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カゾクカンセン・ツラカッタセプテンバー

9月を一言で表すなら「疲労」です。
そんな私の9月(正確には8月の終わりから9月までの4週間)の話をします。

発端は子どもたちが通う保育園で新型コロナウイルス感染者が出たことでした。
長女のクラスの職員が2名、立て続けに感染したことが通知されました。
(実はこの日、私の30歳の誕生日だったんです。)
ちょうど2週間前はお盆で保育園もおやすみの子が多かったり、周囲でも保育園が臨時休園したという話を聞いていたり、新聞等でも感染が10代で拡大しているとの報道があり、コロナ禍に入って初めて本当に身近にウイルスの存在を感じていたころだったので、ついに来たかという気持ちでした。

夫と相談して、園からの続報(さらなる感染者の発覚)があるかもしれないから数日は保育園を休ませようと決めました。幸い、私も夫も基本的に在宅ワークで、ミーティングの時間を除けばある程度は融通が効くため、数日であれば、子どもたちと過ごせると判断しました。

ところが、翌朝、長女が熱を出しました。最近は風邪と言っても咳や鼻水がほとんどで熱を出すことが減ったなと感じていたので、「このタイミングで発熱…‥」と震えました。続いて、その日の昼には次女も発熱。
これは検査を、PCR検査をしなければと、まずは発熱相談に電話をしました。
発熱相談の前にかかりつけ医に電話したのですが、土曜日で午後の診察はなく、かつPCR検査は行なっていないとのことで、発熱相談を教えていただいたのでした。
発熱相談に電話すると、翌日の日曜でも検査をしてくれるであろう病院を3つ教えていただきました。
教えてもらった病院に順に電話をしていくと2箇所には小児の検査は行っていないと断られ戦々恐々としました。最後の砦と3箇所目に電話すると、そこでは小児の検査も行っていると言われ、ほっとしたのでした。

翌日の日曜日、次女はまだ熱がありました。長女は土曜の夕方には平熱に戻っていました。平熱に戻ってもまた熱が上がってくる可能性も考え、前日に電話していた病院へ。状況を説明し、長女と次女のPCR検査をしていただきました。医師判断での検査となったため、公費での実施となりました。
看護師から、検査結果が分かるまで数日かかり、最近だと日曜検査は水曜までに結果が出ていること、結果は電話かショートメールを医師の個人携帯から直接連絡すること、夜遅い時間にも連絡をするかもしれないことを言われました。
医療現場の逼迫を肌で感じた瞬間でした。

月曜は検査結果の連絡はなく、夫、私ともに会社への現状報告と、子どもたちといるため仕事をセーブせざるを得ないと伝えました。
月曜の午後には次女の熱も平熱に戻りました。そして、夫とは、検査はしたものの、タイミング悪かっただけで普通の風邪かもね、保育園からの続報もないし、結果分かれば保育園行けそうだねと話していました。症状を見る限り陰性だろうと思っていたのです。

そして、火曜の21:00過ぎ。事態は急変します。知らぬ番号からのショートメッセージを受信。「『陽性』です。保健所の指示に従い療養してください。」
えええええええええええ!!!!
なんと長女が感染していたのです。次女は陰性だったので、これからかかるのかもと身構えました。

翌水曜日。朝、まずは保育園に報告。次に夫婦ともに会社への連絡。内容は、10日は療養する必要があるかもしれないこと(調べた)、実際どうなるかは保健所からの連絡待ちであること。私たち夫婦は田舎からの上京組のため両親に頼ることはできず、自分たちで子どもと仕事を両立させなければならない状況で、子どもたちの健康の心配はもちろんですが、いったいどのくらいの期間、保育園に行けないのかという不安もあり、頭のなかはごちゃごちゃでした。

