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マゾヒズムとは何か?のための補稿1

 マゾヒズムは苦痛の中に快楽を見出すとされている。この前提があってこそ、他者に苦痛を与えることを快とするサディズムと、苦痛を与えられることを快とするマゾヒズムは相補的な関係、互いに変転可能なものであるとみなされている。しかし、本当にそうだろうか。マゾヒスティックな嗜好を持つ人間が、ありとあらゆる苦痛に対して、無条件に快楽を引き出すことが可能であるなどと考えることは妥当であるか。

 生活実感と照らし合わせて考えてみても、すべての苦痛が無条件に快と結びつくとは考え難い。日常生活にありふれた、非人称的な権力によって強いられる苦痛、想像力の四肢を徐々に麻痺させていく緩慢な苦痛や強制は、それ自体で快に結びつくことはない。紀元1世紀の使徒教父、アンティオキアのイグナティオスは、ローマで殉教したが、その道中で、私の殉教を妨げることがないように、と懇願する旨の手紙を書き送っている。殉教を望んだイグナティオスにとっては、キリストへの信仰に殉じ、ローマで猛獣に食い殺されることが、神に到達する機会であり、地上での殉死が、天上での誕生を保証するものであると捉えられている(1)。つまり苦痛は彼のキリスト教信仰、神との関係および救済観と結びついて初めて意味を持つのであって、自ら熱狂的に殉教を受け入れたイグナティオスにとっても、苦痛それ自体が価値あるものとみなされていたわけではない。苦痛は天上での誕生、第二の生誕を確実にするものとして、受け入れられているに過ぎない。

 また、ドゥルーズがマゾッホの著作を、世間に流布するマゾヒズム理解を前提することなしに、つまりマゾッホとマゾヒズムを安易に混同することなしに、彼の作品やその意義の再評価を試みる画期的なマゾッホ読解のテクスト『ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの』の中に、マゾヒズムにおける受苦と「第二の生誕」を結びつける記述がある。

 あなたは男ではありません、私が男にしてさしあげます……。マゾッホの小説にたえずあらわれるこの主題は、なにを意味するのか。「男になる」とはなにを意味するのか。それは決して父のように振る舞うことでも、その地位を占めることでもないのはあきらかである。それは逆に、父の地位と父との類似を除去することで、新しい人間〔男〕を誕生させることなのだ。責め苦はまさに父に対して、もしくは息子の内なる父の似姿に対して行使される。すでに述べたように、マゾヒズムの幻想とは、「子供が叩かれる」ではなく、父が叩かれるなのだ。だからこそ、マゾッホの多くの中篇で、コミューンの女性によって率いられる農民の叛乱のさなかに、責め苦を受けるのは主人なのである。(中略)
 男になるとはつまり、女性のみから誕生しなおすこと、第二の生誕の対象であることを意味する。それゆえ去勢、それに去勢をあらわす「中断される愛」は、近親姦の障碍や近親姦への処罰であることをやめ、母との近親姦的な結合を可能にする条件となるのであり、このとき母は自律的で、単為生殖的な第二の生誕と同一化されるのだ。マゾヒストが同時に演じるのは三つの否認過程である。すなわち、母を讃美し、再生誕にふさわしいファルスを母に与える過程。この第二の生誕のなかで、いかなる場所も占めない父を排除する過程。性的な快じたいを対象とし、それを中断し、その生殖能力を廃棄することで、性的な快を再生誕の袂につくりかえる過程。カインからキリストにかけて、マゾッホが表現するのは、かれの全作品の最終目的にほかならない。すなわち、キリストである。とはいえ神の子ではなく、新しい≪人間≫であり、父との類似の廃棄であり、「性愛もなく、財産もなく、祖国もなく、口論もせず、労働もせず、十字架にかけられた≪人間≫……」である。
G・ドゥルーズ著、堀千晶訳『ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの』、河出書房新社、2018年、151-153p

 このドゥルーズの著書の中では、マゾヒズムとは象徴的な父によって打たれ、罰せられたいという罪責感情に裏付けられた願望である、とする説明も、それだけではマゾッホの作品にみられる心性を十分に説明することはできないとして斥けられている。まだ精読できていないので、ここでドゥルーズの著書の内容を概観することはできないが、マゾヒズムとサディズムは同根のものでもなく、相補的・変転可能なものでもない。そしてマゾッホとマゾヒズムも必ずしもイコールで結ばれるものではない。また、一口にマゾヒズムと言っても、フロイトの区分に従うとしても「女性的マゾヒズム」「性的マゾヒズム」「道徳的マゾヒズム」の三つがあるのであり、またこれらに当てはまりきらないもあるように感じる。マゾヒズム一般について抽象的に考察をしていくよりも、個々の事例や作品において、どのようにして苦痛と快楽が結びついているのか、を個別的に検討していく方が有益なのではないかという予感がしている。また、マゾヒズムにおける契約の重要性や儀式性、期待が果たす役割、苦痛が快と結びつくための条件やその関係についてなど、より掘り下げて考えてみたい。

