なりたい自分に
入社という形で、「はたらく」が、始まったのは、18歳の頃。
実業高校だったから、求人は、それなりにあったし、バブル期だったので、待遇的にも悪くないものが多かった。高校生だったので、その進路については、両親の意見もかなり、影響する。
高校の進路指導では、
「何が、やりたい?」
そんな風には、聞いてくれていたと思う。進学も含めて、私のやりたいこと?どうしても、進学したいわけではないから、就職でいいと思った。両親と話合いをしたわけではないし、強く反対されたわけではなかったけれど、当時の実家の経済状態を考えると、自然に就職だろうな…考えていた。後々、「進学したい…なんて、言われなかった。」って、言われたけれど。
就職なら、どんな仕事を?
その時点で、特別な勉強をしていたわけでは、なかったけど、好きなことや得意なことって、なんだろう…って、考えた。
お絵描き、イラスト、工作、お手紙、妄想…とてもじゃないけれど、仕事に結びつく気がしない。どの求人票を見たって、そんなスキルは求められていない。高校生の求人は、特に、事務・販売・製造…なんて、カテゴリー。
もし、進学という選択があって、誰かのアドバイスがあったら、それに繋がることを学べていたかもしれない。美大やデザインの専門学校など。小さな会社や、お店なら、高卒でも関わる仕事に触れて勉強出来たかもしれない。なにも勉強してきていない高校生をクリエイターとして迎えるわけなど、ないのだから。
そんなことを、今さら言っても仕方ないことだし、社会の仕組みだし、誰かのせいにしたいわけでもない。
ただ、漠然とだけど、自分なりには、こんなことがやりたいんだろうな…と感じていたような気がする。ざっくり、「デザイン」とか「文章」なんてワードが、もやもやとしていたような。
もやもや…だから、それは周りの大人達から意見されたら、吹けば飛ぶようなつぶやきだった。
なるべく大きな会社で、出来るだけ事務職。そういうところで、出会う人と結婚すればいい。類は友を呼ぶ…のだから。デザイナー?…そんな仕事、お前に出来るわけがない。
これが、両親の意見。失敗しないように、限られた条件の中での最善を選択したのかもしれない。デザイナーなんて、そんなハイカラな職業…っていう概念だったんでしょうね。
結果、地元企業だけど、社名を言えば誰でも知っているメディアのグループ会社に就職。高卒の私は、印刷会社の文字データ入力部門に配属。
当時は景気がよかったせいもあって、トラック運転手だった、父親が自分と比べてボヤく程のボーナスもいただいた。なのに、やっぱり、もやもやは、数年、働いた後もなくなっていなかった。この会社には、デザイン部があって、そこでポスター、パンフレット、チラシ等、書籍のデザインをしたものが、私達の部署に流れてくる。私が文字データを入力し、次の工程で指示通りに、組み立てて行く。
もう、わかっていた。やりたかったのは、それだった。デザイナー達は、全員、デザイン専門学校を卒業していた。部署異動希望も、甚だあつかましいチャレンジ。もやもやのまま、結婚して、長女出産を機に、10年弱を勤めて退社した。
ここまでは、「はたらく」ということに関しては、闇歴史。ここからは、私なりにだけど、なかなか、やるな…という、起死回生。
長女と次女が、5学年離れていたので、次女の妊娠までの間に、働こうかな…という時期が。その時に初めて、
POP制作補助【パート】
という某スーパーの求人に応募した。
これが、やりたい!という明確な意志で選べた!補助でも、なんでも!
そして、【パート】という、この時の私には、ありがたい待遇!もう、【パート】万歳!
