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幸せへ導く種だと決めてしまおう。

他人の言葉や、行動に左右せれて自分がなくなるのは苦しい。大事な人であればあるほど、その人の要望は叶えてあげたいし、自分が大切な人の負担にはなるのは辛い。でも、そうして自分がなくなるのは幸せなことなのかな

○他人の存在とは?

私と関わる全ての人が、「私を幸せに導く種だ」と決めてしまうことにした。いい人も、時に不快なことを言う人も。その人々は何かを自分に警告してくれている。大好きで、大切な人ですら 私にとっては耳の痛いことを言うことがある。
「警告だ」
私は今、何か間違った道に進もうとしているのかもしれない。
そう思えば、例え見当違いの発言でもうまく受け取ることができる。

○自分らしさを掘り起こすきっかけ

これこそ自分だ!と思っていることが、思い込みだったりすることがる。そんな心のモヤを振り払って、「本当の君はここにいるよ」と指し示してくれる他人がいたりする。どうしてそんな魔法のようなことができるのだろうと不思議に思うけれど、それは「その言葉を受け取ったのが今の自分だから」である。勝手に他人の言葉を自分にとっての魔法のように受け取っているだけ。魔法をかける力があるのは他人ではなく自分自身なのです。

○おしまい

「こう言うふうにされるのは嫌だ。そうではなくこうして欲しい。」
これが自分の価値観と全く正反対で、どうしても受け入れるのが難しい。
私は
「こう言うふうにしたいし、そうはしたくない。」
全く逆。
これを、相手の言う通りに振る舞うようにするのが正解でないことはわかっている。しかし我を通せば同じ衝突が起こるでしょう。
どうしたものか。 

勘違いしていた。多分これはただの警告。意味のある言葉で示されているから、そちらに意識がいくけれど、これはただの警告だ。ちょうど道端の石ころにつまづいたのと同じ。この先にある、大事故を予見して、先に転ばせてくれたんだと思う。ありがたい。何も考えず「これは警告だ」と思うことにしよう。

生きるヒントになるような記事を書いています。私の考えが誰かの助けになりますように。あなたの努力が実りますように。