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ケーブルを考える。 楽器編
前回に引き続いて今回は楽器、主にギター、ベースなどに接続するケーブルについて考えてみる。偏見ありありで。
キーボード、シンセなどのデジタル楽器は一旦完成したサウンドを出力する性質上、僕はモニターケーブルと同じフラット系と言われるマイクケーブルを使いたい。
なのでKlotz-SQ434Y、Mogami-2534、Canare-4S6Gあたりを使う。
-シールドは迷宮-
世の中ギターシールドなるものは星の数ほど存在している。初心者セットで貰える出所不明の謎ケーブルから、何を使ってどう作ったらそんな価格になるの???っていう高級ケーブルまで。
ただサウンド的な話の前に考えておきたいことがある。
大手、中小、個人、数多のブランドが溢れかえっているのだが、必ずしも全てがそれぞれオリジナルケーブルなのか?という事。
まず使用している芯線を公表しているパターン。Mogami-2524、Belden-8412だとか。これはオーダー系と一緒で、プラグの変更やハンダがどうだとかでパワーアップを謳っている。これはまあいい。
公表されていないパターン。これがなかなか泥沼なのだ。音の傾向、ケーブルの太さ、断面が2524と酷似しているとか。ただ別におかしな事ではない。MogamiはBeldenやCanareと違って自社ブランド名で完成品を発売していないのでそうなるのは必然でもある。
そもそもケーブルに限らず、Fender弦はD'Addarioで製造している、Ibanezの上位機種はFujigenが作っているとか、アンプキャビネットもCelestion-V30等を様々なメーカーが使っていたり。
世の小売業界でよく見るPB商品のように企画流通と製造が連携しているみたいに分かりやすければまだいいのだが、製造が製造を依頼しているから惑わされてしまう。
A社とB社のケーブル比較するぞー!と意気込んでもし中身は同じ芯線だったら悲し過ぎる。各社それぞれ製造設備を所有しているとは思えないので当然大手製造に頼ることもあるだろう。
もうそんな事を考えだすと疑心暗鬼になるのは必然だ。
-結局どうなの?-
結果から言うと、ブランド・使い心地・見た目・気分。これで決めちゃう。
ただそれだとROCKが過ぎるので少しまとめてみる。実際ブランドによって音は違う。
この違うというのが重要で、決して良い悪いではないという事。
ハイエンドケーブルでHi-Fiでも、カールコードでLo-Fiでも意図して使用しているのならいいと思う。チープさも音楽たり得るのだ。その上で考えるならば僕はライブとレコーディングで注目する点が違う。
ライブでワイヤレスではない場合サウンドよりもケーブルの柔軟性や耐久性、プラグの安定感、コスパ、あと少しオマケをしてくれる。ここを優先にしている。
なのでMogami-2524を使用している。
ケーブルは3mを超え始めるとハイ落ちが目立ってくる印象がある。2524は特にハイ落ちを強く感じる。Ex-pro FLなんかはサウンドの傾向が似ていて、Lowの量も多くハイ落ちもしづらいが、固く重くプラグの接触が悪くなる時が多々あって使用を止めた。
結局2524でバッファをかませる事に落ち着いた。ライブはやり直しは出来ないのでサウンド以上にノイズや故障は恐怖なのだ。
逆にレコーディングだと基本的にサウンドを最優先。
なるべく3m以上にならない長さでDIなりエフェクターなりに繋ぐ。繋げる距離にあって劣化を意図しない限りはそうする。
ケーブル自体はMogamiに始まり、Canare、Ex-pro、Vital、Oyaide等スッキリ系だと思うモノを好んで使用してきた。そこから去年あたりモニターケーブルと同時期にマイクケーブルも楽器ケーブルもKlotzに変えた。
Klotzは一芯ケーブルでもレンジが広くクリア、というかめちゃくちゃハイが出る。モダンなサウンド傾向のメーカーだと思う。まあ楽器においてレンジが広い事が必ずしも正解ではないのだが、、、
そんなこんなで結果現在はストラトから7弦、5弦ベースまでKlotz-AC110SWを使用している。
-最後に-
最低限の信頼性、S/N比、クオリティは必要だとして、やはり結局のところ自己満足の領域だと思う。弾きやすいとか、気持ちがいいとか本人にしか分からない事だ。
ライブを観ていて、音源を聴いていて、やっぱり〇〇のケーブルだからいい音がするなぁ。とは誰も思わないだろう。
だからといって拘らなくてもいいわけでもない。より良くしたいという欲求は好きだからこそであり、楽しみでもある。
それは音楽に限らずどのような事でも細かい拘りというものは外部の人から理解されないものだし、理解を求めるものでもないのだろう。
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