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月夜の火鉢

真夜中の公園から、香ばしい匂いが漂ってきた。
餅だ! 間違いない。正月によく食べる、白くて四角いあれ。
風も秋めいてきたこの九月に、誰かが餅を焼いている。

俺は匂いに引き寄せられて進んで行った。公園と言っても、安アパートと一軒家がゴチャゴチャと混在する下町の、小さな空き地だ。それでも、数本のケヤキの樹があり、砂場と鉄棒があって、昼間は子供達の遊び場になっている。俺も散歩の途中でいつも通るので、中の様子はよく知っていた。

街灯の薄明かりに照らされた砂場の脇に、うずくまる人影がある。何やら台のようなものを覗き込んでいて、その中で火が燃えているらしい。

「……あ。ゴンちゃん。来たの?」

つぶやいた声と、仄かな火明かりに照らされた長い髪。
なんだ、隣のアパートの住人、咲子さんだ。

時折、表で見かける程度の彼女を俺がなぜ知っているか?
それは彼女が、俺のことを好きらしいから。
ずっと気になってたんだよな。

「ふふっ、美味しそうでしょ。食べたい?」
ちっ、色気より食い気、と俺の顔に書いてあったらしい。
確かに小腹が空いている。

「ちょっと待ってね、熱いから」
咲子さんは、小皿に取った餅にフーフーと息を吹きかけ、頃合いを見て俺に差し出してくれる。
(優しいなぁ……)
俺は感激した。

〝俺、今の家族を捨てて咲子さんと暮らそうかな〟
……と言いたいのだが、餅が上顎にくっついた。
激しく頭を振っていると、咲子さんは笑いながら、俺の顔を両手で挟んだ。

(ああっ、そ、そんなに接近しちゃ恥ずかしいよ〜)

唾が涌き、餅が剥がれてゴックンと飲み込む。
「取れたの?」
咲子さんは俺の口の中に突っ込もうとしていた手を止めて、なあんだ、という顔を引っ込めた。
俺は面目ないのをごまかすため、そっぽをむく。

咲子さんは砂糖と醤油をつけた餅を口に運びながら、空を仰いだ。
「ほら見てゴンちゃん。月が奇麗ね」

しばらくモグモグと口を動かした後、咲子さんはポツリとつぶやいた。
「この火鉢、おばあちゃん家(ち)にあったんだ。お葬式の時、もらってきたの。でも私のアパート狭いから、ずっと押し入れの中に入れてて……忘れてた」

咲子さん、泣いてるのかな。
慰めてあげたくて、俺は咲子さんの腕をなめた。

「ありがと。明日引っ越しなの。ゴンちゃんともお別れね、淋しいわ」
(えっ! そうなの?)

「悪いけど、ゴンちゃんが時々、塀を乗り越えて夜中に遊び歩いてるって、お隣さんに言っとくわ。だって保健所の人に見つかったら連れて行かれちゃうよ」

(そりゃないよ! 俺の密かな楽しみを奪うな!)
俺は抗議の声をあげた。
「ワン!」

- fin -

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