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「似合う/似合わない」を乗り越えて

今年の初めにあきやあさみさんの「自問自答ファッション講座」を受け、そうして私だけのファッションレポート(制服案)をいただき、ますますをもって最近はJIMONJITOUが捗っている。

そして、だからこそなのだが自分の「好き」や「なりたい」への解像度が深まるごとに「似合う/似合わない」という問題についても、より強く意識するようになっている。

好みの方向性がクリアになればその分「似合う/似合わない」についても気にならなくなった…という方もいるのかもしれないけど。

これは、バランスの問題なのだ。
私自身の「熱中すると脇目もふらずに一直線に進んでしまう」という性格の問題でもある。

何かにグゥっと入りこみそうになると、自分の中で「本当にそのまま突きすすんで大丈夫?」という危険信号が発される。ブレーキがかかる。
手遅れになる前に気づきたいのだ。

だけれども、「手遅れになるくらい何かにのめりこみたい」とも思ってしまう。

そういう二律背反を抱えて、結局いつも(それは自問自答ファッションに出会う前から)ファッションに対しては「とりあえず保留で」というところに落ち着き、とりあえず無難なファッションに身を包むようになった。

熱中グセと同じくらいの強さと面倒くささを持って自分の中にある保留グセ(先延ばし癖ともいう)が、いつだって自分を無色透明に保ってきた。

停滞しつづけたまま何も動きださずに平気で数年過ごしてしまうので、透明ではなくもはや濁っているのかもしれない。

それが今、自問自答ファッション講座の受講を機にようやく前に進みはじめた。

とりあえず、難しいことは置いといて「好きだな」と思うものを買うようになった。買ってから考えりゃ良かろ、と思うことにした。

最初はSAKURAYAMAさんの「りすとどんぐりの長財布(ライムグリーン)」を買った。

https://sakura-yama.com/

SAKURAYAMAさんはあきやさんのご発信をキッカケに知ったブランドさんで、可愛いけれど可愛いからこそ自分には似合わない(持ってはいけない)だろう…と思っていた。

だけど、受講後のファッションレポートが添付されたあきやさんのメールのおすすめブランド一覧にSAKURAYAMAさんのお名前があってとても嬉しかった。(もしどなたのおすすめブランド一覧にも載っているのなら自意識過剰ですみません…!)

私は、イメコンのパーソナルデザインを過去に受講したときの「ガーリッシュなものは似合いません、正反対なので。」という先生の一言をいまだに結構引きずっている。

しかし、そういうコンプレックスを無視させるほどにSAKURAYAMAさんの作るアイテムと世界観は素敵だった。

何よりもSAKURAYAMAさんのブランド名が良い。

「桜」が「山」のように降ってくる、圧倒的で刹那的な幸福感から。

SAKURAYAMAさんのHPより

自分の好きなものとしてキーワードを挙げるなら、「可愛いだけじゃない」なのかもしれない。
そこに同時に寂しさだったり、不穏さや儚さも必要なのだ。

お財布は実際に日常生活で使ってみると、意外にも何の違和感もなく自分の手に馴染んだ。

可愛いのに朴訥としていて落ち着きがあるから、「自分が持ってて変じゃないかな?」「こんな可愛いものを自分が持ってていいのかな」などと拗らせた思考の沼に落ちることもなかった。

留め具の可愛さは筆舌に尽くしがたいのだが、緑色と白い刺繍の本体部分もとても素敵なのだ。

私には、新緑の丘の向こうのぷかぷか浮かんだヒツジ雲に見える。

かわいいのでもういちどみてくれ。

このSAKURAYAMAさんのお財布の購入を機に、湖森の「かわいいもの集め」のリミッターは解除された。

お次は、pot and teaさんの刺繍バッグだった。

知ったキッカケは、今年の「生活のたのしみ展」に関する告知を見ていたら出店予定のpot and teaさんのかわゆ過ぎるバッグが掲載されていたのである。

湖森のハートは一瞬で打ち抜かれた。そのとき歴史が動いた。(けっこう頻繁に動く)

まずはクツ探しから始めようと思っていたのに、あっさりとバッグから買ってしまった。

「生活のたのしみ展」に行って試着してから購入するか考えようと思っていたのに、その数分後にpot and teaさんのサイトから購入ボタンを押してしまっていた。

湖森のスカポンタン!このドテカボチャ!

