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自分と写真・・・そして父

書家であった父の趣味が写真と登山、日光連山縦走・白根山・切込刈込湖、殆どが日帰りで行ける日光や那須でしたが、小さい頃からあちこち連れて行ってくれ風景を見に行くと言う事に全く違和感なく育ち、父は現像からプリント(白黒のみ)までもやっていたので、父の影響から写真と言うものに対しても小さな頃から興味があった。

日光の紅葉が見頃・・・となると、学校を休んででも連れて行ってくれた、東京であった写真展や美術展等も、学校を休んでまで行った覚えがある。
自分が見たいと思ったものは、必ず連れて行ってくれました。
そんな中で、美しい風景との出逢いもかなりありましたね。
書に関しては殆ど関りが無かった自分ですが、毎日の生活の中で構図に関しては、父の書を見ていて学んだ事も多いと感じています。
そんな習慣が自分の感性向上にかなり役立っていると、亡き両親には昔から感謝しています。

小さい頃は書を習っていたのですが、書き初めや書の事は学校からの期待もあり、個人的にはちょっと遠い目線で、ちょっと覚めた子供だった気がします。
父からは、名前だけでも筆できちんと書ける様に・・・との事を言われ、お陰様で名前だけは筆で書ける様になっています。

父の作品を少々紹介

白旗山勝泉院法専寺の山門額 丸山暁鶴作

これが山門に飾られたのは、何年のことだったか忘れてしまったが、栃木にあるうちの菩提寺で現在父と母も眠っている白旗山勝泉院法専寺の山門額は父の作として、朽ちるまで残るものです。
墓参りに行く度に、父の作品に触れる事が出来るのは感慨深く、これを刻んでいた姿を何度か見ているので懐かしくも思えます。

「荘子撃壌歌」 十八史略より 丸山暁鶴作

2015年1月、父の死後半年後ですが日本書学院展に最後に出品された作品。
お弟子さん方によると、晩年の中でも一番素晴らしい作品とのことでした。

「荘子撃壌歌」 十八史略より
日出而作、(日出(いで)て作(な)し)
日入而息。(日入りて息(いこ)う)
鑿井而飲、(井を鑿(うが)ちて飲み)
耕田而食。(田を耕して食(くら)う)
帝力何有於我哉。(帝力(ていりき)何ぞ我においてあらんや)

そしてこれが遺作となる作品
これは父の死後すぐに「日本の書展」「下野の書展」に遺作として出品されました。

題名 張氏隠居 釈文 山更幽なり 丸山暁鶴 遺作

題名 張氏隠居
釈文 山更幽なり
「隠居して俗世間を離れ好きな書に勤しむ」と言う意味だろうか?

父は最期を悟っていたのか?
亡くなってから、父の凄さを改めて感じました。

*父:丸山暁鶴
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E6%9A%81%E9%B6%B4

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