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できることを制限すると生産性が上がる

研究作業をするために、大阪にきています。
5泊しますが、基本的には閉じこもって作業です。

出先では、ノートパソコンで作業をせざるを得なくなります。操作環境がベストではないし、画面も小さいです。しかし、これが、かえって捗る。

自宅だと、デスクトップ型のパソコンに28型のディスプレイを使っており、言ってみれば、「パソコンでできることは、何でもできる」わけです。それもそのはずで、そうなるように環境を整えたのですから。
複数のアプリケーションを立ち上げても、処理が停滞することはないです。画面が大きいから、同時に立ち上げても「迷子」になりません。

しかし、ぼくの性能というか、CPU的なものは、性能の善し悪しはさておき、「1つしかない」というのは、厳然たる事実なんですよね。
パソコンが、いかに有能であり、マルチタスクに堪えるからといって、ぼくも同じように処理ができるわけではない。

出先のノートパソコンだと、一度に立ち上げるアプリケーションは制限せざるを得ない。まだ新しいから、処理が停滞することはありませんが、画面は半分の15インチぐらいしかないから(いちおう、ノートパソコンのなかでは、大きなものを選んでますけど)、あんまり同時にやろうとしても、ワケが分からなくなる。

SNSを同時に立ち上げたり、SNSの複数のアカウントを交互にログインして、おのれの書き込みへの反応を確かめたり、動画サイトの更新をこまめにチェックして通知を心待ちにすることはない。
ていうか、何をやっているんだ、普段の自分は。ちっとも集中できていないではないか。いや、主観的には集中しているつもりだが、集中できない道具に囲まれているではないか。←これならば妥当な発言になりますね
#集中していないことを認めたくない

そういうわけで、ノートパソコンという「不便な道具」に切り替えることで、同時に出来ることが制限され、外形的というか、外部からの強制力を持って、物理的な制約によって、作業環境を変える(最適化する)ことによって、目前の作業に集中できるようになるのではないか。
ふるい?人間なので、活動拠点としての、性能がよくて画面が大きいパソコンは、自宅には置いておきたいのですが、たまには、こうやって切り出して活動をしてみると、よさげです!!という話です!!