后の位も何にかはせむごっこ

 美術館の展示をじっくり見たら、帰りはカフェなどに寄る。疲れた体に甘いものが染みるひとときは格別だ。特に上野で美術展を見たあとにみはしのあんみつを食べるのが大好き。これは子どものころの体験から来ていて、いまでも変わらず私にとってこの世の喜びのひとつである。
 大英帝国博物館やルーヴル美術館は広大な敷地に夥しい数の展示品が並び、一日かかってもまわりきれないという。聞いたときから憧れの気持ちがあった。だって一日中博物館や美術館を練り歩き、文化や芸術に浸っていられるなんて、とても贅沢な体験だからだ。
 仕事を辞めて、新天地への入社日まで一ヶ月の休みがある。現代日本では悲しいことに、まるまる一ヶ月も休めるなんて転職するぐらいの機会しかないだろう。せっかくなら、と思い旅行先に選んだのはイギリスでもフランスでもなく、徳島だった。
 徳島には大塚国際美術館がある。いつかSNSで見た、膨大な展示量をして「まわりきれない」と言わしめたある来場者の投稿を、心の引き出しにそっとしまっていたのだ。大塚国際美術館に所蔵されているのは、世界の名画を陶板で複製したいわばレプリカ。地下三階の古代から始まり、信仰を写す壁画や神話を描いた器から、中世の宗教と芸術を結びつけた文化と当時の世相を描いた習俗の絵、自然の絵、戦争の絵、さらに事物へのまなざしを変えた近代へ……と地上二階まで西欧歴史の変遷とともに圧倒的な展示量を誇る。
 二泊三日の旅程はすべて大塚国際美術館にした。他にも観光名所はあれど、「一日かけても見切れない」美術館への踏破にのみ焦点を当てた。
 午前中に徳島阿波踊り空港につき、昼過ぎには大塚国際美術館に到着した。小腹が空くまで礼拝堂の美しい壁画に見とれ、ゴッホの黄色いカフェテラスコンセプトのカフェでケーキを食べた。半日見て地下三階より上には行けなかった。
 二日目は終日美術館だった。およそ七時間、あっという間だった。誰もが私を通り過ぎた。絵画一枚ずつに掲げられた解説を読むのが楽しく、「見る」というより「読んで」いた。一歩あゆんで立ち止まり、解説を読み、複製された陶板を見た。音声ガイドも借りていたので、近くにソファがあれば座りながら聞いた。
 気ままなひとり旅である。ひたすら自分のペースで、芸術を通して世界や、人々の考えや価値観が移ろいでいくのを追っていった。
 当然足は棒のようになる。天気が良かったので、ホテルから美術館まで歩いていった。皆バスや車で行くのだろう。歩行者を想定していないような車道の端っこに白線だけ引かれた幅の狭い歩道を歩く。千鳥ヶ浜のさざ波の音、潮の香りを受けて、九月の後半だというのに眩しいほどの夏の日差しを感じられた。
 美術館で足も腰もバキバキになり、往復も徒歩であったが疲労というより楽しさが上回った。なぜならホテルには温泉があり、広々とした浴槽に脚をほぐして浸かれるのだ。夜の露天風呂は海面を黒く塗りつぶすばかりだが、火照った体に夜風を浴びせれば、延々と湯船に浸かっていられるようだった。
 風呂を済ませたあとに夕食でアルコールを嗜み、はち切れそうな腹を抱えて部屋では本を読んだり配信動画を見たりした。
 自由気まますぎる。誰にも煩わされることなく、自分の好きなように時間を使っている。どのように過ごすかの決定権はすべて私にあって、その結果を享受するのもぜんぶ私だ。
 今日みたいな特別な日に比べれば、后の位も何だっていうのだろう――そう思えるのが私は好きだ。
 一日中美術館を歩き回って、疲れた体には温泉と美味しい食事、そしてお酒のご褒美をあげる。さらに夜には私的な読書や動画鑑賞。計画を考えるときからわくわくしていた。それが過たず実行されたいま、高揚感は現実を離れて私は私を飛び立つようだった。后の位だって……これぐらいの過言だってかわいいものだ。
 最終日には無事に全部の展示を見終えて、数十年ぶりにブランコに乗った。昼過ぎの庭園は潮風も相まってか焼き付くような日差しが収まり、いくぶん秋口らしく過ごしやすかった。揺られながらトンビが飛び回るさまを見る。
 美術館を出てホテルに戻り、空港まで送迎してもらう。山の稜線と街なみ、雲間から光線が降り注ぐ光景は、びっくりするほど美しかった。昔のひとなら神を見ただろう。神秘的な自然のありさまは、しかし日常の夕暮れである。
 美しいものを美しいと思える。いまやその心の動きすら誇らしかった。特別と普遍は紙一重だ。この光景を見て、「美しい」と思わない者はいないだろう。だが、この日このときのこの美しい光景に気づくことができたのは、ひょっとして世界中で私ひとりだけなのではないかとも考えてしまう。そんなはずないのに。
 それでも后の位すら何だっていうんだと笑い飛ばせるできごとを、こうして胸のなかに積み重ねていくほど、私は私を特別に思って良いのだ。世界でだれも私をそう思わなくても、私だけはそう思っても良いのだ。
 またいつか后の位は何にかはせむごっこをするだろう。それが私の人生にとって必要不可欠な喜びであることを、この三日間で再確認したのだから。

大塚国際美術館
https://o-museum.or.jp/

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