イセザキ〜公園通りと超特急を添えて〜

 本日6/29、ゆずのNEWアルバム「SEES」が発売されました。

 どれもいい曲ばかりなのですが、注目したのは岩沢さん作詞曲の「イセザキ」
伊勢佐木町で路上ライブをしていた頃のことを回顧する曲です。この曲、4年前にリリースされた北川さん作詞曲の「公園通り」を想起させるんですよね。また、2005年の岩沢さん詞曲の「超特急」でも同様に過去の自分を回顧しています。
そこでこれらの曲と対比しながら「イセザキ」の考察をして見たいと思います。

行き場を探すイセザキの人々とゆず


真っ暗な有隣堂 夜はちょいと不気味ね
疲れた顔ばっか 関内駅へと急ぐ

終電も過ぎれば そこはホストだらけさ
行き場をなくした似た者同士の町

モール内には露天商がいくつも軒を連ねて 花売りのハス向かいに座った
誰もが自分の居場所を求め彷徨い続けてた 笑っちゃうな
岩沢厚治詞曲「イセザキ」

 イセザキの町にはいろんな人がいます。ホストに露天商、花売り…。
この人たちはみんな「行き場をなくした似た者同士」で「自分の居場所を求め」ている人たちだと歌っています。特に歌詞に描かれているような夜のイセザキにはその傾向が強いようで、みんな疲れた顔をして彷徨っているようです。

 岩沢さんも例外ではなく、将来の姿を見つけることができず、がむしゃらに走り続けていたのでしょう。「超特急」では以下のように歌っています。

見えないことばかりずいぶん追いかけた なんだかなぁ…
歩き疲れた旅路 ふいに思うのは何? 聞かしてよ さぁ
「帰る道なんてない」
岩沢厚治詞曲「超特急」

 明確な目標があったわけではなくただひたすら走り続けたあの頃。ゴールもなく夢を見て走り続けて疲れてしまいますが、イセザキの人々と同じように居場所なんてなかったから「帰る道なんてない」んです。

イセザキ町にいろいろ忘れてきた そんな気がして足を止めた
行く先々で思い出してしまうんだよ 夜中の景色の イセザキの町を
岩沢厚治詞曲「イセザキ」

 「行く先々」例えば駅前のストリートライブや、夜中のホスト街など、あの頃の自分やイセザキの人々と同じように居場所を探してさまよう人々の姿を見て、ふとあの頃の、ひたむきにがむしゃらに弾き語りをしていた頃のことを思い出してしまうんです。
 すっかり有名になり気軽に路上ライブもできなくなったゆずにとって、あの頃の自分の姿は戻りたくても戻れない過去。「イセザキ町にいろいろ忘れてきた」存在なんでしょう。そしてそれと同時に、どこに行ってもふと当時の自分を思い出してしまうほど、心の奥底で付いて回る影であり、もう一度あの頃に戻りたいと心のどこかで叫び続けている忘れ物なんです。

 昔の自分達への想いについて「公園通り」では以下のように歌っています。

もう二度と戻れない日々を こんなに幸せな今があるのに
交差点の信号が赤に変わる 足を止め振り返れば 昨日が遠ざかる
北川悠仁詞曲「公園通り」

 北川さんも岩沢さんと同様、ふと足を止めあの頃のことを思い出してしまうようです。しかしそれはどんどん遠ざかっていって、もはや戻れないものになっています。今はとても幸せだけれど、二人だけでひたむきに頑張っていたあの頃が、二人にとって何より楽しかった。やり直したいとは思わないけれども、あの頃に戻ってみたいと何度も思うのが二人にとっての共通認識のようです。

