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初めてマレーシアに行ったときのこと

僕が最初にマレーシアに行ったのはまだ19歳のときで、一年の浪人期間を経て大学に入った年の、夏休みのことだった。

当時所属していた国際系のサークルは10人前後のグループに分かれて活動していて、8人いた僕のグループのうちの6人で夏休みに海外旅行に行くことになった。1回生だった僕ともうひとりの男子メンバーが中心に企画し、東南アジアに行くことに決めた。行き先はマレーシアとシンガポール。夏休みといえど、それぞれバイトや他の予定もあるから、往復の飛行機も含めて6日間で2カ国を回る、少し忙しめのスケジュールだった。関西国際空港から飛び立ってマレーシアについたのは夜遅くで、もう真っ暗な空港の外で客を待っていたタクシーに2台に分かれて乗りこみ、メモしておいたホテルまで連れて行ってもらた。

別の大学で仮面浪人をしてから大学に来たメンバーが、以前の大学で入っていた国際サークルで知り合ったという、日本語が話せるマレーシア人の友達と事前に連絡をとってくれていた。旅行当日はその友達に、彼が日本語を学んでいるマラヤ大学(Universiti Malaya)を案内してもらった。その友達はマラヤ大学で日本語を学んですでに数年たっていて、面倒見の良い彼は、日本語を習い始めたばかり後輩を、日本人である僕らに会わせてくれた。

その後輩は僕らと同じでまだ一回生で、当時日本語を大学で学び始めたばかりで、先生以外の日本人と日本語で会話するのが初めてらしかった。やわらかなイントネーションでゆっくりと日本語を話す彼は笑顔が素敵な好青年だった。その後日本に遊びに来てくれたときに一緒に京都を回ったり、日本で働くようになった今も時々遊ぶ仲だ。

働くマレーシア人を見て

最初にサークルの旅行でマレーシアに行った当時、僕はある飲食店で働いていた。大学に入って間もないときの僕は自分に合ったバイトを見つけるという発想すらなく、とりあえずどこかで働いて生活費の足しにしようと、大学の掲示板に募集が貼られていたその店の面接に行き、採用された。アルバイトへの当たりが強く、厳しい職場で、すぐにやめていく人も多い店だった。毎回憂鬱な気分で店に向かっていたのだけれど、やめることを言い出すこともできず、しんどい日々を送っている時期の旅行だった。

それまで海外に行ったことがなかった僕は、「働く」ということに対して、厳しく、我慢しないといけないもの、というイメージがあった。しんどいことがあってもお客さんに笑顔で丁寧に接する日本の飲食業やコンビニ、スーパーの店員さんの印象が強かったのかもしれない。だからバイトで店長や先輩からきつい言葉をかけられても仕方ないと思って続けていたのだろう。

そんな中、初めての海外旅行でマレーシアに来て、マレーシアの露店の店員や、娯楽施設のスタッフの姿を見た。プライベートと変わらないだろうと思うようなざっくばらんなノリでものを売る人や、閉店時間の少し前から、自分たちが客のようにふざけて遊びながら店じまいを進めていくスタッフ。「こんな働き方をする人たちがいるんだ。日本での当たり前がすべてじゃなかったんだ」と、心の中のしこりのようなものがぽろっと取れて楽な気持ちになれた。

もちろん日本人よりまじめに働いているマレーシア人もたくさんいるだろう。どちらが良いとか悪いとか言う話でもなくて、今自分がいる世界と違うものを見て、それまでの自分の当たり前を、たくさんある当たり前のうちのひとつに過ぎないんだと知ることで、ずいぶんと楽になるものなんだなと感じた。

幸いなことに自分は今、おおむね自分に合っていると思える環境で楽しく働けている。もちろん大変なこともあるし、自分には向いていないと思うことも時々あるけれど、他にしたい仕事ができるまで、しばらくは続けたいなと思える職場に出会えて良かったと思う。大学一回生のときにやっていたバイトは結局4ヶ月ほどでやめて、他のバイトでも辛いことも経験したけれど、いろいろなバイトをするなかで、自分に向いているとか、楽しいと思える仕事を見つけることができるようになった。

8年前、僕と同じ大学一回生だったマレーシア人の友人たちと、おととい奈良のみたらい渓谷に遊びに行き、家でpodcastを録るのに付き合ってもらった。

そのときに出たのが、いま日本で働く彼の職場の話だったから、録った内容を聞き返しながら8年前のマレーシア旅行で感じたことを思い出して、noteに書いてみました。

今回のpodcastは、言葉の力って不思議だと思わされるような内容です。ファリス君の話、良かったら聞いてみてください。

しんどいときにしんどいって言えることって、すごく大事だな。

http://pilotlightcoffee.com/archives/722

たまには遠くを眺めてぼーっとしようね。