3カウント〜不揃いな社会を求めて〜
こんにちは。久々に更新します。
数少ない岩沢さん名義のシングル「3カウント」について考えてみようと思います。
この曲は日本中央競馬協会のイメージソングとなっています。
最初はこの曲と競馬が全然繋がりませんでした。
でもこの曲で歌われている不確かな社会の醍醐味というか、数字だけじゃ語れないからこその生きていく面白さみたいなものが、競馬につながっているのかなと。そう考えるとすごくストンと落ちましたね。
—同じように繰り返される人々、日常への不満
該当曲の歌詞からの引用は""で表しています。
期待通りの雨に打たれ 成す術もなく立ちすくんでる
そういつものことさ
この曲には「いつも」という単語が頻繁に出てきますが、いずれの文脈でもあまり日常に対して満足していないように歌っています。すなわちこの曲のテーマとして「日常への不満」「日常からの脱却」が考えられるでしょう。
この主人公は普段から雨に打たれて一人呆けているんでしょうか。「期待通り」なんて言い切ってしまうくらいですから、むしろ雨に打たれることで自分の辛さや不安を洗い流しているのかもしれないですね。
そんな風にして少しずつまた
救いようのない町の中に今日も紛れ込んでゆく
でもこんなことを繰り返しながら、"救いようのない町の中"に溶け込んでいくんです。社会への不満やどうしようもない怒りとか、雨にのせて洗い流してこの町ごと受け入れなきゃいけないのか、と。
どちらかというと諦めのようなものに近いでしょうか。自分が社会に合わせて生きていかなければならないのか。社会を変えるには大きな労力がいりますから。
軽はずみの言葉並べて何が変わるというのだろう??
路地裏のいつもの辺り 星のない空の下で
"軽はずみの言葉"は、先ほどの社会を変えるための言葉でしょう。口だけならなんとでも言える。その通りに行動できる人なんていないのに。言葉を並べただけじゃ、なんにも変わらないんです。
"星のない空"は、ダブルミーニングだと思います。1つは「雨が降っていて星が見えない空」もう1つは「ビルに阻まれて見えない空」いずれも主人公のこの町での生きづらさを暗示していますよね。
主人公は2番でも、人のいない路地裏に逃げこんでしまいます。多くの人がロボットみたいに流れ続ける大通りでは、主人公は息苦しく感じてしまうんでしょう。みんなどうせ、与えられた役目に沿って決められた場所へ向かう。主人公も同じだからこそ、変わりたいと願うからこそ。似たように進む人々、そして同じように進む自分に、嫌気がさしてしまうんじゃないでしょうか。
—逃げてばかりでは何も変わらない
目をつぶったって 三つ数えたって
欲しいものはそこにないけど
現実から目を背けて、時間が過ぎるのをただ待っていたって。
何にも変わらない。
自分の望む生き方はできない。
もちろん主人公はそのことをわかっています。
でも動き出すのは、想像以上に難しくて、逃げ出してしまいたくなるんです。
今のまま生き続けている方が、ずっと簡単ですから。
ここに居るんだって 君が好きなんだって
意味のない事ばかりをいつもやってんだ
今いる環境を変えようとしたり、自分が変わろうとしたり。そんなことをせずとも生きていけるような方法を人々はきっと探し求めています。
主人公も然り。
ちゃんと自分の居場所があって。やるべきことがあって。大事な人もいて。
—— それでいいじゃないか。
考え方を変えて社会が、生活が変わるわけじゃない。"意味のない事"であるけれども、それで生きていけるなら。
ちょっとだけ世界が、この町がよりよく見えてくれないだろうか。
そんな願いのような、ちょっとばかり皮肉のような。
—みんながみんな同じように歩く社会
地下鉄に乗って人は動く それにつられて地球は回る
ちんぷんかんぷんどうかしてる
地下鉄は時刻表に忠実に従い、寸分の狂いもなく駅に着き、人々を乗せて定刻通りに出発します。そうして人々は同じ方向に同じ時間をかけて、同じように進みます。そうして動いていった人々によって、この社会は回されていきます。
人々がみんな同じように動き、同じように社会が回っていくことが、主人公にとっては気持ち悪いんです。
みんな考えてることもバラバラだし。趣味も、好きな食べ物も人それぞれ。
そんな個性溢れた人々が、同じように動いて同じように社会を作っている。
なんてバカバカしいんだろう。
バカバカしくてやってられないから 違う通りに逃げ込んでる
見つからない様に あっち向いてホイ!