その日の夕方18:00ころになってやっと保健所から電話。
発熱したのはいつか?に対する私の口頭での回答をもって、自己申告した発熱日を発病日として10日間長女は療養が必要であること、10日後の再検査は不要でそのまま集団生活に戻ることが可能であること(ただし送迎時に私も夫も濃厚接触者のため園内に入ることはできず送迎方法は園と相談する必要があること)、自宅療養と入院を選択できるが病床がいっぱいで入院の場合数日待ってもらうこと、自宅療養の場合はパルスオキシメーターを2日後に届くよう郵送してもらえること、濃厚接触者(夫、私、次女)は感染者との最後の接触(=発病日から9日後の長女との接触)から2週間の自宅待機が必要であること、濃厚接触者はスーパーなどに行くことはできるができる限り短時間で済ませることが伝えられました。
この保健所からの通知により、土曜を発病日としてすでに4日経過して今(水曜日)は5日目であること、ここからさらに長女は5日間療養が必要であること、次女は5日後からさらに2週間自宅待機であることを理解しました。
次女が現時点では感染していないことから隔離の意味で入院の方がいいかと考えましたが数日待たないと入院できないのなら隔離の意味はないと考え、自宅療養を選びました。
そして、次女の感染の可能性がここから25日間あること、それまでは健康状態をこまめにチェックする必要があり、次女は喘息疑いがあって肺が強くなさそうなので、気が抜けないと思ったのでした。
仕事のことを考えると、自宅待機が解除されるころには9月が残り1週間になるのかと思うと気が遠くなりそうでした。

長女の感染が分かった瞬間、子どもたちの健康を守ってあげられなかった不甲斐なさと、園ではマスクをしているようなしていないような状況だったので他の誰かにうつしてしまってはないかという不安に襲われました。それまでは、我が子が感染していないか、職員の先生はだいじょうぶかなという、言葉を選ばずに言うと被害者感覚というのでしょうか、どこか他人事のように感じていましたが、長女の感染により、今度は自分たちが加害者のような気持ちになり、もしかすると自分たちがもともと感染していて職員の先生にうつしてしまったのではないかとさえ思いました。(実際のことは分かりません。)
幸い、園での長女の濃厚接触者はいない判断となりました。(この判断には正直是非はあります、保健所の逼迫により濃厚接触者の定義が変わったりしたので…)

それからはなんというかほんとうに辛過ぎる自宅療養&自宅待機生活が始まったのでした。
毎朝8:00ころから、夫は仕事、私は子どもたちと散歩(外に出ずに暮らすことは我が子にはできないので人との接触を避けつつ外の空気を吸うため)と家の前で遊ぶのを2から3時間。
そのあとカオスの始まり、私の仕事開始です。(私は時短勤務で10:00-15:00で仕事をしているため、前1時間休む、午前休にするなどして対応しました。)
11:30過ぎにはパンを子どもたちに渡し、歩きながら遊びながら布団で横になりながら食べているのを制することなく見ぬふりをしてとにかく子どもたちがご機嫌のうちに仕事!!!という感じです。
ふたりで遊んでいられる時間は30分から1時間(ほんとうにありがとう)なので、その時間でいかに午前中に仕事を進められるかが勝負でした。(生憎思ったよりも仕事を減らしてもらえなかったのです。ツラカッタ。)
子どもたちに限界が来始めたら、夫、私、それぞれ昼休憩を1時間ずつ交互にとり、夫が先に子どもたちにお昼ご飯(最初に渡していたパンの残りとバナナやヨーグルト)を担当、それが終わったら私がお昼寝の寝かしつけ担当です。
お昼寝は長女が1時間、次女がうまくいくと2時間寝るので、寝ている間は昼休み時間中でも仕事に戻ります。
起きてからはお菓子を与えつつ、15:00までは仕事をし、タスクが終わってなくても仕事は強制終了、休む暇なく子どもとの時間に戻るのでした。
それでも、最初の1週間はなんとかなりました。長女も次女もママとの朝の遊び時間がひさしぶりで新鮮だったのでしょう。「ママのお仕事始まったらふたりで遊んでてね」という言葉も多少効いていました。