なぜなら、パートなら補助というところから入れる。お金をもらいながら学べる。一人前を期待されていない。私事情からしても、正社員のように、ガッツリした勤め方は、当時は無理だったし、何よりも、私の収入で生活をしているのではないというのが、逆に強みだった。
が、初ミッションは残念ながら玉砕。スーパーさんも、同じ待遇で経験者だったりすれば、そちら様の方がメリットあるでしょうし、うん、仕方ない。次を探す間もなく、次女妊娠となったことも、御縁がなかったのだと思うことにした。
なりたい自分になる就活
は、一旦お休み。次女出産から保育園に入る頃までは、ひとまず専業主婦。就活は、お休みだけど、この間に「手描きPOP」の通信講座を始めた。好きなことは、楽しかった。勉強が楽しいと思ったのは初めて。この、ご時世、手描き…というアナログが、役に立つ?と思われる方もいるかもしれないけれど、わたし的には無駄ではなかった。後々、手描きを披露するような場面もあったし、ショップ勤めの際は、ちょっとしたPOPは手描きもいい感じ。忘年会のお知らせなどを、手描きで描いたら、内容よりも、お知らせの文章に反応してくれた人がたくさん。なによりも、見てもらうことで、自分に自信が出来たし、「あの人、上手なのよ」から、次の御依頼が。もちろん、最初はお金をいただくようなものはないけれど、回数や続けて行くことが、御縁になっていずれ…ということを、今は実感している。
時系列に戻ると、次女もそろそろ、保育園に入れようかなと思っていた頃、またしても
POP制作補助【パート】
こちらは、ティーン向けの雑貨やアクセサリーの通販をメインにする会社。試験的に店舗での小売販売を始める為のタイミングでの求人。この手の求人は、例えパートでも、なかなか田舎なので少ない。通勤圏内だし、もう、これだ!…って思って、応募。採用の連絡を待つのと同時進行で2、3日くらいで保育園の入園手続き進行。あらためて採用の通知いただいて、慣らし保育、入社…というスピード展開。最初は、出来上がったPOPを、出力して、ラミネートして、カドを丸くカットしたり、パンチをしたりするというのが仕事。補助でもなんでも、初めて、好きなことで仕事して、お金をいただけた。間もなく、デザイン用のソフトを使って、POPを使ってみる?って言われて、二つ返事で。初めて触った、ソフトだったけど楽しくて、楽しくて。
そこから、自分自身の生活や会社の事情が変わったりして、退社したけど、ここからはぶれずに、パートでもなんでも、したい仕事にこだりながら転職した。美大だったり、専門学校卒という武器がない分、不利だったり、理不尽な思いもしたけれど、少しづつのスキルアップで、プロとまでは行かないけど、それなりのこだわりを持って、自分の制作したものでお金をいただけている。デザインを専門とする仕事ではないけれど、お勤めという形でも、それを生かせている。自分の勤めるお店や会社を、よくする為に思い描くPOPやチラシを、形に出来ているのだから。
私の作品を褒めてくれたり、オーダーしてくれたり、また、そうしてくれた方からの御縁で、また、繋がったり。
がっぽがっぽは、稼いでいないけれど、そうやって、働けることが、幸せだと思っている。だから、宝くじが当たって、3億円くらい、転がり込んでも、可能な限り働きたい。
好き…を、仕事に。
好きなことや、趣味を仕事にしない…という人がいるけど、普通は人生のうちで、なかなかの長時間、働く…という作業をする。それが、ただの作業であるより、人となりであるべきではないかと。私の場合は、クオリティーも、もちろんだけど、私らしいものを生み出すことが出来る。その中に魅力的なコピーなどが、降りてくれば、さらに愛着の湧くものが。それは、生き甲斐にもなっていく。ならば、好きでないことを、仕事に出来るだろうか?働けるだろうか?
人それぞれの考え方があるから、何が正しいかなんて、私にはわからないけれど、なりたい自分になるには、仕事や働く…という要素は、大切な気がする。
そんな経験から、小さな頃から、子犬や子猫が大好きで、拾ってきてしまう長女に、トリマーを勧めてみた。身内や知人には、トリマーはいないけれど、この子にはいいかなって。
残念ながら、学校の成績は後ろから数えた方が早い上、ぼんやりしていることもあるので、獣医さんとかは、厳しいかというのもあって。
トリマーだって、ぼんやりしていては、出来ないけれど。お陰様で、トリマー歴5年になるけれど、今のところは、シフト変更はないよう。これからは、わからないけれど、いずれにせよ、好きな仕事を、伸び伸びやってくれたら、いいな。
なりたい自分になれよ。
はたらくって、なりたい自分を育てるんじゃないかな。
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