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きょうだい児は自覚がない人が多いのではないか

障がい者を兄妹に持つ者を、きょうだい児というらしい。

きょうだい児は、障がい者本人ほどスポットが当たらないものの特有の悩みを抱えやすく生きにくさを感じていることが多い。最近になって少しずつ、「きょうだい児」をいう言葉自体が知られるようになってきた。

かくいう私もきょうだい児だった。今回は家庭環境の話をする。

家族構成は父母兄、私だ。
兄は生まれながらに脳性麻痺を患う身体障害1級の持ち主だった。寝たきりで言葉も話せないし、ごはんも排泄も生活のすべてに介護が必要だった。

子育ての時間はほとんど兄に使われた。生活の中心に兄がいて、兄に合わせて回っていた。年に1度は家族旅行があったけれど、遊園地やらに連れて行ってもらっても両親のどちらかは兄に付き添わないといけないので、基本的には「見ててあげるから1人で遊んで来い」スタイルだった。

そういうわけで私は一人遊びがとても得意になったし、1人行動が平気な人間に育った。

私にとって、兄が生活の中心だったのは当たり前だった。自分が愛されていないと思ったことはあまりないし(あるにはあるけど)、それで自分の人格が変にゆがんだりしたとも思ってない。

明確に羨ましくて嫉妬していたことがあるとしたら、母のことだ。
母は作詞作曲をする人で、兄の詞を書いて歌うことが多かった。兄の詞で色んなところに入賞していたし、色んな所で歌っていた。私について書かれた詞は、私が作ってほしいというまでなかった。
それだけは本当に、母の愛は兄に傾いているのだと思えて羨ましくて仕方なかった。(実際は母より父のほうが兄へ愛が傾いていたし、母は時間を割いて遊んでくれていた)

たぶん一般的な家族に比べたら孤独で寂しい幼少期だったと思うんだけど、兄が生きていた期間の家族との関わり方はほとんどそうだったからあまり自覚がない。
「きょうだい児」を調べてみると特有の心理や悩みが出てきて、心当たりがあるものも多い。きっと少しずつゆっくり長い時間をかけてじわじわと人格に影響を与えていたんだろうな。

兄の存在が疎ましかったこともある。
なんでうちのお兄ちゃんは、とか考えたこともあったと思う。
兄の存在を隠していた期間だってある。

でも出会ったことや兄と過ごした時間の全てが存在しなくてよかったものだとは思わない、兄妹がいてよかったと思ったこともあるんだ。
きょうだい児は本人が隠すことも多いから、きょうだい児の存在を補足するのはなかなか難しいし、こういう話を共有しても伝わる人は少ないだろう。

ただ、私はこの言葉を知って少しだけ救われたし、誰かが少しでも救われた気分になってくれたら嬉しい。

今日はここまで。

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