1週間で、長女の療養期間は終わり、このまま菌が残ってるかもわからずに園での集団生活に戻していいのか悩み、再度PCR検査を受けた方がいいのではないかと保健所に確認しましたが、症状がなければ感染させることはないと言われ、保育園いもその旨伝え、玄関先での受け渡しで送迎することを園と相談して決めて、登園を再開しました。療養中、長女は一度下がった熱が上がることもなく、咳がひどくなることもなく、健康に過ごしていて、ほんとうに感染したんだろうかと疑うくらいでした。もし検査をしていなかったら、保育園に行かせていたと思うので、無症状感染者の存在を知りつつも、自分たちが知らず知らずのうちに感染源になりうるのだと改めて感じました。

そして、次女はここから2週間自宅待機です。夫婦の疲労もMAXに限りなく近づいていました。すでに。
自宅保育がひとりになって少しは楽になるはずと自分に言い聞かせ、始まった次女の自宅待機。朝の散歩をママとふたりでできること(いつもは長女もいるので)が嬉しかったのか、そのあと仕事開始してもしばらくはご機嫌でいてくれて、なんとかなりそうかもと思った矢先、テレビを壊されました。
レゴで、ばこーんと叩かれました。液晶画面割れ。療養中、疲れたらアマゾンプライムで子ども向け番組を見せていたので、最強のアイテムを失いました。
同じ破壊活動がもう一度起こっても困るから、自宅待機が終わるまではテレビを買わないことを決め、音楽をかけたり、携帯で動画を見せたりで代替しました。
なんとか1週間が過ぎ、その間に私と次女は濃厚接触者としてのPCR検査も実施してもらい、結果陰性でした。家庭内感染は免れたかもしれないと少しほっとしました。
そして、自宅待機も残り1週間になったものの、もう10分に1回のため息をおさえられませんでした。
それでもどうもしようがありません。あと1週間過ごすしかないのです。
なんとか奮い立たせて臨んだ最後の1週間。次女も夫も私も、保育園に行っている長女もみんなツラく、でもみんながんばった、そんな1週間でした。記憶はほとんどありません。次女も構ってもらえなくなるのがいやで、私がPCに向かおうとすると腹の底からの大声で泣き叫ぶようになり、ほんとうに仕事になりませんでした。木曜と金曜の仕事は、メールチェック程度の簡単なものを除き、翌週に回しました。翌週になれば次女も自宅待機を終え、保育園に行き始められるからです。ありがたいことに、次女は少し咳はありつつも、熱がでることはなかったのです。子どもたちの隔離は不可能だったので、本当に感染していないの??という疑問が出て、抗体検査キットを購入し、次女の抗体の有無を調べたところ、やはり抗体はなく、ほんとうに感染していないようでした。
次女の自宅待機最終日、自宅待機中の健康状態を保健所に伝え、自宅待機の終了を確認してもらいました。本来はそんなことしないのですが、小さな子どもたちがたくさんいる保育園での集団生活に戻るため、万が一にも誤った判断をしてはいけないという不安から保健所に相談しました。(保健所の判断根拠が正しいかという疑問は多々ありましたが、現時点ではそれが正しく、それに沿わない行動をとったときになにかあってしまっては責任を負えるわけもなく、従う以外の選択肢はありませんでした。)
ちなみに、私たち夫婦は、長女の感染発覚よりも前に2回の接種を済ませていたこともあったからか、発熱さえしませんでした。蕁麻疹のようなものが出ましたが、原因は明らかに疲労とストレスでしょう…
こうして全員重症化することもなく、私たちのコロナとの戦いは終わりました。(また同じようなことがないとも限りませんが、二度と繰り返したくはないです。)

次女が保育園に行き始めてから、それまでほとんどできていなかった仕事に明け暮れつつも、平日子どもたちがいないとこんなにも静かに仕事が進むのかと噛みしめました。それから2週間、やっと疲れも癒えてきて、この大惨事を記録するに至ったのでした。
波乱の30歳の幕開けです。

私たちはたまたま重症化しないタイプだったようで、ありがたかったですが、ともあれかからないにこしたことはなく、感染対策をこれまで以上に心がけようと思います。
みさなんも、健康に過ごせますように。

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