見出し画像

予防医学ナースが病院を脱出した時の話

こんにちは予防医学士ナースのももです(*'▽')

予防医学推しになり、病院を退職したときの話

ここまでくるのは本当に大変でした(´;ω;`)

6年間の看護師を記録に残す意味でもざっと振り返っていきたいと思います。

いつも頑張って働いている病棟看護師さんへ、

あーだこーだ理由をつけて退職に踏み切れなかったこんな奴でも病棟脱出できたよっていうこと、知ってもらえれば少しは元気になれるかな!!?と思って書きていきます('ω')


①そもそもなぜ病院を脱出したかったのか

まず自分の経歴は、1~5年目に成人病棟いわゆる一般床勤務で、6年目に希望が通り、病棟異動。

経験科はほぼ頭の先から足の先、皮膚の外側から内臓の中まで、全身の疾患を見てきました。

年齢層も、0歳~100歳以上。オペ室、ユニットは除きますが、重症病棟除き、病棟でみている患者さんの看護は網羅できたかな、という感じです。

看護師は、とてもやりがいのある仕事。

自分の介入やケアによって、人が元気になったり、変わるきっかけを与えられるし、なにより自分かしたちょっとしたことでも「ありがとう」と感謝してもらえる、素敵な仕事です。

急変対応や、命に関わる緊迫した状況では、医療スタッフが一丸となって、素早い処置が行われる。その状況はとんでもなく大変で、あわただしく、全員がアドレナリンMax状態(;''∀'')(;''∀'')(;''∀'')

救急カート出動回回数は数え切れないほどで、素早い処置や検査、治療など、流れがひと段落した時にはみんな魂が抜けたようにぐったり_( _´ω`)_ (;一_一)

でも、ツーカーで指示が通り、連携プレーでで命を救う!という一体感があって、急性期病棟の経験は自分にとってはとてもやりがいのあるものでした。

日々、患者やその家族のため、よりよい治療方法や必要なケアを考えることができ、多職種と連携しながら、チームで関わることでもいろいろな視点を学ぶことができ、本当に勉強になる場所でした。

しかし、、、

常に生死と向き合う

一歩間違えれば人を殺しかねないというストレス

日々の膨大な業務での疲労の積み重ね

これらに耐えかねて、、、これ以上ここにいると身心持たない、、、(+_+)

と思う事も、これまでにも何度も。加えて、病棟ルール、謎の特定のスタッフルールがあったり、病棟の特徴柄、他の科との交流がなく、閉鎖空間もはや鎖国状態。。。。こんなに閉鎖された空間にいたら私は頭がおかしくなると確信(; ・`д・´)

そんなこんなで、看護師が嫌というよりも、自分の心身の健康を守るためにも働く環境を変えたいと思ったのが病院を離れようと思った理由の一つ

あとは、沢山の病気の人とのかかわりの中で、病気や治療の大変さ、苦しさを身近で感じ、治療より予防の大切さに気付いたからです。予防医学についてはまだまだ勉強中の身ではありますが、今後は、病気の人達のケアではなく、病気になる前の人たちへアプローチできる仕事をしていきたい!!という思いもあり、医療現場からは離れることを決めました。


②辞めたい期を乗り越え6年続いたわけ

でも、病院を辞めることを決めるまでには、もうめーーーーーっちゃ悩みまくり、

よし、辞めるぞ( ゚Д゚)!!!

と意気込んでも、でも、でもなー福利厚生はいいしな、、給料そこそこいいしな、、、(=_=)

というかんじで。。。。しんどくも一般的に言うとおそらく好条件!?な生ぬるい環境から抜け出すにはなかなかの勇気が必要で。なかなか決断できずな状況でした。

辞めよう!と思っていても、気づいたらなんだかんだで乗り越えた経過がこちら↓↓↓

第一次辞めたい期 新人の頃

ぽんこつすぎて仕事できなすぎて、周りと比べて落ち込み、怖い先輩に毎日怒られ日付超えるまで働き、身心ぼろぼろ。そんな状況を当時の師長が見かねて、1週間強制的にお休み。それを機に当たりの強かった先輩も、少し?態度が変わり、周りの先輩や同期に励ましてもらいながらやっとこさでつらい新人時代は乗り越えられました。でも、厳しい先輩がいたおかげで、看護の基礎が身に付いた1年間。どんでもなく濃くてしんどかったけど、ここが原点で、その後の看護にはとても生かせたので良かったと思っています。。。

第二次辞めたい期 看護師3年目プリセプター

当時の自分の病院は3年目がプリセプターと決まっていたため、リーダーに任命されひび新人指導に試行錯誤。頑張りすぎる性格、完ぺき主義が功を奏し、同期とも折り合い合わない、上からも下からもはさまれ、四面楚歌状態に陥り、メンタル病んでここでも強制休職。約2か月お休みしましたが、休むとまた戻りたくなるもので(笑)おそらく看護は好きだったからだと思いますが、部署異動させてもらい復職。看護師人数の配置が多く、少しゆとりのある病棟に異動となり、周りのサポートと、ゆとりができたことで自信を取り戻し、ひとまずゆっくりと再スタート。

