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こどもの頃のごはんの話。ー手作りしたい理由ー



自分で思い出しても少し切なくなるような話なのだけど、昨日、職場の同い年の利用者さんと夕食時に話をするなかで自分が小学生のころの我が家のことを思い出し、それについてnoteに書いてみたくなった。僕は3年前から奈良で障害のある人のケアの仕事などをしていて、その仕事のうち利用者さんたちとの雑談が占める割合は少なくない。

どんな文脈だったかは忘れたけど「こうへいくんはいつから料理してるの?」と聞かれ、「小学生のころからしてるよ」と答えてから、気づけば当時のいろんなことを思い出してべらべらと話していた。

自炊の始まり


小学校高学年くらいのころの話だから、いまからもう17年くらい前になる。物心つくまえに母を亡くしていた僕は当時、父方の祖母と、父と兄と4人で暮らしていた。父は遅くまで仕事の日も多く、家事などは祖母が母親代わりにしてくれていた。

4つ歳上の兄は当時中学生だった。はっきりと自分の意見を言うタイプの兄は元々、気が強くわがままなところも多かった祖母とは折り合いが悪かったのだが、反抗期ゆえなのか、いずれ精神科で診断を受けてわかった統合失調症のせいかはわからないが、兄は祖母とよく喧嘩をし、家庭内外でやんちゃな行動をよくしていた。やんちゃといっても、塾をサボるとか、学校で友人と喧嘩をするとかその程度のことだったと思うが、スパルタ教育で僕らを育てていた祖母にとっては大問題だったのだろう。兄のことが手に負えなくなったと感じて精神的に参ってしまった祖母は、僕が中学に上がるタイミングで僕を連れてその家を出て引っ越すことになるのだが、それ以前から、気力がなくなって寝込んでいることが時々あった。

食べ盛りの僕は、そういうときは夕食に、冷凍庫に入っている冷凍食品のシューマイやから揚げなどをチンして、炊飯器のお米をよそってひとりで食べていた。

祖母は元々料理があまり好きではなく、元気でご飯を作ってくれるときも、僕がマーボー春雨が好きだといえば何日も続けてマーボー春雨が夕食のメインになったりしていた。永谷園のマーボー春雨はフライパンにお湯を沸騰させて春雨とスープを煮込めばいいから楽だったのだろう。(それでも、60歳を超えてから再び子育てをすることになって、体力的に大変ななかご飯を作ってくれた祖母には感謝している。)休日の朝は家族の分のご飯を買いに僕がよく近くのコンビニにおつかいにいった。祖母はぶどうぱんや納豆まきが好物だった。

野菜をしっかり食べたほうがいいということは、4つ上の兄がよく僕に言ってくれていたことだった。そういわれた僕は、少しでも野菜がとれるよう、夕食に冷凍食品のシューマイをチンするとき、キャベツをちぎって一緒にチンして食べていた。インスタントラーメンを作るときもなるべく野菜を入れるようにしていた。

カップや即席の味噌汁にもよくお世話になっていたと思う。スーパーやコンビニでよく売っているカップの豚汁が僕は好物だった。汁物なのに肉が入っているのが嬉しかった。冷凍食品とカップ味噌汁と米があれば、小学生の腹はそれなりに満たされていたのだが、家族が家にいるのにひとりで夕食に冷凍食品を食べるのは少し寂しいものがあった。兄は中学のころから、塾帰りに駅前のうどん屋さんでうどんを食べて帰ってきたりしていたし、しんどいときの祖母はたべることにもあまり興味を持てず、レンジで温めて食べるパックの白ご飯にきな粉をかけて食べたりしていた。戦時中を、サツマイモを食べて過ごした祖母にとっては、それでも十分だったのかもしれない。

僕が5年生くらいのとき、休日の昼に誰もご飯を作らなかったからみんなの分を作ろうと思い立って、たまたま冷蔵庫にあった、チルドの八宝菜を作ったことがある。ほかの具材とスープはパックに入っていて、キャベツを入れて炒めたら完成するような簡単なものだったが、まだ料理に慣れていなかった僕はキャベツにしっかり火を通そうといて具材をを焦がしてしまった。

けれどほかに食べるものがなかったので、それをメインにして、祖母と兄と一緒に食べた。「焦げてるなあ....」と言いながら、静かに3人で食べた記憶がある。

ぼくは悲しい気持ちになりながら「もっとおいしい料理を作れるようになりたい」とひそかに感じていた。

外食の思い出

父が大企業に勤めていたおかげで経済的にはある程度豊かだった我が家は4人でよく外食もしていたけれど、仲の悪かった家族は外食先でもよく大声で喧嘩していたので、こどもながら恥ずかしく、悲しくもあった。

けれどたまに兄が近くの餃子の王将に連れて行ってくれるのは嬉しかった。兄のこぐ自転車の後ろに乗って兄の肩につかまり、休日の夕時にふたりで出かけた。夕陽がとても綺麗だった。いまはもう閉店した八尾の青山町の王将の、広くて油にまみれた店内で、大きなから揚げや餃子やチャーハンを、厨房の見えるカウンター席で兄と分けながら食べるのが好きだった。思えば兄も当時まだ中学生だった。

