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66歳 ウィーンで歌う-いくつになってもできる挑戦がある-

2024年5月30日午前11時55分
僕は正午開演の出番前の緊張を心地よく感じながら、向こう袖からの入場の気配を待っていた。

合唱団約60名は、舞台後方の両袖から入場することになっていた。
舞台から見て、左手からテノール、ソプラノ。右手からバス、アルトが入場する。
僕は、バスの最前列の左手、つまり舞台上のほぼセンター位置なので、右手からは一番最初に入場することになっていた。

ただ、右手側にはステージマネージャーがいないので、左手から出たのを確認して出るように指示されていた。

開演2分前、左手からテノールのMさんの美しい白髪とすっと伸びた背筋に、やや緊張した足どりで歩み来る姿が見えた。この方は、たまたま家が近所で練習の帰りにご一緒したことがあった。商社マンとして長らくドイツに駐在されていて、ウィーンも何度も訪問されたそうだ。そんなMさんでも緊張されているようだった。

僕は後ろをふり返り、行きますよ!と小さく声を掛けた。僕のすぐ後ろには、大阪から直前に参加されたSさんとホテルで同室のベートーヴェン博士Mさんが控えていた。二人に目配せしてからステージへの階段を数歩上がり、舞台上に歩みでた。
そして観客席に視線を移した瞬間、眼前に広がる光景を見て、息を飲んだ。
いままで見たこともないような光景が広がっているではないか!

僕は、ステージに立つことでは別段初心ではない。
サントリーホール、東京文化会館、ミューザ川崎シンフォニーホール、横浜みなとみらいホール、神奈川県民ホール、神奈川県立音楽堂といった名だたるコンサートホールのステージに合唱団の一員としてではあるが、何度も立って歌ってきたのだ。

しかし、しかしである。
金髪、銀髪の異国の人たち、しかも満席の客席を前にするのは初めての経験だった。
しかもここは、今年2月に惜しくも亡くなった小澤征爾さんが、2002年元旦に日本人で初めてウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを指揮した、ウィーン楽友協会の大ホール(黄金の間)なのだ!

自分の立つ位置に歩を進めながら、僅かながら足に震えが来たのを感じていた。
立つ位置を確認して立ち止まり、客席に向きを変えた。
マジか、現実か!まるで外国の音楽映画のシーンではないか!
心が震える!魂が震えるとはこんなことを言うのだろうか!

ウィーン楽友協会黄金の間

合唱団が全員入場したところで、後ろからのタッチの合図で着席した。着席のタイミングは、テノールのMさんが座ったらみんな座ることになっていた。
数秒、間を置いて、コンサートマスター(以下コンマス)が入場してきた。ここで拍手が起きる。
コンマスは、合唱団より先に入場していたオケ側に向って音出しをした。ほぼチューニングを済んでいるはずだと思うが、儀式みたいなものか。各奏者は音出しをしてチューニングを確認した。

コンマスが、着席したタイミングで、僕らが入場した袖側からソリストが、ソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バスの順で入場。コンマスの時よりも大きな拍手が沸き起こる。女性ソリストは、ゲネプロの時とは違い、華やかな衣装で、場がぱーっと明るくなる。
男声ソリストもタキシードで身を包んでカッコいい。とくにテノール氏は、練習の時はちょっと緩い感じがしたが、さすがに違う、やはりプロだ。

前日練習の模様。右からソプラノ、メゾソプラノ、テノールの各ソリスト

ソリストが着席したタイミングで、右袖から指揮者の横島勝人氏が入場。拍手が最高潮になる。指揮者が指揮台に上がり、客席に向かったところで、全員起立。
指揮者が客席全体を見渡しながら軽く会釈をする。

指揮者が僕らに向きなおった。
拍手が止む。オケメンバーとソリストが着席する。
横島氏は、指揮棒を持った手を前で組み、数秒間気持ちを落ち着かせるようにじっと佇む。
そして決然とヨシッとばかりに指揮棒を構える。オケ・メンバーは楽器を構える。合唱メンバーは楽譜を構える。

