。その欠落や差異を、何かで(例えば演技で)隠したり補ったりするのではなく、そのまま提示されたことで、観客も含めた全員がバラバラの場所(おそらく自宅)にいて、みんな遠くから疑似的に集まっていることを実感させられた。
断片的なイメージが押し迫ってこない・回収されない
イントロダクションで幾つか質問が投げかけられたあと、「夢のつちけむりに埋もれ眠った街、パリ」へ観光に行こうと出演者から観客へ提案がなされ、miroへのリンクが送られてくる。そこに飛ぶと、miroのあらゆる機能を駆使してつくりあげられた「夢のまち、パリ」が出現し、2名のガイド・他の出演者・観客の全員でその街を観光していく。
このガイドの話ぶりも、話している内容も、実に「ふわふわ」して聞こえる。この街のことをよく知っているのか知らないのか、ガイドをしたいのかしたくないのか、真面目なのか不真面目なのか、私達観客に向かって話しているのか、二人のプライベートの観光に私達がついて行っているだけなのか、もっと言えば、上演したいのかしたくないのかも、よくわからないのだ。2人のガイドが、つちけむりの向こうに霞んでいるようだった。
媒体を横断する瞬間の視覚的・体験的な断絶も含め、その捉えどころのなさと不確かさが、「夢をみているみたい」だった。
この「夢みたい」というのは、豪華絢爛で圧倒的な「夢みたい」ではない。
変な夢を見た時の、何であの人が出てきたんだろう、何であんなことが起こったんだっけ、何であんな場所にいたんだろう、いなかったんだっけ、という、もやりとした余韻が残る、という意味での、「夢みたい」だ。
私は夢のなかで何度も起きては非合理的な行動をし、また目覚めるといった類の夢をたまに見る。「パソコンの画面とそれを操作する私」の周りには、確実に私の部屋という、生活の様々の記号を含有した現実が取り巻いており、いくらでもそちらに意識を向けることができる(コップで水を飲む・カーテンを閉めるなど)。だが私は同時に、パリ観光ツアーに参加するという役割を「背負わされている」わけであり、現実の生活を送ることと仮想のパリを観光することを両方遂行していた。
上演は、現実に起きていることだが「夢みたい」なので、何か謎が解けたり、観客の靄が晴れるような何かはまったく提示されず、終演する。
しかし、不快でも不満足でもない。日常とも非日常とも言えない、いろいろなものの狭間に置かれた時間だったからだろうか。或いは、私の身体は私=観客でありながら、カーソル=私の仮想的身体は「観光客」として演じていたからだろうか。「劇場で」「生で」行われる演劇の上演とは異質な体験であった。
よかったところ②
華やかな夢の街、パリを観光する中で、ガイドの説明や巡るスポットの中に、「死」を連想させる言葉やモチーフが終始出てくる。
それが最も直接的だったのは、10分強のYouTube動画であろう。イメージが濁流のようにイヤホンと視覚を伝って脳内を通過する。反芻する間もないスピードで過ぎ去っていったので、総じてあの動画が何を語っていたのか、私にはざっくりとしか言えないが、動画以外のことも鑑みて、それでも言葉にするとすれば、「20代の彼ら/私の目には見えない・想像できない死がある」であろうか。
他者の死について、本当に語ることなどできるのだろうか。例えば歴史に名が残らない人。公園で亡くなった、ニュースにもならないホームレスの死因は?孤独死し、数か月放置された後白骨化した状態で見つかった人の息を引き取る瞬間は?
何かを語りたいと思う時、人はそれを語り得る方法を探す。演ゼミの卒業生が辿り着いた答えは、「今の自分達には語り得ない」ということだったのだと思う。
それでよいと思った。その方がよっぽど誠意があると思った。活動に制限がかかり、自由に飛び回れるのはネットの世界だけ、という状況で、「そのネットの情報の向こうには現実と人間の生活・人生がある=上演中画面の向こうには複数の人間の現実がある」ことに真摯に向き合った結果、或いは過程であると思った。
〈3.11〉からインターネット
中学2年生の終業式直後、私の人生でもっとも長く奇妙に校舎が揺れた。これが、私の体験した〈3.11〉である。札幌は地盤が安定しており、物が落ちることもなく、机の下に入ることもなく、ただ揺れを感じ、少々酔った程度だったと記憶している。
家に帰ると、どのテレビ局でも大量の水が町になだれ込む映像を放送しており、そのうちに白い建物からおおきな雲のような煙が飛び出した。水の中から、僅かに人の手が空へ伸びているのが一瞬見えたような気がしたことを鮮明に覚えている。
怖いとも、悲しいとも、正直あのときは思えなかった。まるで現実だとは、海を少し超えた先の日本の出来事だとは、頭ではわかっていてもどうにも実感できなかった。
高校1年生の時、初めてiPhoneを買ってもらい、TwitterとLINEを始めた。中学生の時に持っていたガラケーに比べて、格段にインターネットに接続しやすくなった。
大学生になり、私のTwitterのタイムラインには、学校の人の「◯◯とミスド~」的な呟きよりも、政治のこと、文化のこと、世界のこと、ジェンダーのこと・・・あらゆる「経験」とそれに対する「意見」が流れ着くようになった。10年前のテレビの映像に比べて、今のネットの情報は私に、「すごく遠いのに実感できるもの」として訴えてくる。
狭小な私のタイムラインは、まるでそれが世界の動きすべてを網羅しているかのような態度にみえる。Googleは、全てを知っているようなので先生と呼ばれるようになった。
だが改めて、私がそれに対峙する時の態度も確認しておこうと、この上演を観て/参加して思った。自分のことでさえすべてを語ることはままならないのに、他者の発信した情報を、或いは他者のことを、自分の言葉に置き換えて語ることはできない。しかし、語ってはいけないわけではない。
だから、このnoteで、私は練習するのかもしれない。方法を探るのかもしれない。
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