手作りのお弁当

中学生になって、家族4人で住んでいた八尾の家を離れて祖母とふたりで暮らすようになってから、祖母は僕の弁当を作ってくれていた。当時大阪市内の僕の通う公立中学にはまだ給食がなかった。料理が好きじゃない祖母が作る弁当は冷凍食品がほとんどだったが、僕のいた中学は家庭環境が複雑な人も多く、弁当がなくて食堂で昼ごはんを食べる人も多かったので気にならなかった。祖母がしんどくて弁当を作らない日は、僕もときどき食堂を使った。公立中学に食堂があったのは当時でも珍しいと思う。狭い食堂だったがカツどんやラーメンなどがおいしくて人気で、特に人気だったのはうどんのスープで食べるラーメンだった。がたいのいい、やんちゃな男子たちがよく「ラーメン和ダシで!」と注文していた。

高校に上がってから僕はまた引っ越して、次は父と二人暮らしになった。当時父には交際している女性がいて、その人は料理が上手だったので時々僕に弁当を作ってくれた。週に2回ほど、近所に住むその人の家まで自転車で弁当をもらいにいってから電車で通学していた時期もあった。好きな海老の炒め物などが豪華に入っていた弁当はおいしかった。

「お袋の味」というものを食べたことのなかった僕は(母は僕が0歳のときに亡くなっていたし、祖母のごはんはレトルトのものやデパ地下の惣菜が多かった)そのころに手作りの料理のすばらしさを知った。高校のころに付き合っていた彼女がたまに弁当を作ってくれたときも、泣きそうになるくらい喜んだ。

高校のころは二人暮らしをしていた父が夜遅くに仕事を終えて帰ってくることが多かったから、だいたい夕食をひとりで食べていた。生協の宅配で注文したものをよく食べていた。注文する食材を選ぶのも僕がやっていたから、大好きなサーモン丼の具(冷凍のサーモンとたれがついていて、解凍して語ご飯に乗せればサーモン丼になるやつ)や、冷凍食品のケンミンの焼きビーフンなどをよく頼んで一人で夕食に食べていた。ケンミンの焼きビーフンに生卵とソースを少し加えてご飯と一緒に食べるのが好きだった。


働き出してからの料理

大学で一人暮らしをしてから、節約のためにも、自炊をするのは当たり前になった。とはいっても、基本的に食事は安ければそれでいいと思っていた(例外的に好きなラーメン屋にはよく食べに行っていた)し、日々の生活より旅行にお金を使いたかったから、レトルトパスタの日や100円ローソンのグリーンカレーの缶詰とご飯だけの日もあって、手の込んだ料理をすることは珍しかった。タイカレーは好きだったのでココナッツミルクとペーストを買って自分で作ることは時々あった。

今の仕事をしてから、昼に利用者さんらと料理をしたり、福祉ホームの朝食作りをすることが増えた。日々繰り返すことだから、ちょっとずつおいしいものが作れるようになり、「今日の朝ごはんおいしかったわ。ありがとう」と利用者さんに言ってもらえると、またおいしいものを作りたい気持ちになった。プライベートの時間でも、いろんな料理に挑戦するようになった。ベトナム料理にはまっていたこともあるし、家庭菜園のゴーヤを使っていろんなレシピを試したこともある。松屋がジョージア料理のシュクメルリを期間限定で出していたときは、家で育てたパクチーを使って自分でも作ってみた。2月からはほぼ毎日、トーストをフライパンで焼いて目玉焼きなどと一緒に食べる朝食を作るようにしている。


ご飯を作ってくれる人

遠距離恋愛の彼女がいるのだけど、食べることや料理が好きな人で、僕の家に遊びに来てよくおいしい料理を作ってくれる。僕が彼女に料理をふるまうこともあるし、一緒にケーキやお菓子を作ることもある。

外食に行くこともあるけれど、彼女の手料理や、一緒に作ったものを家で食べるのが僕は好きで、お酒を飲みながら家でゆっくり食べる時間が一番楽しい。

手作り料理は、作った人の好みの味になるから、何よりもその人らしさが出るように思う。自分で作る普段の料理にはない味、外で食べたり、惣菜を買ってくるのとはまた違う味があって、ただおいしいかどうか、とはまた違うおもしろさがある。たとえもしも、自分の口に合わないことがあったとしても(嬉しいことに彼女の料理は毎回おいしい)それもそれでおもしろいと思えるだろう。その人らしい味というものに温かみを感じるから、僕もできるだけ、手作りにこだわりたいと思う。


明後日は父親の還暦祝いで家族で集まって、手料理をふるまう予定だ。

ひとりで寂しく夕食を食べていた小学生のころの自分を、今、家族や友人や、好きな人たちと囲む幸せな食卓に招きたいなと思う。


この人の作る料理をまた食べてみたいと思える人や、一緒に食卓を囲みたいと思える人が、これを読んでくれている人にもいるといいな。

こんな時期だけど、外に出ることが減ったおかげでゆっくり家で家族とご飯を食べる喜びを感じる人が増えたら、それはそれで良いことなのかもしれないな。



#料理

#食卓

たまには遠くを眺めてぼーっとしようね。