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強制的に流れる毎日の中で

久しぶりに文章を書いてみたくなった。
なぜなんだろう。自分に問いかける。

ここ数ヶ月、仕事中頭が回らなくなり考えることができなくなった。
集中力が続かなくなった。ミスも増える。意欲が湧かない、そんな日々が続いていた。

仕事にならない自分、それなのに給料が発生していることへの罪悪感、
なんとかして欲しい気持ち、このドンつまりの感じの答えが欲しい、
様々な気持ちを抱えて病院へ行った。診断名は適応障害だった。

驚いた。病名を付けられると余計不安になった。適応障害となって仕事が継続できるのか?休職するのか、そのまま継続するのか?子どもたちへの影響は?次から次へと頭をよぎる疑問。

今の会社には去年の夏転職した。採用が仕事だ。前任者は既に退職。並行した引継ぎもなくまさに0からのスタートだった。採用の経験はあっても会社が異なれば当然採用の仕方も異なる。情報が無い中、必死に努力した。毎日子どもの迎えという制限時間付の勤務時間の中、文字通り、必死だった。
出社をすれば8時間労働時間を確保できないので夜勤務をすることで調整した。

秋前から新卒採用が始まり、業務量が圧倒的に増えた。間に合わない、仕事が終わらない。すべてが初めてのことで1つ1つに時間がかかる。
朝、子どもの支度時間の合間にPCを立ち上げ、スケジュールやメールを確認。子どもたちを送り出したあと、間髪入れず仕事に取り掛かる。夕方まで猛烈に仕事をして、ギリギリに迎えに行く。

帰ってきたら夕飯の準備、食べさせる、食べこぼす、「お茶入れて」「フルーツはないのか」「僕が先にお茶を飲みたかった!」から始まる喧嘩をなだめる。食べこぼした床や机を拭く。お風呂を貯め、その間に、皿を下げ片づける。幼稚園と小学校からの手紙を鞄から引っ張り出し読み込む。スケジュールや準備物をGoogleカレンダーに入れ、スケジュール管理を行う。お風呂ができた。3人で狭い湯舟に入る。「ママのお膝に乗りたい」「私も乗りたいからどいて」から始まる喧嘩。疲れた。

お風呂上りの保湿をし身体を拭く。パジャマに着替えた子どもの頭をドライヤーで乾かす。水分補給させる。小学校の宿題を見る。音読・計算カード・漢字ノート丸付けまで。宿題を見ている間に幼稚園の弟が寂しがってかまって欲しくて騒ぐ。なだめる。あと少しだ、と自分に言い聞かせる。ここでもう20:30頃。少し絵本などを一緒に読み、もう歯を磨く時間。2人の子どもの歯を磨き、寝室へ。こんなベルトコンベアに乗せたような、半ば強制的に作業的に子どもたちの相手を毎日繰り返して、母親としていいのか、子どもが可哀想ではいないか、と一瞬の隙間ができると浮かんでくる黒い気持ち。そんなことを考えていると、また喧嘩の声が聞こえ一気に現実に戻される。

子どもが寝たら、そこから仕事を始める。体はクタクタだがPCを開くと脳が一気に活性化するのが分かる。エネルギーがある時はそうなのだ。前向きに進む脳みそがある。

そんな日々を9か月くらいやっていたら、突然プッツリきた。きっかけは明確に覚えている。ある人のある言葉だちだった。人を傷つける、やる気がある気持ちを奈落の底に一気にたたきつける言葉たち。今でも言われた言葉はノートに残っている。聞くに堪えない言葉を聞いている最中、私は手元のノートに誰にも見せられない罵詈雑言を書いていた。無意識だった。

そんな時があり一気に気持ちが落ち、それでも自分なりに頑張って気持ちを上げるようしていたが、もう完全にある日浮遊しなくなった。張りつめていた糸が一気に切れた感じ。もう正直、どうでも良い。

辛い気持ちを吐き出してみた。私なんか軽い方だろう。もっと毎日の暮らしの中で苦しんでいる人が沢山いる。弱音は吐きづらい。

今日はどんな日になるのだろう。

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