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「~かな、と思う」に見る日本人の曖昧表現

この数年の間に、「自分はこう思う」という言い方が、「自分はこうなのかな、と思う」のように、「~かな」をくっつける表現が尋常ではないレベルで急拡大し、もはやそれが標準になってしまった感があります。

わたしはどちらかというと、いや、間違いなく、ハッキリきっぱり言い切る方で、むしろそれで反感を持たれるタイプなため、「~かな、と思う」といういい方はあまりせず、今までずっとこの言い方に大いなる違和感を感じていました。

ではまったくしないのかというとそうではなく、思い当たるのは、自分の意見や考え方に自信がないときは使うのですよ。

「~かなぁと思うんだけど、どうだろ?」

みたいな感じですかね。

ということは、巷に溢れかえりまくっている、この「~かな、と思う」の言い方というのは、自信がないか、自信がないふりをしているか、のどちらかではないかと思うのです。

これはまさに日本人特有の、日本人の大好きな、自分の主張を緩めて「和」を尊ぶ、という精神がとてもよく現れているように感じるのですね。

自信がないけど意見を言いたい、反論されるかもしれないけど自己主張したい、そんな相反する気持ちの揺らぎが「~かな、と思う」なのではないでしょうか。

なぜこの言い方が急拡大したのかはまったくもってわかりませんが、大きな要因としては、SNSの普及という点が間違いなく作用しているように思います。

アンチコメントやクレームは絶対に避けたい、でも、自分の考えを発信したい、その結果が「~かな、と思う」という、まろやかな主張に着地したのです。

テレビのインタビューなどを見ていると、それが若い世代だけではなくシニア層までもが、あたかも昔からずっと使ってましたよ、みたいな感じで「~かな、と思います」と言っているのを見ると、不思議で仕方ないんですね。

「めっちゃ」よりもっと老若男女問わず、浸透した様子です。

う~ん。民族性をうまく表現した言葉だからなのでしょうね。これほどまでに広く受け入れられたのは。

でもね、そんなに他人に忖度しなくてはいけないの?

いいじゃないのよ、「わたしはこう思う!!」って主張したって。


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