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COTEN RADIOヘレン・ケラー編の最終回に感じた愛と優しさ



先週、COTEN RADIOのヘレン・ケラーとアン・サリヴァン先生のシリーズが終わった。高杉晋作のシリーズのときもそうだったのだけど、最終話は感動的で、その日の朝、仕事で利用者さんを車で迎えに行くときに聞いていたら朝からうるうるしてしまった。

「COTEN RADIOって何?」って思った人がもしいたら、ぜひ調べてみてほしい。僕は今年の2月にこのpodcastに出会ってから(意外と最近)いろんな人に勧めまくっているけど、だいたいの人がおもしろいと言ってくれて、何人かは別の人に紹介してくれたらしい。

語られる歴史上の偉人のエピソードのおもしろさもさることながら、このラジオをしている3人の特徴とも言える、特有の人間観、人生観が共感を呼んでいるのだと思う。

・”人間”という存在一般への関心の高さと、違う価値観の人を理解したい気持ちの強さ

・結局自分がやりたいことをした人が歴史を動かしたから、僕らもやりたいことを一生懸命にやった方がいいという歴史観、人生観

・そしてもうひとつは、今回ヘレン・ケラーとアン・サリヴァン先生のシリーズで改めて浮き彫りになった、歴史上の偉人たちの(忍耐力の必要な)愛と優しさへの敬意


今回はこの、3つめについて短く書いてみたい。

(ヘレン・ケラーシリーズ最終話のネタバレします。)

「障害のある男性テニーのローラ・ブリッジマンへの愛情が、ヘレン・ケラーの言葉の理解と世界的な活躍に繋がった」という解釈


6月25日に配信された、coten radioのヘレン・ケラーとアン・サリヴァン先生のシリーズの最終話では、サリヴァン先生の死後のヘレン・ケラーの人生や、世界中での講演の日々、日本とのつながり、そして、ヘレン・ケラーの残した名言などが紹介された。

どれも興味深かったのだけど、僕に一番響いたのは、ローラ・ブリッジマンを支えた障害のある男性、アーサ・テニーの話。ローラ・ブリッジマンは、ヘレン・ケラーより前の1830年代に2歳で視覚と聴覚を失った(ヘレンが生まれたのはその約50年後)が、パーキンス盲学校でハウ博士に点字と指文字を習って言葉を身につけた。サリヴァン先生(実は彼女も一時期視力を失っていた)はヘレンの家庭教師になる前に、パーキンス盲学校で老齢のローラ・ブリッジマンと交流があり、指文字で2人は会話を行っていた。その経験がヘレンの教育に繋がったと言われている。

家族に愛情を注がれたヘレンとは違い、幼少期のローラ・ブリッジマンは家庭で父親などに虐待を受けていた。ところが、精神に障害があり、自身も発話によるコミュニケーションができなかったというアーサ・テニーが幼少期のローラ・ブリッジマンを慈しみ、彼女と遊び、ネイティブアメリカンの手話などを教えていた。そのおかげでローラの発達が促され、その後ローラは言葉を身につけることが可能になったと、ハウ博士が言っていたそう。

(この話は、coten radioの内容以外に、NHKのハートネットTVのサイトやwikipediaも参考に書いています。最後にリンクを載せます。)。

COTEN RADIOの深井さんは、テニーがいなかったらヘレン・ケラーはサリヴァン先生の教育で才能を開花できていなかったかもしれないというようなことを言っている。

名もない人たちの存在が、ヘレンの存在につながっている。

母親と妻が聴覚障害だったために聴覚の研究に情熱を注いだグラハム・ベルもヘレンの教育につながったことにも言及して、「いろんな人の愛情で、ヘレンの人生が成り立っている。」と言った深井さんの発言は、なんというか胸に響くものがあった。


障害のある人を支える仕事

僕が日々本業としてやっている障害のある人の生活の支援は、大変なことも多いし感情のコントロールが必要な場面も少なくない。毎日のトイレ介助や入浴介助は、行為自体は地味と言えば地味だし、それを続けることで何か大きな成果や達成感を得られるものでも無い。パニックになった利用者さんに冷静に対応するのも、なかなかの忍耐力が必要だ。(一方で利用者さんに自分が支えられてるなと思うこともたくさんあるのも事実なんだけど。)

だけどもしこの仕事が存在しなくて、障害のある人のケアをする人がいなくなってしまったら、その人自身や家族ばかりが大変な思いをすることになるだろう。それはおかしいし、障害があろうがなかろうが、身体に不自由があろうがなかろうが、その人にある程度幸せな暮らしを送っていてほしい。そんなことを思いながら僕は働いている。

当たり前にはできないような大変なこともあるけれど、この仕事が当たり前にあることで、障害のある人も苦労しすぎることなく生きられる世の中であってほしい。だから当たり前のふりをして踏ん張るときもある。

この仕事で目の前の人のニーズを直接満たすことにも大きな価値があると僕は思っているけれど、こうやって僕らが日々ケアの仕事をすることが、その人だけでなくて、何か外の人にも連鎖して、どこかで他の人の喜びにも繋がっているかもしれないなと感じ、この深井さんの言葉に励まされた。


歴史の解釈の仕方は自由だからこそ、話す人の個性が出る

前述の深井さんの言葉を受けて、樋口さんが、愛情のバトンを多くの人が繋いでそれがヘレンに繋がったと言っていて、いいことを言うなあと思ったのだけど、何がその後の歴史に繋がったかというのは、どうとでも解釈できる。例えばローラが家族に虐待されていなかったらテニーとの時間はなかったのではないか、とか、サリヴァン先生が最初ヘレンに厳しく対応して言うことを聞くようにしつけなかったらこのような教育はできなかったとか、どこにスポットを当てるかで、伝えるメッセージは変わってしまう。

だからこそ、障害のある青年テニーのローラ・ブリッジマンとのエピソードや、ベル博士の、聴覚障害への母への想いから聴覚の研究が進んだ話などにスポットを当てて話す深井さんたちのラジオは、彼ら自身の人への愛情や、愛することを素晴らしいと思う気持ちがにじみ出ていると感じた。そういった温かさを感じるから、また次のエピソードを聞きたいと思うんだろうな。


最後に、このラジオがなかったらヘレン・ケラーとサリヴァン先生の人生についてここまで学ぶことはきっとなかったと思うので、本当に感謝しています。

(めっちゃネタバレしてしまいました。迷惑だったら削除しますのでその場合は、ヤンヤンさん教えてください。)




たまには遠くを眺めてぼーっとしようね。