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薬師寺お身拭いの所感

 2023年12月29日、最愛の寺院薬師寺で白丁に選ばれた私は、ついにかの月光菩薩像に触れることとなった。薬師寺の金堂薬師三尊は私が最も敬愛する仏像であり、なかでも向かって左手の月光菩薩像は、これまで拝したみほとけの中で群を抜いて美しい。複雑に曲げられた腰や腹の肉感、案外太く頼もしい腕、そして何より青銅とは思えないほどの布のやわらかな質感、どこを見てもただ圧倒されるばかりだ。顔には月の光らしく静かな笑みをたたえており、端正な鼻筋や口元もあいまって繊細でやや緊張感のある慈悲の表情を浮かべている。しかもそれだけの美を備えていながら中央の薬師如来の邪魔をすることは決してなく、過不足なく控えめな印象であり、脇侍としてのバランスも素晴らしい。(月光菩薩の魅力については語り始めるときりがないのでこの辺りでやめておく)
 薬師寺をこよなく愛する私は大学生活の終盤に、以前から認知していた「薬師寺青年衆」に志願した。するとお寺側のご厚意で、須弥壇に登って掃除をする白丁組に選任していただき、畏れをなすほど溺愛してきた国宝仏に触れる機会を得るに至った。
 前夜、担当する仏像を決める段となり、私は真っ先に月光菩薩を希望した。普段自己主張をほとんどしない私でも、そのときばかりは前のめりだったと思う。無事、月光菩薩へのお触り権を獲得した。また先輩からのアドバイスにより、担当外の仏像も遠慮せず拭きに行ってよいということ、薬師如来の裳懸の裏に潜り込むことができることなどを教わった。
 当日になり、白丁組は小部屋に招集され白丁に着替え、金堂に向かった。私たちは金堂後方の外陣に控え、般若心経の第一巻目が終わったタイミングで出るよう指示された。私は今か今かと拍動を感じながら般若心経を聴いた。
 第二巻が始まるのを聞いて私は急ぎ早に須弥壇横へと流れ出た。雪駄を脱いで須弥壇へと駆け上がり、下から持ち上げられた梯子を受け取って月光菩薩の面前に移動させた。そして初めて間近に迫る菩薩の顔をじっと見つめ、慎重に梯子を月光菩薩の胸にかけた。いま思い出してみても、あの瞬間は沸き立つ興奮ととんでもない畏怖の念に襲われていた。はじめて月光菩薩と二人きりになったような気分だった。須弥壇下からは僧侶から指示がとび、他の白丁がわたわたしている。しかしそんなものは全く意に入らず、私は私を見下ろす菩薩と対峙していた。心で謝罪しながら梯子をかけ、僧侶が上に登って行くのを眺めた。そしてはやく渡せと思いながら浄布を受け取った。そして興奮を抑えながら腿の辺りに浄布を当てて拭きはじめた。かねてより眺めては酔っていた衣紋が、今は感触として手の中に吸収される。彫りは案外深くはっきりとしており、ここまで激しく刻み込まれていたのかと驚いた。舞台俳優のメイクが近くで見ると思いのほか大胆なのと似ているかもしれない。その意外さに驚きつつも刻まれた溝をひとつずつ丁寧に拭いていった。膝下に二重にかかる天衣のうち下の方は裏側に空間があったため、手を入れて裏面の汚れもしっかり拭き取った。個人的にこういう入り組んだ構造が好きなので、この造りに気付いて触れたときはワクワクした。
 そして背面を拭き、かがんで足元と蓮台に移った。この台座が最も印象的な経験だった。普段あまり熱を注いで見てこなかったためかもしれないが、台座の丁寧な造り込み、深く鋭い造形、全体の重厚で強健な質量感に驚いた。こんなに素晴らしい彫刻作品を、私は今まで数え切れないほど訪れてきた薬師寺金堂において毎回見落としてきたのかと、とても恥ずかしい心持ちになった。つくづく私には審美眼も観察眼もない。腕や手指、腹など以前から心酔してきて、今や触れることができる部位がまだまだあるにも関わらず、私は我を忘れてこの台座にすっかり溺れてしまった。そこからしばらくの記憶は薄い。ただ、蓮弁の鋭さを指に感じて息を漏らしていた断片的な記憶が残るのみで、次の記憶は薬師如来の台座に接近するところである。それくらい酔いしれていたようだ。
 ということで次に私は薬師如来の台座に移った。先輩から教えられていた通り、台座と垂れ下がる袈裟衣の間の空間に私は潜り込んだ。横にいた友人も誘って一緒に入った。そして思わず「すっげぇ〜笑笑 これはすげぇぇぇ!!!笑笑」と声を出して言ってしまった。これに関しては本当に申し訳ないことをしてしまったので、参拝者に聞こえていなかったことを祈るばかりだ。なぜ叫んでしまったのかといえば、優美な表面の造形からは想像もできないほどの、ゴツゴツと荒々しい白色の鋳造痕が残っていたからであった。本当にこれは人の手によって作られたものなのだと、はじめて実感した瞬間だった。私は薬師三尊のその現実離れした美しさの余り、人工物であることすら半ば信じられないほど崇敬していたのだが、たしかに1300年前の人の手によって生み出されたものであることの証拠を初めて見出したのだった。その無骨な表面を浄布で擦って損傷させてはいけないと思って触れることはできなかった。