と己を罵ったが、それはとりあえずのポーズに過ぎず、もう一方では「よくやった自分」と己を褒めたたえていた。

だってゴールデンウイークまで待てないんだワ…。

自問自答ガールズとして試着なしの一発購入はあまり褒められたことではないように思う。

リミッターが外れた拍子の暴挙として、多めにみてほしいと思う。

そして、届いてみて実際に手にしてみたら最高だったので、結果として最高だった。(アホの供述)

ちなみにバッグの詳細については、いずれ一つの制服にできたときに詳しく、それはもうネッチリと語りつくそうと思う。

SAKURAYAMAさんの長財布、そしてpot and teaさんの刺繍バッグと自分が「イイ!」と思うものをためらわず手にして思ったのは、そういった自分の基準で選んだものは自分をさらに新しい世界へ連れていってくれる「発展性」を持っているということだった。

抽象的すぎるのだけど、たとえばSAKURAYAMAさんの長財布をキッカケに私は自分のコンセプトがより強く確立されるような感じがあった。

あきやさんのファッションレポートの〘生活イメージ〙のところに、

湖森さまが長野県の茶室がある一軒家に住んでいます。

縁側で昼寝をしたり、ちょっとさびしい庭で日向ぼっこをしたりして、ぼんやり過ごしています。

ときには友人を招いて練りきりと温かいお茶でおもてなしして、映画を観たりしています。

と書いてくださっています。
(私は将来的に長野県に移住したい。なぜなら山菜が好きだから)

このイメージを現実のファッションアイテムで表現しようとしたときに、SAKURAYAMAさんのこの優しいグリーンの長財布がすごくイメージに近かったのだ。

それは、あきやさんが講演会のときにお話しされていた白いカップを大切にされている店主のお考えが、少しだけわかったような感覚だった。

川口ちゃんさんの素敵な発明のひとつに「クイックコンセプト」がありますが、言葉ではないクイックコンセプトとしてこのお財布はとても自分の中で大切なものになるなぁという温かい予感がありました。

pot and teaさんのバッグも持ってみると、「あ、このバッグには絶対あのアイテムを合わせたい」と点からまた別の点に繋がっていくものがあり、「私がこのアイテムを使って表現したいことってこういうメッセージだ」と大袈裟すぎるひらめきもありました(世に問うメッセージではなく、自分自身に向けたいメッセージね)。

魅力的なオシャレをする人は、何が違うんだろう?
どうして微妙にテイストの違うアイテムを身に着けていても、全体でちゃんと調和しているんだろう。

ずっとそう思ってきたけど、まぁ確かに色使いとかいろいろと論理的なメソッド的なものもあるとは思うのですが、「意味のないものはつけない」感というのはすごくあると思うのです。

あきやさんがご自身のスタイリングについて、「意味のないものはつけない」とお話しされてた記憶があるのですが(うろ覚えですみません!)、その人だけの文脈でデザインされたファッションってとても素敵で、面白くて、生き生きしているなと見ている人に感じさせます。

私の憧れる「魅力的なオシャレ」ってそういうことだったんだなぁと気づきました。

そう思うと、自分はどうやってコーディネートを組み立てていけばいいのかパッと視界が開けたような気がして、「また少し自問自答が進んだかも…❤」とじんわりしたのでした。

この感覚を逃さずに、数日以内に言語化せねば…!と思い、先日早く仕事が終わった日に最近お気に入りの和カフェにノートとペンを持っていきました。

今まで映像としてはモヤモヤ~と浮かんでいた自分の理想の生活イメージ。

机の上にSAKURAYAMAさんのお財布を置いて、目の前のお財布をその霊媒(!!!)に自分のYAZAWAの霊魂(???)を憑依させんとすべく、ためつすがめつしながらムムム…と考える。

何はともあれ、まずはキーワード集めである。

とりあえずフヨフヨ~と漂う頭の中のキーワードをつかまえて、ノートに書いてみる。

朴訥・儚いもの・のんびり・チャーミング・飾らない・小さな楽しみ・あたたかい・和・静寂・よく晴れた日…

はいはいはい、良い感じ。
具体的なモノでいうとどんな感じ?と考えを進めてみる。

木を使ったもの・リネン・真鍮・刺繍・草花モチーフ(大きな花ではなく小さくて素朴な野花)・流線形…

良いですネ~。アクセサリー探しの参考になりそう。
では、自分にとって大切にしたい時間やなりたい生活イメージは?