 私的な印象論になってしまうが、ある種のマゾ向けの同人音声作品、とりわけ催眠音声作品においては、命令に従順に従うこと、疑いを差し挟まず、どんな条件も留保もなしに命令を聞き入れ、実行することによって、自己意識を放棄し、浄化的な快を得るという構成が取られることが多いように感じる。
 言ってみれば、催眠音声における指示は、絶対的な「法」として授けられる。それを聞き逃したり、反抗してみようとすることは、いわば契約違反であり、、ひとたび違反行為を行えば、催眠音声は内容を失い、空虚に横滑りしていく無意味な声と化してしまう。音声が語りかけてくる内容を、無条件に聞き入れ、従順に従うことによってのみ、催眠音声はその効力を発揮することができる。その協働関係の内部だけが、催眠音声に固有の領土である。
 このような面において、プレイとしてのマゾヒズムはホイジンガやカイヨワの遊戯論と接続することができるかもしれないし、マゾヒズムにおいて苦痛と快が結びつくための条件を探る際に、ゲーム論的な文脈における「マジック・サークル」の概念を参照することが役に立つかもしれない、とぼんやり考えている(2)。

 

(1)http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/JINBUN/Christ/NJTS/038-Ichise.pdf#:~:text=%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A6%EF%BC%8C%E6%AE%89%E6%95%99%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E4%BA%8B%E6%9F%84%E3%81%AF%E4%B8%89%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%81%B4%E9%9D%A2%E3%81%8B%E3%82%89%E8%80%83%E5%AF%9F%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%80%82%E7%AC%AC%E4%B8%80%E3%81%AF%EF%BC%8C%20%E6%95%91%E3%81%84%E3%81%8C%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%8D%EF%BC%88kairos%20%EF%BC%89%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%AE%89%E6%95%99%EF%BC%8C%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E3%81%AF%EF%BC%8C%E8%AA%A0%E5%AE%9F%E6%80%A7%E3%81%AE%E7%B5%90%E6%9E%9C%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%AE%89%E6%95%99%EF%BC%8C%E7%AC%AC%E4%B8%89%E3%81%AB%EF%BC%8C,%E5%85%AC%E9%96%8B%E6%80%A7%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%AE%89%E6%95%99%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82%E3%81%93%E3%82%8C%E3%82%89%E3%81%AF%EF%BC%8C%E4%B8%8A%E8%BF%B0%E3%81%97%E3%81%9F%E9%80%9A%E3%82%8A%EF%BC%8C%20%E5%BD%BC%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99%E5%85%A8%E4%BD%93%E3%81%AB%EF%BC%8C%20%E6%95%91%E6%B8%88%E8%AB%96%E7%9A%84%E6%96%87%E8%84%88%EF%BC%8C%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E8%AB%96%E7%9A%84%E6%96%87%E8%84%88%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E6%95%99%E4%BC%9A%E8%AB%96%E7%9A%84%E6%96%87%E8%84%88%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A6%E6%A7%98%E3%80%85%E3%81%AA%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%82%92%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%BF%B0%E3%81%B9%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82%E3%81%93%E3%82%8C%E3%82%89%E3%82%92%E6%98%8E%E7%A2%BA%E3%81%AA%E4%BB%95%E6%96%B9%E3%81%A7%E5%8C%BA%E5%88%A5%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%8C%EF%BC%8C%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E5%88%86%E6%9E%90%E3%81%AE%E7%B5%90%E6%9E%9C%E3%82%92%E4%BB%A5%E4%B8%8B%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%80%82
(2)主に、ケイティ・サレン&エリック・ジマーマン著、山本貴光訳『ルールズ・オブ・プレイ──ゲームデザインの基礎』、合同会社ニューゲームズオーダー、2019年 や、ミゲル・シカール著、松永信司訳『プレイ・マターズ 遊び心の哲学』、フィルムアート社、2019年 等の著作が参考になるかもしれないと考えている。

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