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ベルトルトの「気の毒だと思ったよ」について

『進撃の巨人』11巻第46話の話をしています。これから読もうと思っている方は気をつけてください。

 進撃の巨人11巻収録の第46話「開口」で、巨大樹の森で拘束されたエレンがベルトルトに詰め寄るシーンの話をします。104期候補生の仲間として過ごしていた日々に、ベルトルトとライナーに、超大型巨人が蹴り破った扉の破片が直撃した家の下敷きとなり、エレンの母親は逃げることができずに巨人に食い殺されたという話をしたことを思い出し、エレンはベルトルトに「どう思った?」「あの時…どう思ったんだ?」と詰問するところでページを跨ぐ。
 「悪かったと思っている」「取り返しのつかないことをしてしまった」「本当にすまない」「かわいそうだと思った」「仕方がなかったんだ」等、考えられる返答はいくつもあるが、ベルトルトの答えは、「…あの時は…」「気の毒だと思ったよ」である。以下ではこの台詞の凄さについて語ります。

 この場面で、自身の罪の意識や後悔の念、謝罪の気持ちを表明することもできたはずであるし、おそらくエレンはそれを求めていたのだと思う。あるいはああするしかなかった、仕方がなかったと独りよがりの自己弁護をすることもできた。しかしベルトルトはそのどちらも選ばずに「気の毒だと思ったよ」と、「どう思った?」というエレンの質問を文字通りに受け止めて、その時の自分の気持ちを答えている。この時のベルトルトは、エレンの方を見てはおらず、じっと俯いているが、目は泳いでいない。自分が犯した罪を、正面から引き受けることはできないが、嘘をつくことも誤魔化すこともしていない。そうしなかったのはベルトルトがエレン達のことを仲間だと思っていたからだろう。そして「気の毒だと思った」というのは、対象を切り離し、客観化したうえで、そこに改めて自分を投影する感情移入による同情ではない。ここでの「気の毒だと思った」は、「かわいそう」といったどこか上から目線の憐憫の情ではなく、エレンのつらい過去をともに苦しむという共苦の言葉である。ベルトルトは自身の罪を否認して自己を正当化できるほど鈍感ではなく、かと言って罪の大きさを受け止められるほどの図太さも持ち合わせていないが、ここで謝って許してもらおうとするほど身勝手ではない。ベルトルトの「気の毒だと思ったよ」は、一見すると投げやりでよそよそしく、対話の意思が見られない発言のように思えるが、この台詞にはナイーブな彼が身に余る罪を背負い込もうとする覚悟が滲んでおり、かつての仲間への最大限の誠実さが込められている。ベルトルトはここで彼なりに立派に責任を果たしていると思う。そのためにはほかの言葉ではいけなかった。この「気の毒だと思ったよ」という台詞の動かしがたさに、ベルトルトの人物造形の深みとリアリティが宿っており、諌山創の物凄さを感じる。

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