一息つくお茶の時間・読書・瞑想・お散歩・エッセイを書く(文章を書く)・ピクニック・日向ぼっこ…

どれも「点」ではあるけれども、それらを組み合わせたり有機的に繋いだら「面」になりそうな種🌱たちばかりが見つかりました。

そうか!自分を理解するとは、自分らしいファッションを考えるとは具体と抽象のあいだを行き来することなのだ!

と突然のひらめき。

点ばかり見つめていても何も始まらない。
気が急いて面だけを仕上げようとしてもそれは上っ面だけのハリボテになりかねない。

結局はバランスなのかもしれない。

しかし、バランスの崩れたファッションもまた味があるわけなのでファッションは奥深い。

ファッション素人の私は、あきやさんの優しい手招きのおかげで高すぎる敷居をえいやっと飛びこえたばかりではあるけれど、入りこんだその世界は部屋の壁面すべてが万華鏡のような極彩色であり、天井には無数の星たちが点々と煌めいていた。

ファッションは楽しい。
わからないなりにそう思う。

そして、できることならその素晴らしき世界たちをイッツ・ア・スモールワールドに乗っているときのように「わ~」と色々眺めつつ、最終的には「はいはい、失礼しますよっと」と掻きわけながら部屋を通り抜けて、静かで温かい陽射しに包まれた縁側に落ち着きたい。

そこが私の居場所だと思うのだ。


なんだかとても大切なものを掴めた気がして、ほくほくしながらカフェを出た。

自分に対して「おかえりー!」とハグをしてあげたい気持ちになった。
生まれたっきりどこか遠くでフヨフヨ浮かんでいた風船の紐を、やっとしっかり掴んだ気がした。

駅前の人が多く行き交う大通りを抜けながら、自分は初めて自分がどんな歩幅で、どんなペースで歩けばいいかわかった気がした。
誰の目も気にする必要がなかった。

風の強い日だった。

道ゆく人たちの髪がビュウビュウと揺れていて、それが並木道の木々の揺れと重なって見えてくる。

その一致がなんとも愉快で、こんなのを楽しいと思う人間はたぶん自分しかいないだろうとも思った。(すげー寒かったので)

大好きなシンガーソングライターの新居昭乃さんの言葉を思い出した。

「自分の聴きたい曲を作るしかない」
「こういうのを聴きたいのはこの世に私だけのはずがないことを信じる」

世界は私のためにはつくられてはいない。
だけれども、私は私として生きるほかない。

それがわかってよかった。

私にガーリッシュなものは似合わないよと言ったアナリストさん(というと恨み節っぽいが特にそういうわけではない。私の「大人っぽくなりたい」という当時の要望を汲んでくれた上でのご提案だったのだ。)は、「ボディラインを強調して、ゴージャスな感じの装いをしましょう」と勧めてくれた。

顔タイプ診断のアナリストさんは、「ハッキリした大きな柄のものや、大胆なデザインのものがお似合いになります。華奢すぎたり繊細なものはあまり向いていません」と診断してくれた。

それはわかる。
骨格ストレートでアクティブキュートの私は、たとえば細くて繊細なアクセサリーをつけたとしてもボディの厚さと目力の強さによってその存在感がかき消されてしまって、つけている「意味」がなくなってしまうのだ。