みんなが同じ様に歩いてる大通りは、歩くのも息苦しくなる。
そう感じて路地裏に逃げ込んでしまいます。
"あっち向いてホイ"は、指さされた方と同じ方を向いたら負け。指図通りに動くしかできない人生は意味がないものだと、主人公は感じているんでしょう。
でも"見つからない様に"しかできない。啖呵を切って我が道を進むことはできない。
そんな自分への嫌悪感というか。もっと行動に表せればいいのになという葛藤みたいな物が見え隠れしています。
生きてるってこと履き違えて 数字にすり替えてゆくのなら
覚えた事を知ってゆく事を忘れたくもなるんだよ
仕事でいえば売上げ、納期。学校でいえばテストの点数、偏差値。スポーツでいえば順位、タイム。
この世界はみな、数字に一喜一憂し、数字のために生きています。その内側に燃えたぎるものはあっても、表面上に見えるのは、見せることができるのは、数字だけです。
でも実際には、数字じゃ表せないものばかりのはずですよね。
"ここに居る"ことも、"君が好き"なことも、数字なんかじゃ表せません。
数字ばかり気にしてると、生きていくの本当に難しいんですよね。
なのに社会は数字で動いてる。"地下鉄"もそう。
"覚えた事"すなわち知識と、"知ってゆくこと"すなわち経験は、いずれもとても人間らしいことで、数字では表せないものです。
でもこんな数字にしか目が向かない社会では、わざわざ人間らしく生きることを心がけるのは、すごくバカバカしく感じられてしまうんですよね。
そんな社会だからこそ、主人公は歩くだけでも息苦しいんです...。
—答えはいつも自分の中に
目をつぶったって 三つ数えたって 欲しいものはそこにないけど
ここに居るんだって 君が好きなんだって
意味のない事ばかりをいつもやってんだ だけど
主人公はこの社会から何度も目を背け逃げ出したくなります。
でもその度、人間らしく生きるために何が大切なのかに気づくんです。
それは端から見たら"意味のない事ばかり"だけれども。
誰かにどう思われるかなんてきっと関係ないはずなんです。
大事なのは自分をしっかり持つ事。主人公はちゃんとその事を理解しているはずです。
調子外れの日々 どしゃぶりの空 まだすてたもんじゃないだろう
他の誰かじゃきっとわからない それをいつも探してるのさ
主人公は"調子外れの日々"や"どしゃぶりの空"を期待していました。
予定通りにならないこと、どうしようもなく辛いこと、悲しいこと。
そんなことがあって当然なのが社会なんです。ずっと予定調和、快晴の世界なんてのは気持ちが悪い。それこそ"数字"に支配された世界です。
どうにもならないようなことがある。それが人間らしさであり、生きていくことの面白さなんです。
そんなどうしようもない人間らしさ、社会の不確かさの中に何を見出すか。
それは人それぞれです。自分の生き方、考え方なんて"他の誰かじゃきっとわからない"でしょうね。
決まりきった社会の中の不確定要素というか。こんな精密な機械のように回る世界をどう楽しんでいくか。いかに人間らしく生きていけるかどうか。
人はみんな、各々の中にその答えを見出しながら生きていきます。
そうやって今日もまた、目をつぶっては三つ数えるんです。
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