 足で伝ってきた基壇をきちんと拭いて中から出ると、僧侶から「◯◯!裳懸を拭いて!」と指示された。返事をして薬師如来の台座全面に回り込むと、頭上に鎮座する薬師如来像に目をやりつつ裳を拭き始めた。垂れ下がる裳の衣紋は眺めていたより遥かに写実的で、布のふっくらした重なりをかなり忠実に再現していた。布と見紛うほどやわらかくも冷たく硬い青銅の裳懸は不思議な感じがした。この金属とは思えないほどの柔らかさ、錯覚を起こすほどの写実性が、触れてもなお感じられたことは最大の驚きだった。
 私はかねてから「触れたら幻滅するのではないか」と危惧していたのだが、そんな心配をしていた私が愚かだった。本当に美しいものは触れてもなお美しいということを思い知った。自分が見ていたものは、触れて崩れるほど脆くはなかった。目前のみほとけを完全に舐めていたし、人の営為を過小評価していたとさえ反省した。薬師三尊はむしろ、触れてさらに美しかった。躊躇いやごまかしなど微塵もない強烈な彫り込みなどは触れて初めて知ったものであり、瞬く間に虜にされた。触れて精緻に堪能して、改めて非の打ち所の不在をみとめた。本当に恐ろしい仏像彫刻だと、今は自信をもって言える。
 裳懸を拭き終わった私は月光菩薩の足元に戻った。上の方も拭いてくれよ〜と僧侶の声が聞こえ、そこで私はまだ腹も腕も手指も触れていないことに初めて気付いた。そして腹のくびれに手を伸ばした。胸元から梯子がかかっており、上に僧侶もいるため頗る拭きにくかったが、必死に菩薩の腹の皺に食らいついた。この皺は私がこよなく愛したものだったのだ。腹の肉感が浄布を通して伝わってくる。このときの私はとにかく限られた時間内で菩薩の肉体を堪能するのに必死だった。腹をひと通り拭いたら次は腕元の折れた天衣に取り掛かった。柔らかく垂れ下がった天衣は当然のことながら硬く氷柱のようだった。そこに頼もしさを感じた以外の記憶はない。おそらくまた心酔したのだろう。
 そうこうしているうちに撤収の声がかかり、白丁が次々に須弥壇から撤退していくのが見えた。かなりの名残惜しさを感じながらも、須弥壇の隅に立って手を合わせ、失礼いたしましたと深々と礼拝をして須弥壇を下りた。
 その後の記憶はほとんど残っておらず、何かに酔っているかのように次に大講堂に行く予定を失念しており、帰ろうとして仲間に訂正された記憶と、大講堂で僧侶に罵倒されながら梯子を移動させている記憶があるくらいだ。それくらい気が気ではなかった。
 大講堂でのお身拭いを終えると東院堂へ向かった。聖観音のお身拭いは、青年衆が列に並んで順番に拭いていく形式をとった。「後半ほど下半身を拭かされる」という先輩からの助言のもと、下半身を拭きたかった私は最後尾に並ばせてもらった。この判断があまりよくなかった。取り掛かってすぐに撤退の命令が出たのだ。遅すぎた。よって私が聖観音に触れることができた時間はとても短いものだった。「そろそろやめるよ〜」と聞こえて私は急いで天衣を沿うように拭いた。この天衣の流線が好きだったからだ。天衣は思いの外薄く細かった。本当に、ポキっと折れてしまうのではないかと思えるほどだった。聖観音像のお身拭いの経験は、その前にあった金堂での経験が強烈すぎて残念ながら印象の薄いものとなってしまっている。しかし列で今か今かと待っている間の期待と興奮は並大抵のものではなく、一緒に並んでいた仲間からニヤけを指摘されるほどだった。

 というふうに、私の初のお身拭い体験は幕を閉じた。心酔しすぎてか、記憶が薄いというのが現状だ。お身拭いの前後に某新聞社から取材を受けたが、そのときも記憶の薄さからいい応答ができなかったことを申し訳なく思っている。お身拭い後の私はもう放心状態であり、「もうこのまま大池で入水して往年の夢を叶えたい」などと叫んでいた。人生第一の夢が叶い、薬師三尊のお膝元で白鳳伽藍を眺めながら一生を終えたいという夢もそのまま叶えてしまおうという、幸せな望みだった。手をにおってみると、あの御仏の香りがした。お線香の匂いを吸収しているのか、瑠璃光に金属臭を練り込んだような、薬師寺然とした象徴的な匂いだった。私は思わず舌で手を軽く舐めてしまった。汚いと分かっていながらも、あの御仏を少しでも体内に取り込みたかった。お身拭い後のお寺は年末年始の準備のためあまりに忙しく、余韻に浸る間もなかったが、本当に幸せだった。
 お身拭いに限らず、薬師寺青年衆での経験は忘れられない強烈なものだった。間違いなく今後の人生に大きな意味をもってくると確信している。


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