イメコンもまた「意味のないものはつけない」ファッションである(と私は思う)。

それが誰にとっての意味を持つものなのか、それがイメコンと自問自答ファッションの大きな違いなのかもしれない。

どっちも大切だ。

ただどっちも同時に大切にできるほどは、私はまだファッションに習熟していない。

だったら、せめて自分が「正解を知っている」と思えるほうを選んでいきたい。

「似合う/似合わない」を大切にするのは、そのあとでも案外遅くないのかもしれない。

私の大好きな精神科医の名越康文さんが紹介されていたエピソードで、山登りのシェルパ(ヒマラヤの登山ガイドさん)に関する興味深いものがあります。

あるシェルパが、ある程度歩いたらずーっと座ってるねんて。

で、登山客が「まだ時間があるからもっと行こう」と言っても「これ以上は無理」と言う。

「(客が)お金が欲しいのか?あと何ドル払ったら行ってくれる」と聞くと、「今日はスピードを上げ過ぎたので、心がまだ追いついてきていない。」「心はゆっくり登ってくるのでここで待っている」って言ったんや。

だからね、今日一日って「自分の心をうしろに置いてこないこと」。

そう思って僕は必ずうつ病の患者さんにはこの話を言うことにしたんです。

ライブドアニュースのyoutubeチャンネル「【ゲームさんぽ/悪夢の精神分析④アフタートーク】名越先生に思いっきり人生相談しよう!」より

※この動画の5:54~より。

遠目からでも目立つようなデザインのアイテムや、ボディラインを強調したゴージャスでヘルシーなファッションは、ある面では私を魅力的に見せる。

ただ私の心はそこに追いつけないのだ。

好みにそぐわない派手な柄の服を着ると、心がポーンっとはじきだされてしまう。
「間違っているのは自分のほうなのではないか?」と己を見失う。
「受けいれる努力をすべきなのではないか」と思わせられる。

あまりの強さに幻惑させられてしまう。(それもまた時には「ビックリの試着」になるのでしょう👀🌟)

だから、着たくない服は着なくていい。

あきやさんのnoteのおしゃっていることが、ようやく実感を持って理解できた気がします。

スティーブジョブスが「何をしないのか決めるのは、何をするのか決めるくらい大事だ。」と言ったように、自問自答ファッションは「何を着ないのか決めるのは、何を着るのか決めるくらい大事だ。」と思っています。ジョブスが洗練されたデザインを突き詰めてアップル製品を作ったように、シャネルが極限まで極めたリトルブラックドレスを作ったように、レオナルドダヴィンチがシンプルさを追い求めたように、何を削ぎ落とすのかを突き詰めていきたいのです。

お財布って「顔やスタイルやファッションに似合う」を考えなくていい、唯一のアイテムなので、趣味が何よりも出ます。むしろ趣味を色濃く出していい、特別な「ラッキーポジション」なんですよ。

人に強くものを言えないとか、気を遣い過ぎてしまうという人は、まずは「心から自分らしい100点だと感じるお財布」を探してみてください。出会えれば、今よりもっとあなたの美しさが滲み出てくると思います。

あまりにも弱々しくて曖昧で消えてしまいそうな自分だけのセカイだけど、少しずつ“それ”を築きあげていきたい。

温泉にそっと足の先を入れて熱さを測るように、天ぷらの油の中にそろりそろりと具材をおっかなびっくり滑らすように。

それがどうも私のファッションの取扱説明書らしい。

4月8日に幻冬舎大学で開催されたあきやさんの講演会アーカイブを拝聴しました。

「ここで働かせてください!ここで働きたいんです!」

…千尋のようなそんな勢いを持って強い気持ちで「この服を着させてください!」と思える服を見つけたい。

そのために私は、ナウシカがテトに優しく指先を差しだしたときのように「ほら、怖くない。怖くない」と様子を見ながら、心がついてこれるスピードで自分がちゃんと好きだと思えるものを与えてあげたい。




ファッションレポートを送ってくださったときのあきやさんのお言葉に、ヴィジュアルイメージの中のある1枚の画像が「のんびりおしゃまさん」な感じが私っぽいなと思って入れてくださったというお話しがありました。

川口ちゃんさんに倣って自分のクイックコンセプトを決めるなら、それは「のんびりおしゃまさん」をおいて他にありません…!

なんとかわゆい響きでしょうか…。

しかも自分の中のなりたいイメージがまさに「おしゃまさん」という言葉でしか表現できないものだったので、やっぱりあきやさんはすべてお見通しの魔法使いさんだったのでした🌿

「のんびりおしゃまさん」という言葉になぜだか、なかしましほさんの、このクッキーを思い出すのだった。























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