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保育園お迎え前が、一番憂鬱だった ~子育てしながら、幸せについて考えたこと **#幸せをテーマに書いてみよう

今日は、4歳次男くんの誕生日会。
得意げにふうっと、ろうそくの火を消す次男くん。
兄弟3人で、とりあいしながら食べるケーキ。
お腹がふくれたら、風船と一緒にベッドで飛び跳ねて遊ぶ子供たち。

これ以上の幸せは、ないと思う。

毎晩、そんなふうに思って眠りにつく。

でも、やっぱり、育児や家事でイライラしてしまうことがある。
子供が着替えイヤイヤ、お風呂イヤイヤ!、
ママ、ママー!と3人が泣き叫ぶ、
あっちでお漏らしして、こっちで牛乳こぼして、・・・
あ"ーーーー!!と発狂しそう!
それでも、数年前に比べて、イライラが減って、穏やかになってきた気がする。
子供が成長してきたことが一番大きな理由だろうけど、いろいろ本を読んで、「幸せ」についての考えを意識的に変えてきたからだとも思う。

☆☆☆☆☆

佐々木正美先生の育児書『子どもへのまなざし』
幸せとは何か?についての文章があった。自分の好きなことをするのが幸せではない、幸せとは、人を幸せにすることだ、ということが書いてあり、とても印象的だった。
また、子育てほどすばらしい仕事はない、と繰り返し書かれてあり、家事や仕事も大事だけど、子供に求められたら、家事や仕事の手を止めて、話を聞いたり、一緒に遊んだりすることが、とても大事だ、とのこと。

アンパンマンの作者、やなせたかしの著書
『わたしが正義について語るなら』
では、アンパンマンのテーマソングの歌詞「なんのために生まれて、何をして、生きる? わからないまま終わる そんなのはいやだ」について書かれていた。
私の解釈では、その問いの答えは、アンパンマンが映画などでよく言っているセリフ
「人を助けると、心がポカポカするんだ」
という言葉に集約されると思う。

◇◇◇◇◇

自分の好きなことをするのが幸せ、
自分の好きなものを食べて、
自分の好きな音楽を聞いて、映画を観て、旅行して、
好きな趣味に没頭して・・・
それが幸せなんだと思っていると、
それができるかどうかが、幸せかどうかの基準になってしまうと、

子育てを始めると、その幸せは、ほとんど無くなる。
その基準ではかると、子育て中は自分の時間はほとんど無くなり、「不幸」になってしまう。

だから、自分の自由な時間が無くなるのなら、結婚しないほうがいい、子供を生まないほうがいい、という考えの人も出てくるのだと思う。

自分自身も、子供のせいで、自分の自由なことができないんだ、遊びに行けないんだ、と、どこかで思っていた。それでイライラしていた。
子供は自分を邪魔する敵、
なんなら、夫も、部屋を散らかしてくる敵。
子供から、家族から逃げて、ひとりになりたい!
保育園のお迎え前が、一番憂鬱だった。

でも、最近、ちょっと考えが変わった。

☆☆☆☆☆

アルボムッレ・スマナサーラ
『自分を変える気づきの瞑想法』
では、自分はもちろん、親しい人、自分が嫌いな人、全ての人、生物が幸せになれますように、と唱える瞑想法が載っている。
幸せは、奪いあうものではない。
自分の幸せと、他人の幸せは相反するものではなく、一体のもの、という考え。

その瞑想法を試してみてから、少し、穏やかな気持ちで過ごせるようになった気がする。

「子供は、敵ではない。自分を幸せにしてくれる味方なんだ。」
保育園お迎え前に、自分に言い聞かせるようにしてみる。

毎日忙しいけど、子供と遊ぶことや、夫との時間を、前より楽しめるようになった。
立ち止まって考えてみれば、仕事や家事も大事だけど、もっと大事なのは、家族とのコミュニケーション。
保育園の送り迎えで、他のママ友さんから、声をかけられるようになったのも、その頃。

最近は、
スティーブン・R・コヴィー『7つの習慣』
を読みかけている。その本やアルボムッレ・スマナサーラの本を読んで解釈するには、自分の欲望だけ追いかけても、心が不安定になり、幸せにはなれない。
人の役に立つことをしたり、勉強をしたりすると、心が安定する、ということらしい。

今は、身近な人を幸せにすることで、精一杯だけど、これがもっと発展すると、仕事で社会貢献したい!とかいうことになってくるんだと思う。

その境地には至るには、まだまだ、だけど。

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