装幀界の巨匠・川上成夫さんから教わったこと――「魂を込めて作った本は必ず伝わるんだよ」
川上成夫先生が亡くなった。
いまでもまだ、信じられない。
秋に突然入院されたと聞いたから、慌てて見舞いに行ったら、事務所からMacを持ち込んで、「ここで仕事をするんだ」と笑っていた。
あれ? パソコンは使えない人じゃなかったか……と思ったら、会社のスタッフを通わせて、直接指示を出すんだ、という。
事務所からは、そこそこ距離もある。ここまで来る女性スタッフのほうが大変そうだな、と思ったが、実際には当の彼女たちがそのことを何より喜んでいるようにも見えた。
川上成夫。
職業・デザイナー。
巨匠といわれた装幀家が、突然、この世を去った。
* *
川上先生に親しくお会いしたのは5年前のこと。
雑誌編集部の時代から、よく書籍部宛てに電話がかかってきていたが、ぶっきらぼうで、せっかちな話し方で、会う前は正直、苦手だった。
でも書籍部に移り、嫌でも事務所へ行かねばならなくなった時、いっぺんに先生のことが好きになった。
いくら聞いても聞いても、止めどもなく溢れ出てくる本の話。
年齢が倍も離れた僕に、編集者よ、かくあれと語る言葉は、70近い人とはとても思えぬほど、熱く、どこか色っぽかった。
二度目に事務所へ行った時、「あなたはいままでここへ来た編集者とは全然違う。この仕事に命を懸けてることが伝わってくる」と言ってもらえた。胸が熱くなった。
その後もお会いするたび、持って行った企画のタイトルや、コピー案を元にどんどん話題が広がっていき、いつも話は、編集者のあり方について、というところに行き着くのだった。
昨年1月。
先生は編集者向けセミナーの講師として登壇され、まる半世紀に及ぶデザイナー人生を振り返られた。
小学校の担任に絵の上手さを高く評価され、新設する中学校の校章を13歳にしてデザインしたこと。
会社勤めの傍ら、夜間のデザイン学校に通って基礎固めをし、25歳で独立したこと。
その後、『新明解国語辞典』や『アドルフに告ぐ』『アイデアのつくり方』『修身教授録』など話題作を次々に生み出していったこと。それらの本は、ブックデザインの金字塔として、いまも本屋で売れ続け、読み継がれている。
話題は、最近出たベストセラーにも及び、100万部を超える本と、そこそこで勢いが止まる本は一体どこが違うのか・・・・・・など、他にもたくさんスライドを用意されていたようだが、熱い想いが溢れ過ぎて、後半は完全に持ち時間がなくなった様子だった。
9月。
先生は、病床の人になっていた。
著者の先生の意向を受け、最後の最後、大詰めまで来て、次に出す本のページの多くに大幅な修正をお願いしてしまった僕。先生は受話器越しに声を張り上げ、
「なにおかしなこと言ってるの!」
「編集者として、ちゃんと言うべきことは言わなきゃ」
等々、こっぴどく叱られた。これまでで、一番激しい叱責だった。
「小森さんの言われるとおりには、とてもできませんよ」
そう言い終えると、電話はガチャリと切れた。
5日後。
送られてきたメールの画面を開いて、ハッと息を呑んだ。
あの日、僕がお願いしたデザインの修正が、全ページ分、忠実に反映されていただけでなく、1ページ1ページ、実に入念で、読む人への、さらに細やかな配慮と工夫とが施されてあった。
「魂を込めてつくった本は、必ず伝わるんだよ。だから魂を込めて仕事をしなきゃ」
事務所でいつも口にされていたことを、先生はその際(きわ)においてなお貫かれたのだった。
2017年12月25日。クリスマスの日だったという。年明けに、ご家族から伺った。
川上先生が亡くなった。
大好きな人が亡くなった。