横島氏のタクトが静かに動く。オケが、ベートーヴェンのミサ・ソレムニス第1曲の「Kyrie(キリエ)」の荘厳な前奏を開始する。17小節目のアウフタクトで合唱団全員でフォルテで歌うKyrieの合唱がホールに響く。もしかしたら僕は、図らずもステージに立った時からの感動で、少し声が震えていたかもしれない。

ウィーンで歌うことを決めた時



今から1年と少し前。2023年5月上旬まで、ウィーンに行く、しかもベートーヴェンの大曲をウィーンで歌うとは、全く考えもしなかったことだった。

ことの発端は、2023年5月21日のこと。
この日は日曜日で、横浜市都筑区で活動をしている都筑オーケストラのコンサートがあった。公演は、自宅から徒歩10数分のところにある都筑公会堂に行われたので聴きに行った。
実は、この市民オーケストラに入れたらいいな、と思っているのだ。その下見の意味もあった。しかも入場料は無料と来ている。

無料だからか、それとも地域に根ざした活動をしているからか、なんと会場は満席。
僕は、開演30分前にはいったのだが、かなりの席が埋まっていた。
そこの入場口でたまたま受け取った1枚のチラシが僕の興味を引いた。
そのチラシは今は手元にないが、確か一緒にウィーンでベートーヴェンのミサ・ソレムニスを歌いませんか?という文が入っていたと記憶する。

そのチラシの発行元はフロイデ・コーア・ヨコハマといい地元都筑区、青葉区を拠点に活動する合唱団で、都筑オーケストラとも親交がある合唱団だった。

そこには、2024年2月3日ミューザ川崎でベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」
5月下旬から6月に掛けて、同じオケとウィーンで同曲を歌う。
そして10月6日にみなとみらいホールでビゼーの「カルメン」を歌うという内容が記されていたのだ。

僕には、30歳で初めて合唱団の一員でベートーヴェンの「第九」を歌ってから、生きている内に次の大曲を歌ってみたいという目標があった。

・ヘンデル「メサイヤ」2001年、2022年実現、2026年予定
・モーツァルト「レクイエム」2002年実現
・J.S.バッハ「マタイ受難曲」2019年実現、2025年秋予定
・ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」2024年実現
・J.S.バッハ「ロ短調ミサ」2025年秋予定
・ブラームス「ドイツレクイエム」2027年予定
※2024年6月現在

ベートーヴェンの肖像画。30代の頃と思う

つまり、チラシを受取った時点では、ベートーヴェンのミサ・ソレムニス(以下ミサソレ)においては、全く未定だったのだ。僕はまずミサソレに反応した。最初は、ウィーンなんて遠い世界の話くらい思ったくらいだ。
しかし、1日2日経つに従い、いや、これはチャンス。むしろこの年でも出来る挑戦と感じ。

早速そのチラシの合唱団にコンタクトを取り、ミサソレの練習参加とウィーン行の希望を伝えていたのだ。またその年の9月に同年代のLCCメンバー、ハーレー君が66歳でUSAのRoute66をHarley-Davidsonで横断するという挑戦に後押しされたのは確かだ。

実は、ウィーンなどで合唱団に参加して歌うという旅行社の企画があるのは以前から知っていた。ベートーヴェンの第九を歌うという企画が多いようだ。ただ、今回は合唱パートでは、第九の何倍も難解なミサソレを歌う。それもウィーン・フィルの本拠地、楽友協会「黄金の間」で日本からのオケと一緒に演奏するという企画に胸が躍った。
このチャンスを逃すともうないかもしれない。いや企画はあるかもしれないが、僕自身が老いてしまっては意味がない。金は掛かっても元気な内に行くべきだと考えたのだ。

チラシをもらって1週間後の5月28日(日)ミューザ川崎シンフォニーホールで、僕が以前から所属する高津市民合唱団によるカール・オルフ「カルミナ・ブラーナ」のコンサートがあり、終演後ラゾーナ川崎のレストランで、妻と妻の友人の3人で食事をした。