第三次辞めたい期 看護師5年目 中堅、リーダー業務

しかしゆっくり再スタートをきった!!?と思えたのもつかの間。異動後数か月でリーダーやらまたもや新人指導をせざるを得ない状況。人がいないので、もう誰でも彼でも、看護師経験年数があれば指導者としてみなされてしまうという、悲しい現実を突きつけられ(´;ω;`、このころから予防医学の道に進みたいと思い始めたため、一区切りつけようかと本気で考え始めました。

第四次辞めたい期 看護師6年目 もういいかな

ところが、なんとこれまで通らなかった希望部署への異動が通ってしまい、2回目の部署異動。最初慣れるまでは必至でしたが、この時期にちょうどいろいろな出会いがあり、これからの看護師人生について真剣に考え始めるように、、、、。


③考え方のシフトチェンジ

看護師5~6年目にかけて、ご縁あってつながったその名も”縁joyナース部”という看護師限定オンラインサロン。ここでのメンバーとの出会いをきっかけに、看護師の働き方は無限大なんだということを実感。そこから考え方が少しずつ変わり始めました。もちろん、他にもいろいろな人に相談していましたが、このオンラインサロンのメンバーは、時間や場所にとらわれず、本当に様々な働き方をしている人が多く、かなり影響を受けました。将来、自分もいろいろな働き方をしてみたい、と思っていたので、看護師+αという概念にもとっても共感。

〇今の寮住みやすいのに辞めたら出ないといけないのはめんどくさい(+_+)

→新しい家に住める。病院から物理的に離れられるから気持ちが変わる。

〇夏のボーナスもらってからにする('ω')??

→数か月といえど、そのボーナス分で夜勤や日々の激務のストレスがなくなって健康な生活をもらえると思えば安くない?

〇10年まで行けば退職金多くなる!あと3年我慢( ノД`)??

→3年はでかい これ以上、心身粉にして死にかけで働く必要はない。すでに5年経過したから一区切りはついている。

〇給料はそこそこもらえてるけど貯金十分とはいい難い。お金もう少したまったらにする(; ・`д・´)?

→お金たまるのを待つより、今ある分でなんとかなるなら、とりあえず一回辞めてみよう。働き方、稼ぎ方を変えていく方が手っ取り早い。気持ちにゆとりがでることで、さらにクリエイティブになるほうが、お金を生み出せるかも( ゚Д゚)!?


というふうに。。。。

そして、完全に意思が固まったのが年末!そこから、上司との最後のバトルがスタートです。

④病院側の引き留め

それもそのはず。なんてったって病院は常に人手不足。どこもそうだと思いますけど(=_=)

そもそも私は決意する前夏あたりから退職については検討していたため、相談はしていました。面談の経過としてはこんなかんじ。

1回目 夏

退職を申し出たが「異動してきて早々それはあんまりだ。」と即却下。

その時は自分の余裕もなくもやもやしながらも諦めたため、やや期間空きます。

2回目 12月初旬

時期的に多重業務で、仕事の責任の重さのストレスもありバーンアウト。自分から退職面談希望申し出る。面談では号泣で訴えるも、「とりあえず気持ちはわかった」と、流される。

3回目 12月中旬

再度退職を訴えるも、「自分で選んだ病棟なのに無責任だ」「あなたの責任もある」「今は判断できない」と聞き入れられず。「上からも、これ以上辞める人を増やすな、少しでも辞めないように引き留めるように言われている」という、完全に病院側の都合を言い訳にされたため、「誰に何を思われて、何を言われようと私は辞めることは決めたので」と何度も言葉にして伝える。

4回目以降

タイミング見計らって声をかけようとするも、「今は忙しい」「ちょっとまって」の繰り返しで明らかに上司に避けられる。しかし、こちらも諦めずに、なんども声をかける(=_=)(我ながら相当な忍耐力だったと思います)

退職決定 12月の仕事納めの日

ゼッタイに年内に決着をつける。と決めていたため、今日こそは!と上司に声をかけると、「え?なに?まえと同じでしょ?いつ?3月ね、はい」以上。

( ゚Д゚)( ゚Д゚)( ゚Д゚)( ゚Д゚)

なんと、最後の最後は向こう側が諦めたようで、あっさりと決着がつきました(^^)/

これまでの苦労はいづこへ、、、、て感じだったけど(-_-;)


⑤看護師も働き方改革

私は本当に数か月前までは、辞めるのなんて絶対むり!!!!と本気で思っていて、「辞めたい」「変わりたい」というものの心のどこかで諦めていました。でも同じような経験をした仲間は案外沢山いることをがわかりとても勇気をもらえました!!!!

ひとりだったら絶対に決断できていなかったので、支えてくれた周りの方々に本当に感謝しかありません。

散々悩んでいる間、

「ここで辞めることができたら、同じような人の希望になる!!」

「労基的に辞められないことはないから絶対に大丈夫。」

「自分の人生自分で決めよう」

「辞めたい!じゃなくて変わりたい!ことは全然悪いことじゃない。むしろ応援されるべき」


周りの人たちのエールのおかげで、無事に新たなステージに行くことができました。

あとは、誰になにを言われようが、何が何でも次へいく!!という自分の思いを徹底的に固めることが大切だなって思います。

意思が固まっていれば、ぶれることもないし、最終的に押し通す形にはなっちゃうかもだけど、

自分の人生自分で決める権利はだれにでもあると思います。

退職体験談みたくなってしまいましたが、、少しでも、同じような境遇の方の参考になれば嬉しいです('ω')!!!

ここまで読んで頂きありがとうございました(*´∇`*)