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茶の湯とは…

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茶室を造らせて頂き日本の伝統文化の素晴らしさを再認識。茶室がもっと沢山造られる住文化を取り戻したい…数寄屋、茶室のことを設計(施工者)視点で発信していきます。
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2023年2月の記事一覧

茶の湯住宅プロデューサーテキスト

茶の湯住宅を学ぶ茶の湯住宅プロデューサーの講習テキストを作成しています。一応校了したのでサンプルを印刷、お世話になった方にはお持ちしました。本になったものを読んで気になる部分があったのでまた手直ししていきます。 7割できたらとりあえず初めてみて、それからブラッシュアップしていくスタイルです。 目次はこんな感じです。 Chapter1 茶の湯について 茶の湯とは 茶事の流れと 茶の湯にまつわる言葉と道具 千家十職 見立てと好み Chapter 2 茶と建築 茶の湯の歴

茶室の間取り

最も小さな茶室は一畳台目。台目とは普通の畳の3/4の大きさとなる。四畳半より小さな茶室は小間(こま)と呼ばれ4畳半以上は広間と呼ばれる。四畳半は広間と言わずただ四畳半とも呼ばれる。四畳半は小間でもあり広間でもあるという感じだろうか。 板畳(いただたみ) 板畳とは畳に接する同一平面が板張りにされている部分のこと。 茶室において小間などで板畳を組み込むことでスペースに余裕を持たせることができるので用いられる。

小間と広間

昨日は立命館大学経済学部の学生さんと循環型建築、古民家、古材についてのディスカッション、30分ほど質問に答えさせていただきました。茶室の資格について意見を聞くと面白いですねと答えていただきました。やる気になりますね。 今日は茶室の小間(こま)と広間(ひろま)の区分についての説明です。 茶室では四畳半未満を小間(こま)、それ以上を広間(ひろま)という。 千利休が造った妙喜庵 待庵(みょうきあん たいあん)は二畳の大きさである。四畳半については広間ではあるが、四畳半という場

数寄屋と茶室

数寄屋(すきや)とは安土桃山時代にできた茶室のことを一般的に指す。庭園に面した別棟として四畳半以下の小さな茶室を建てたのが始まりであり、芸道に熱心な数寄者(すきしゃ)が趣味として茶道を楽しむために建てた建物。茶室の様式を取り入れた日本建築を総称して現代では数寄屋建築と呼びます。茶道だけでなく文化や、風流を楽しむための数寄屋は「好みにまかせて造った家」という意味になる。 数寄屋が建てられ始めた当時、座敷には床の間、違棚のある床脇、付け書院などの座敷飾り(ざしきかざり)を備えた

ご報告…

この度、日本の伝統文化である茶道の普及のためお茶室、数寄屋住宅を後世に継承していくために一般社団法人茶の湯住宅推進機構(Tea room promoting Organization略称TPO)を設立致しました。 私の茶の湯との出会いは古民家のお客様にお茶を点てて頂いたこと。お茶の頂き方を知りたいと表千家の佐藤先生に弟子入りしました。最初は頂き方だけ覚えれればいいと思ってたのですが、習ってみると、お茶を点てて、もてなしたい…茶の湯の考え方に触れて今では一番の趣味となりました

鎖の間

千利休の弟子で、大名であり、クリスチャンでもあった古田織部が大きな広間の真ん中に炉を切って、一年中釣釜でお茶を点てていたそうだ。広間に集まった家臣達に右手左手と自由自在に本勝手、逆勝手と動かし、たくさんのお茶を練り点てたのだろうか… 自由な発想の茶の湯を作り上げたことに感嘆する。茶の湯は自由… 無論ただ自由なだけではお茶室は造れない、基本を学び、茶の湯の流れを理解してからでないと使いやすいものは造れないと思います。 間取り図は表千家の麟閣より転載

茶道人口の減少の理由とは❓

なぜ茶道人口は減少しているのか…インターネットでの調査が文化庁地域文化創生本部事務局発行の令和2年度 生活文化調査研究事業(茶道)報告書に掲載されていたのでご紹介します。 過去の茶道経験  「これまでに経験したことがない」  66.3% 茶道を経験したことがある人の経験の機会として は、 「茶道教室で経験した」9.5%、 「学校の授業で経験した」8.7%、 「文化団体や地域 のイベント等で経験した」6.6%、 「家族や親族がしていたので経験した」5.7%、 「学校の部活動で

茶の湯人口の減少…

茶道指導者や、学校の部活動での活動を除いた茶道を趣味にされている方は、昭和51年から5年毎に実施されている「社会生活基本調査」によると平成28年で176万人、住宅における和室の減少などもあり、残念ながら衰退していると言える。男女での大きな開きもあり、男性で茶道を趣味とされるかたが増えてほしいと思います。 また、年齢別で見ると70歳以上の方は増えているが他の年代では減少しておりこのままでは衰退していきます… 減少の原因は様々でしょうが、私は機会損失が大きいのではと思う。うち

見立てと好み

見立てとは対照を他のものになぞって表現すること。千利休が桂川の漁師が腰につけていた魚籠(びく)を花入に使ったのは有名な話である。茶室の躙口や下地窓などは農家の質素な住まいを持ち込んだものである。 好みとは茶の湯でよく耳にする言葉で、曖昧だが、その人が愛好したもの、その人の表現の仕方を示すもの、その品物の作者を示すことなどを意味する。必ずしもその人本人の作とは限らず、同時代の別の人間、または後世の人間が作ったものでも用いられる。

千家十職(せんけじっしょく)

千家十職(せんけじっしょく)とは、茶道に関わり三千家に出入りする塗り師や、棚などを製作する指物師(さしものし)など十の職家を表す尊称。千家好みの茶道具を作れる職人は限定されており、行事や年忌における役割もあるため、徐々に職方は固定されていった。代々の家元によってその数が変動していたが、明治期に現在の十職に整理された。 千家十職 茶碗師 樂吉左衛門(らくきちざえもん) 釜師 大西清右衛門(おおにしせいえもん) 塗師 中村宗哲(なかむらそうてつ) 棗の塗り 指物師 駒沢

お点前(てまえ)の道具

茶碗(ちゃわん) 茶碗は古くから「一楽二萩三唐津(いちらくにはぎさんからつ)」という言葉がある。茶碗の扱いやすさなどから好まれる茶碗の産地の格付を表しており、1位が京都の楽焼(らくやき)、2位が山口県萩市の萩焼(はぎやき)、3位が佐賀県唐津市の唐津焼(からつやき)と言われている。高価な茶碗だからいいというわけではなく、亭主が客をもてなすために、お茶を点(た)てやすく、おいしくいただける茶碗を選ぶことが大切とされる。季節によって、茶事などで客の好みなどに合わせて茶碗を選ぶことを