その時「俺、来年ウィーンに歌いに行く」と宣言したのだ。妻は「はあ?」妻の友人は「まあ!?」という反応だったが、反対はしなかった。
もっとも妻は僕のやることに反対はしない。常に好きにすればというスタンスだ。
かと言って黙っているのはルールに反する。妻に伝えたことで僕のウィーン行は決まったのだ。

ベートーヴェンは凄い!ミサ・ソレムニス難しい



ミサ・ソレムニスをウィーンで歌うということは決まった。しかし、その前に超えなければいけない難問が2つあった。

・お金の準備。多分現地の滞在費も含め75万から80万円掛かる
・練習開始の11月から川崎公演まで3ヵ月もないし、そこからウィーン公演まで3ヵ月。果たしてこの難曲を歌えるようになるのか?

お金の問題は、それほど大きく問題とは捉えていなかった、というより何とかなると思っていた。実際、なんとかなった。

若い時なら何か高額な費用が掛かる場合は、そのためにお金を貯めるのはありだ。しかし、60代も後半になってくるとそんな悠長なことはいっておられない。なんといってもお金を貯めている内に人生が終わってしまう可能性もあるし、徐々にではあるが、老いに向かっているのだ。お金が貯まった段階で海外に行けるような体力がなければ本末転倒だ。

僕は前々から、60歳を過ぎたら、「次」も「そのうち」も「いつか」もないと思っていて、ちょうど50代後半から運営しているブログ「おじさんは荒野をめざす」の中でも、60歳過ぎたら「明日はない」という考えを展開している。

ただやはり多少プラスがあった方がいいかなとチラシ配りのバイトを約5ヶ月間やったが、ハードだし、途中転倒事故などもあり止めてしまった。
その代わりラッキーだったのは、2018年から続けていた積み立てNISAで、含み益が約80万円ほど出ていたことだ。これを一部買い取って今回の資金に充てた。

むしろ大変だったのは、ミサ・ソレムニスを歌えるようになること。この大曲は、演奏時間70分を超す大曲で同時期に作曲された第九に匹敵するベートーヴェンの傑作中の傑作。

ただその難解さから人気面では低くて、第九を歌ったことがある人でもこの作品を歌ったことがある人は、数%程度ではないかと思う。
実際、第九の合唱の部分は10数分だが、ミサソレは40分から50分もあるのだ。またベートーヴェンは、自分の理想を優先する人だから、歌う人間のことは後回し。練りに練ってコリに凝った楽想のため、歌うパートは難解を極め、バスパートも音域2オクターブも必要になるのだ。

音大の声楽の学生でも難しいそうだが、アルバイトと他の合唱団の練習、ヴァイオリンの発表会も並行してあった僕には、大変だった。でもやりたいことをやっているので辛いとは思わなかったし、なんか音楽学生になった気分でコツコツとこなして行くことができた。

ただやはり案の定、2月の川崎公演は、僕自身は完全に不完全燃焼。
それを糧にウィーンとリンツでの公演では、自分なりに楽しく歌えたと思う。良かった、良かった。

オーストリア・ツアー 写真集


オーストリア・ツアー概要
オーストリア共和国
面積:約8万3900k㎡(北海道よりやや大きいくらい)
人口:約898万人
首都:ウィーン(人口約193万人)
政体:連邦共和制。9つの州からなる。永世中立国。EUに加盟
民族構成:ゲルマン系が主。ほかにハンガリー系、東欧系、ユダヤ系で構成
宗教:カトリック64%、プロテスタント5%、イスラム教など8%
言語:ドイツ語

ウィーン→リンツ→ザルツブルク→ミュンヘンと移動

※時間は全て現地時間
5月27日(月)21:00羽田空港第3ターミナル集合
5月28日(火)0:05エミレーツ航空機にて、羽田→ドバイ→ウィーンへ        
12:55ウィーン着ハイリゲンシュタット観光      
16:00頃ホテル着

