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冥福とは何ですか?古文書『富士信導記』解読⑤

明治10年発行の古文書『富士信導記』第5回目です。

もう後半もかなり進みましたが、今回は富士山という文言がまったく出てきません。サブタイトルが「神霊と人魂のはなし」とある通り、再び霊的な話に戻ってきました。

さらにもう一段階、理解を深めねばならないようです。もう少し頑張りましょう。

■浅間大神などはどちらから神霊を受けられたのですか

天祖天神が与えられたのです。

■浅間大神の神霊も、天祖天神から与えられたもののなら、人の魂も同じ地位になるのですか

地位に高い低いの違いがあって、同じ地位ではないことは、同じ山から出た玉にも善悪があるようなもので、同様に語られるものではありません。

■神に対し、家業を優先にして、信心を後回しにしてもよいのですか

神の恩を一時も忘れず、家業に勉め励みましょう。家業を疎かにすると、たとえ信心深くとも、神の教えにかえって背くことになります。ですから、少し空いた時間に忘れず冥福(死後の幸福)を願いましょう。

■冥福とはどんなことですか

第一にこの世界を無事に過ごし、死後には自身の霊魂の永遠の安楽である、天の都に還れることを願うことです。

■死後に冥福を得て、安楽である天の都に還ろうと思うなら、何をすれば神の寵愛を受けられるのですか

神とご縁を結びましょう。

■神とご縁を結ぶとは、どのようなことをするのですか

神に誓い、祈願することです。

■神誓にはどんな得があるのですか

自身の心がますます強固になり、信心を怠ることがなければ、最後に冥福を受けることができるでしょう。


【たまむしのあとがき】

あえてここは余計なことを言わないほうがいいような、深い内容でしたね。

読まれた方おひとりおひとりの感じ方でよろしいのではないでしょうか。

次回はいよいよ最終回です。

やっと木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)が登場します。

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