どこか遠くに行ってしまったイセザキの人々


靴磨きのおばあちゃん お好み焼きの屋台
花売りの兄さんと姉さん ステーキ屋のマスター

同じ時の中僕たちは居た みんなもうここには居ないや
ってそりゃそうか

野毛のなじみで仲間と一杯引っ掛けてる時に
僕に気づいた紳士がこう言った
『君のことは桜木町で歌ってた頃から知ってるよ』
…そりゃ人違いだ

憧れだけで夢を見れたあの頃 もう戻れない そう思った
あじろの裏の路地でタバコを吸った
さぁウチへ帰ろう 夜が明ける前に
岩沢厚治詞曲「イセザキ」

 イセザキにいた人々。居場所を求め彷徨い続けている人々。その人達と同じ時を過ごしてきた二人ですが、すでに二人の周りにはイセザキの人々はいません。それはもちろんゆずがここまで上り詰めてきたからに他ならないんですが、二人からすれば自分だけ置いてけぼりになったように感じたんでしょう。当時の自分たちはイセザキの人々と同じように「憧れだけで夢を見れた」わけですが、ドームツアーや紅白のトリまで飾って当時の夢を叶えてしまった二人にとっては、「憧れだけで夢を見れたあの頃」には「もう戻れない」遠い場所なんです。

 「公園通り」「超特急」では以下のように歌っています。

ひた向きで いつもがむしゃらで ずっと夢を見ていた
もう一度前に歩き出すよ こんなに幸せな今があるから
交差点の信号が青に変わる 何事もなかったように 明日へまた進む
北川悠仁詞曲「公園通り」
超特急 夢を見たあの日僕らは
終わることないルール それだけで夜が明けてさ
強がって 憧れて そして忘れた
終わりかけの夜を越えて…
岩沢厚治詞曲「超特急」

 昔の二人はただただひたすらに夢を見ていました。二人にとってそれは、華やかな照明に照らされている今の姿よりも、ある意味輝いて見えるのかもしれません。

 あの頃と違って、今は帰る場所、居場所があります。「夜が明け」るまで夢を追うことはもうできません。がむしゃらにもがいていたあの頃の自分を惜しくも思いつつも「ウチへ帰」って、「何事もなかったように」今を生きようとしているんです。

あの頃のイセザキを思い出して


イセザキ町にいろいろ忘れてきた それは紛れもなくあの日の僕だった
行く先々で思い出してしまうんだろう 夜中の景色の イセザキの町を
岩沢厚治詞曲「イセザキ」
なんでだろう わけもなく泣けてくる
あんな風にはもう 笑いあえなくても
北川悠仁詞曲「公園通り」
もう帰れないあの日にサヨナラ
岩沢厚治詞曲 「超特急」

 行く先々であの頃と同じような風景を見かけるたび、またきっと思い出してしまう景色。あの日の僕が見ていたイセザキの景色。そこに佇んでいる「あの日の僕」全部、イセザキにおいてきた忘れ物。

 25年という長い時間を走り抜けてきた今でも、「わけもなく泣けてくる」ほど、夢を見たり笑いあったりした「あの日の僕」に戻りたいと思い続けているんです。それは岩沢さんだけではなく、ゆずの二人としての話と言えるはずです。「あの日の僕」が夢見た姿が今の二人であるように、今の二人が夢見る姿こそが「あの日の僕」なのではないでしょうか。そして「あの日の僕」を思い出すたび、「あの日にサヨナラ」を繰り返して歩いて行くんです。

 「公園通り」や「超特急」と違い「イセザキ」では一人称が「僕ら」ではなく「僕」ですから、ゆずとしての二人の事というよりかは、岩沢さん自身の、ゆずになる前に一人で路上に出ていた頃のことを主に書いていると考えられます。岩沢さんは北川さんと出会う前、一人きりで仲間もいない中で、人々と同じように行き場を探してさまよう日々を送りました。夜のイセザキについて、結成20周年に読売新聞朝刊に載せられた相方へのメッセージの中で

一人より二人の方が面白そうだし、心強いし。夜の街は怖いから。
2017/3/20読売新聞朝刊より

と述べています。ゆずとして北川さんとともにステージ上で輝いている岩沢さんの中では、怖い街で一人で弾き語りをする「あの日の僕」が今でも息づいているのかもしれません。



 いかがだったでしょうが。25周年のこのタイミングでこの曲を出してきたのはもはや策士ですね。完全にやられました笑。路上自体のことを思い出す曲はやっぱり尊いですね…似たような曲を二人して複数出しているあたり、それだけ路上自体が愛おしいってことでしょうね。本当に鳥肌ものの曲ばかりです。

 拙い文章でしたが読んでくださりありがとうございました。

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