ハイリゲンシュタットのベートーヴェン博物館前の通り
博物館内
博物館内の肖像画
ベートーヴェンが使っていたピアノ
ベートーヴェンが使っていた補聴器
ベートーヴェンの葬儀の模様。1827年3月26日に死去。3日後に葬儀が行われ2万人が参列したそうだ。当時のウィーンの人口が約20万人だから10人に1人が参列したことになる。
ホイリゲ酒場。営業していたがツアー中で入れなかった。
売店で買ったベートーヴェンのサイン入りマグカップを買って記念写真
ベートーヴェンの散歩道。彼は毎日4時間散歩しながら曲想を練ったそうだ。田園交響曲はそこから生まれた傑作。
散歩道の休憩所にあるベートーヴェンの胸像

5月29日(水)ウィーン      
~18:00まで自由行動      
18:00より楽友協会へ      
19:00~21:30前日練習

ウィーンのシンボル的建築物、シュテファン寺院
ステファン寺院近くのカフェ「アイーダ」。昼に訪問
カフェアイーダで、ウィンナーコーヒー
国立オペラ座の前で
ウィーンのモーツァルト像
ハプスブルク家が13世紀後半から1918年まで約600年以上にわたって住居としてきた王宮
世界一美しいと言われる国立図書館プルンザール
国立図書館プルンクザールの書架
国立図書館では生誕200年のブルックナーの企画展開催中
夜は楽友協会のガラスの間で前日練習

5月30日(木)ウィーン      
8:00楽友協会へ      
9:00-11:00ゲネプロ      
12:00楽友協会・黄金の間にてベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」本番 
14:15ホテル着、自由時間

楽友協会のポスター。指揮者横島氏の写真で分かりやすい
出番を待つ控室で。左から大阪から参加のSさん、同室のMさん
終演後の模様。撮影禁止だが、メンバーの同行者が終わったからと撮ったようだ

5月31日(金)ウィーン→ザンクト・フローリアン修道院→リンツ      8:30-13:00 ウィーン→ザンクト・フローリアン修道院(152km)      教会を観光し、オルガン演奏を聴いて、前日練習に      
17:00-18:00 ザンクト・フローリアン修道院→リンツ(23km)      リンツのホテルにチェックイン

ザンクト・フローリアン修道院を背景に筆者


礼拝堂の中
礼拝堂のパイプオルガン
パイプオルガン下にあるブルックナーの墓石
パイプオルガン下の地下室に安置されているブルックナーの棺


6月1日(土)8:00ゲネプロで、ザンクト・フローリアン修道院へ      14:00ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」(抜粋)とブルックナー交響曲第7番の本番      
17:00終了後リンツのホテルへ      
18:00打ち上げ

オーケストラのゲネプロ風景
終演後の風景


6月2日(日)9:00リンツからザルツブルクへ     
11:30ザルツブルク着。自由に観光     
16:30ホテルチェックイン

ミラベル宮殿と庭園
丘の上のホーエンザルツブルク城塞
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)の生家
モーツァルト像の前で
ホーエンザルツブルク城塞の上から眺めたザルツブルク市街地

6月3日(月)16:30ザルツブルク→ミュンヘン空港。それまでザルツブルク観光     22:35ミュンヘン→ドバイ→羽田6月4日(火)22:30羽田着→5日(水)0:15自宅着

最後に


2023年度本屋大賞を取った『成瀬は天下を取りにいく』で、主人公の中二女子成瀬あかりが、コロナ禍の中、閉店を控えた西武大津店に毎日通いあることをするシーンがある。なぜ行くのかという友人の問いに「・・・・こんな時期でもできる挑戦がしたかった・・・・」と語るシーンが好きだ。

そして、ああこれなんだな、と自分に納得する。自分には夢とか目標とかってあまりないなぁと思っていたのだ。人生は有限でいつか終わりが来る。夢や目標を持つことはいいことだと思う。しかし人生あと10年か20年かという時期に差し掛かってくると夢や目標を達成するよりも「挑戦」していくという言葉がしっくりくるなと感じるのだ。

長文をお読みいただきありがとうございます。
ツアー中のエピソードなどももっと盛り込みたかったのですが、興味ある方は僕が運営するブログ「クラシック名盤 感想サロン」で、またfacebookでもその模様を記していますのでチェック頂ければ幸いです。

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