大変なことが多いからこそ、得られる喜びが大きいという話
先日、会社の後輩が「人生って大半が苦しいことの連続だと思うんです。楽しさってほんの僅かな気がします」と吐露していました。
この話を聞いて、「いや、そんなことないよ!」ではなく、「本当そうだよね」という共感の気持ちで聞いてました。
ここからはあくまでも持論です。
なぜ、後輩が言っていたように感じてしまうのか。
考えてみると、私たちは生きるために必死です。
人間が生きることは、過去の歴史を振り返ると
当たり前のようになっていますが、そんなことはない現実もあります。
生きるためにはお金を稼がないといけないし
そのためには自分の能力を引き上げて貢献しないといけないし、勉強嫌いな人にとっては、一生続く勉強に向き合わないといけないからです。
そして、他者と共存する限り、自分の思うがままに生きることは難しく、他者に気を使うことも必要ですし、我慢したり、喧嘩したりもします。
そして、社会に出てから誉められることばかりではなく、叱られることも増えてきます。
アドラー心理学で、人間の悩みは8割?が対人関係(記憶が正しいかわかりません)と言われていますが、多くは対人関係から起こる悩みがあると思います。
後輩も、誰からも特に何も言われることなく、
自分のしたいこと、マイペースに生きられれば、
今の苦しみはなくなるかもしれませんが、
他者と共存、お金を稼ぐことがなくならない限り、
なくせない悩みを吐露してくれているのだと思います。
ここだけ書くととても暗い話になりますが、
私はこのような大変さがあるからこそ、
僅かな喜びがあり、とても嬉しく感じられるのだと思います。逆に困難や不便なく生きることができた場合、喜びの場面は少なくなり、退屈で、感情の動きがあまりない人生になるかもしれません。もちろん、そのような生き方が望ましいという考えもあると思いますが。
ある程度、ヒヤヒヤすることや、悔しいことや、落ち込むことのような、ストレッチが効いたスパイスがあるからこそ、嬉しい出来事が嬉しい出来事に感じられるのではないでしょうか。そんな時、生きてて良かったとか、やっぱ人生って楽しいって思う瞬間だと感じます。
また、今までを振り返ると、苦しい場面ってその時はどうにかなりそうな気持ちになりますが、大体何とか乗り越えることができていると思います。大体のことは乗り越えることができますし、また乗り換えた時に、力強く生きる力がついています。
何度か繰り返していると、大変な出来事の時期が、大変に感じることが少なく、「また、ストレッチの時期だ」くらいな感覚で捉えることもできてくるのかもしれません。
毎日楽しそうに生きている人たちを見ていると、苦しいことが全くない、ではなく、苦しいことに直面しているのに、前向きに受け止めている。そのようなメンタルができあがっていることの方が多い気がします。
なので、後輩が言っていたことはまさにそうなのですが、経験していくと、段々と苦しみがあるからこそ、喜びが得られると感じる日もくるのかもしれないと思いました。
あくまでも、私の持論であることをご了承ください。
今日は大変なことと喜びについて、書いてみました。
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