ずっと主役ではいられない~40歳越えて思うこと
なんというかおめでたい考えなのかもしれないけど、子どもの時から、そして今も、自分の人生は自分の夢をかなえるためにあるんだって思ってきた。青春ドラマや歌のセリフを、そのまま真に受けてここまできた。
大学を卒業して、一流の会社に就職できたわけではないけれど、経験を積み資格をとり、女性であっても実力を認めてもらい、やりがいのある仕事をやっていくんだって。
結婚して出産→育児が始まり、100%仕事に没頭できるわけではなくなった。(育児しながらフルタイムでバリバリやっている人もたくさんいるけど)。出張や残業もできない。それでも、育児が終わったら、またガンガン仕事するんだ!って思っていた。ちょっと前までは・・・
今、子供はみんな小学生になり、オムツや抱っこの世話はしなくてよくなったけど、あれ?おかしい? 習い事や、学校行事、宿題の世話などで、全然仕事する時間を確保できない! さらに、親の通院などの世話も増えた。
今になってやっと気がついてきた。もう、仕事や勉強に100%没頭できる日々は永遠にこない。それは若い時の数年だけなのだ。オトナというか中年になった今、いろんな時間をやりくりしながら、やりたい仕事をやっていかなきゃいけないんだ。
そして、若い時に好きなことに没頭できたのは、まわりの人のサポートがあったからなのだと、今さら気づく。
オリンピックで活躍する選手を見ると、本人の努力はもちろん、サポートしてきたまわりの人達にも思いを馳せてしまうのは、歳をとったせいだろうか?
子供の野球遠征、早朝から弁当の準備、車の運転、炎天下の応援、帰ってきてからの泥ユニフォームの手洗い、などしていると、自分もこうやって世話してもらってたんだなと、やっと今になって親の苦労に気づく。(何年かかっているのだ)
女性は結婚すると、戦いのリングから降りて、夫や子供の戦いを応援・サポートする側にまわるのだ、と何かで読んだ。今は男性も同じなのだと思う。
自分がまわりにサポートしてきてもらった分、今度は自分がサポートする番。そしてそうやって応援する人がいるというのは、とても幸せなことだと思う。応援しながら、逆に自分も勇気づけられる、パワーをもらう。
また、今の自分も、夫や親、まわりに支えてもらっているからこそ、好きな仕事ができる。
巷では、「中年クライシス」なんて言葉があるが、「中年」がそんなに悲壮感あふれる、しんどい年代だとは思わない。若い時だけがキラキラ輝かしい時代だとも思わない。
若い時ほど自由な時間や体力はなくなったけど、その時死ぬほど欲しかった仕事のスキルや経験、人脈を今手にしている。家族や友人、先輩後輩など、温かいつながりを持つことができている。
40歳越えても、純粋な気持ちで新しい仕事や趣味に打ち込むこともたくさんある。
責任や、やらなきゃいけないことはたくさんあるし、主役じゃなくてサポートにまわることが多いけど、その分幸せも大きくて、
中年って最高に充実してない?!
と、中年を全肯定してみる!!
いや、もう自分は主役ではなくサポート役でもあるんだよね・・・というモヤモヤを解消すべく、
でもそれができるってことは幸せなことだし、若い時のようにはいかないけど、いろんなものを手に入れた中年って、最高だよね!
と、無理やり今の自分を肯定してみたのでした。
青春ストーリーは映画や小説にあふれているけど、中年以降、どうやって生きてくかってストーリーは少ないように思う。やっぱり中年は脇役なのか? そうでもあるけど、それだけではない。
そんなことを夜中に考えて書いちゃいました。