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自分の正義と他人の正義

ある人と関わった。いまだ会ったことのない類いの人間だった。本人が言うこと、書くこと、他人から聞く話、必ずどこかが矛盾しているのだが、本人はまるで気づかない。いや、意図的か。だとしたら、破壊的だ。
 
物事を進めようとするとき、やはり、矛盾のない、筋の通った判断をしたい。そう考える自分と折り合うはずがない。難儀した。幸い、仲間に恵まれ、何とか乗り越えた。
 
暗闇にひとつの球体が浮いているとする。それが真実だとすると、ある人からはその球体を照射した箇所のみが見えている。またある人は、反対側から照らした部分しか見えない。それぞれみな正義を抱えていて、自分が正しいと思いながら生きているから、見えた箇所は、その人にとっての真実なのだ。よって全体像を捉えることは永久に叶わない。
 
無理だと分かっていても球体の全体像に近づきたい。だから各々の見た真実に接近したい。なぜそのように見えたのか。その背景や理由を理解したい。
 
結局、矛盾の多いその人から見えていた真実は捉えがたいものだったが、その人の在りようについて考えるとき、一つ分かった事がある。それは、その人にも自分の正義があって、それに固執しすぎるために、人と衝突してしまうということだ。さらに、その正義は、当人と接する人間次第で変容するから、矛盾を生む。その人の内は一つの正義に貫かれているように感じるのだろうが、経緯を知る人にとっては理解しがたい言動として受け止められ、さらなる軋轢を生む。
 
なかなかしんどい経験だったが、世の中にはこういう人間がいるということを知っただけでも勉強になった(とポジティブに捉えたい)。人災を乗り越えようと仲間と必死に考え抜いたことも、人生の糧になった(と思いたい)。
 
できるかぎり柔軟でいたい。自分が正しいと思い込みたくないし、自分の正義を他人に押しつけたくはない。たとえ不可能でも、その人から見える景色を見たいし、想像したい。これからも、そのようにして生きていきたい。


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