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今井雅子作「北浜東1丁目 看板の読めないBAR」
こもにゃん作「いねかりBAR」バージョン

はじめに

2023年1月8日、ナレーターの下間都代子さん主催の「朗読初め@うっかりBAR」というイベントに参加しました。
1月6日から全国ロードショー公開中の「嘘八百 なにわ夢の陣」の脚本家である、今井雅子先生がこのイベントのために書き下ろしされた「北浜東1丁目看板の読めないBAR」をアレンジして、17人の声のプロフェッショナルな方々が朗読。
笑いあり、涙あり、ホラーありと、エキサイティングand抱腹絶倒な2023年の幕開けとなりました。
今井先生の「○○かりBAR」各都道府県にチェーン店展開との記述に誘われて、私もアレンジ作品を書いてみました。

当日のアーカイブは1000円で視聴できます。アーカイブ視聴は1月31日まで
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やまねたけしさんバージョン
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さてさて、看板、冷えてしまったかもしれませんが、
「○○かりBAR 梅田店」開店申請します。
このストーリーの舞台は、昔仕事をしていた、大阪の梅田を想定しているので。
どうぞ、お付き合いくださいませ。


「いねかりBAR」

名前を呼ばれた気がして振り返ると、そこに人の姿はなかった。だが、道端に置かれた小さな看板が目に留まった。チョークで手書きされた頭の文字のいくつかが消えている。

残されているのは、ひらがなの「か」と「り」とアルファベットのB-A-R。

消えた文字を想像してみる。なぜか「いねかり」が思い浮かんだ。

「いねかりBAR

口にしてみて、笑みがこぼれた。そんなBARがあったら、どんなお酒を飲ませるのだろう。誘われるように地下へ続く階段を降りて行く。重みのあるドアを開けると、カウンターの向こうにマスターの顔が見えた。どこかで会ったことのあるような顔立ちに柔らかな表情を浮かべている。

「お待ちしていました」

鎧を脱がせる声だ。私はコートをマスターに預け、革張りのスツールに腰を下ろす。

「ようこそ。いねかりBARへ」
「ここって、いねかりBARなんですか⁉︎」

ついさっき看板の消えた文字を補って、私が思いついた名前。それがこの店の名前だった。そんな偶然があるのだろうか。

「ご注文ありがとうございます。はじめてよろしいでしょうか」

おや、と思った。マスターはどうやら他の客と私を勘違いしているらしい。

人違いですよと正そうとして、思いとどまった。その客は、ある程度、私と属性が共通しているのではないだろうか。年齢、性別、醸し出す雰囲気……。だとしたら、注文の好みも似通っているかもしれない。

「はじめてください」
「かしこまりました」

マスターがシェイカーを振る音を確かに聞いた。だが、カウンターに出されたグラスは空っぽだった。

「これは、なんですか」
「ご注文の『いねかり』です」
空っぽで『いねかり』めっちゃ不作やないですか
「どうぞ。味わってみてください」

自信作ですという表情を浮かべ、マスターが告げた。

なるほど。そういうことか。

私はマスターの遊びにつき合うことにした。芝居の心得なら、ある。空白は想像を膨らませる余白だ。空っぽのグラスに目をこらし、そこにある「いねかり」を想像する。さもあるがごとく。さもあるがごとく。

グラスを手に取り、口に近づけたそのとき、「あ……」と声が漏れた。

鼻先を香りが通り抜けたのだ

妖艶な香水の香り。
「いねかり」とは対極をなす香りだ。

その香りに連れられて、遠い日の記憶が蘇った。

「やっほー」と明るい声が聞こえた。
同期入社の彼女は長身で、くっきりした顔立ち。いつも高級ブランドの服をまとっていた。そして「毒」という意味を持つ名前のフランス製の香水がお気に入りだった。
そんな彼女の周りには常に人が集まり女王様的存在だった。

彼女の家は農業を営んでおり、農繁期になると数日の有給を取って、農作業の手伝いをした。
しかし仲間の夜の集まりには遅刻してでも、息咳切って「やっほー」とやってきた。
数時間前まで、農作業をしてたとは思えないファッション。妖艶な香りを漂わせながら。そんな彼女はいつしか親しみを込めて「稲刈り女王」と呼ばれるようになったが、反面「イタイ女」と陰口を叩く集団もいた。

ある秋の日の同期の飲み会。例年のごとく、女王は稲刈りのため、まだやってきていなかった
私は女王の恋人である男にしつこく口説かれ、根負けしてデートの約束をしてしまった。

数日後、私は、女王の恋人と繁華街を歩いていた。
すると、数十年メートル先のブランドショップから、店員に見送られ、姿を現した長身の女性
稲刈り女王だった。
彼女はすぐ私たちに気が付いて目を見開き、こちらに歩いてきた。
彼は「やべっ!俺逃げるわ。またな」
と走り去った。
女王は、ヒールの音を響かせながら私に近づき、私の目の前に立ちはだかった。
 あの香水の香りが毒矢となって放たれ全身に降り注ぐ気がした。
「この、泥棒ネコっ」と平手打ちされるのか?まるで安い昼ドラやん。体を固くして目を閉じた。
その瞬間暖かいものがふわっと私の体を包み込んだ。
目を開けると、女王が私を抱きしめていた。
「ごめんな。
アンタが人の男、取るような子ちゃうこと分かってる。おかげであのクズと別れる決心がついたわ。ありがとう」
香水の毒は私の体内で癒しのアロマに変化した。
「イタイ女」なんてとんでもない。彼女はやっぱり女王だ。

ヒールの音を響かせて、立ち去る彼女の背中を涙で霞む目で見送りながら思った。

香りと記憶がよぎったのは、流れ星が通り過ぎるような一瞬のことだった。手にしたグラスからはもう、なんの香りもしなかった。空っぽになったグラスを置くと、「いかがでしたか」とマスターが聞いた。

「『いねかり』でした。今の私に必要な。マスター、どういう魔法を使ったんですか」
「ここは『いねかりBAR』ですから。あなたが、この店の名前をつけたんですよ」

マスターがにこやかに告げた。私の「これまで」も「これから」もお見通しのような目をして。

頭の文字のいくつかが読めない看板を見たとき、思い浮かんだのは「いねかり」だった。あの日の「いねかり」があったから、今の私がある。そのことを思い出すきっかけを心のどこかで求めていたのかもしれない。

いねかり」の日の私と今の私はつながっている。そう思えたら、風船の端っこを持ってもらっているような安心感がある。

階段を昇り、地上に出ると、文字が消えて読めなかった看板は、看板ごと消えていた。歩き出した足取りが軽くなっている。鼻の奥に、妖艶な香水の香りがかすかに残っていた。


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