輪投げぼっち

皆で大きな一冊の本を書いていると
異国の先輩詩人が言っていた
それに勇気づけられて書いてきたけれど
たとえば私に忘れられた私の詩も
その本の片隅に載っているのだろうか
一等をとって褒められたことはなくて
輪投げで一等のでっかいぬいぐるみを
とって帰ったら邪魔になるねって
毎日掃除のたびに耳を引っ張られて
首が少し曲がってしまったキリン
悲しいという詩を書いたような気がする
引越しのときにノートもキリンも捨てて
書いた詩はもう思い出せないけれど
キリンに恨まれてはいないと思えるのは
詩を書いたからだろうか
皆で大きな一冊の本を書くのは
何の為なのだろうか
もしかしたら
いつか皆がいなくなる時の
あらかじめの追悼なのか
その本が灰になって
宇宙に散らばって
異星の風にのって
土となることもあるのかもしれない
そこに命が生まれるかもしれない
それは
当たらない輪投げじゃない
私だってキリンを貰えたのだから

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