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141 お掃除レッスン終了4日目2020.10.21

たまにリズ・ブルボーさんの自伝を読んでいる。
最初のページから順に読むのではなく、気が向いた時に気が向いたページをめくる。

今日めくったページには

私が人を批判するのは、私が自分自身を批判しているからだ、ということに気づけたのはほんの数年前のことに過ぎません。
何かを頭で単に理解することと、それを腑に落とすことのあいだには、途方もない距離があるものです。

という言葉が目に入って来た。
私は最近怒りを飲み込むことをやめて、口に出すようになった。
喧嘩になるような言い方はしないけれど。
例えば、しょっちゅう夫に言ってしまうのが、
食事中はテレビをつけないで、だ。
丁寧に時間をかけて夕飯を作っても、テレビを観ている時点で、料理はただの栄養以上の機能がなくなってしまう。
10分程度で食べ終わるのに、その時間すら惜しいのか。
作った本人ならまだしも、食べるだけの人にそれをやられると、途端に作る気が失せるし、惣菜買って来て並べればよかった、と思ってしまう。

でも目を離すとすぐつける。
深夜に一人で食べる夕食が侘しいのかもしれないけれど。

でもこの光景を、自分のこととして置き換えて考えてみればどうなんだろう、とフッと考えていた。
すると思い出したのが、子どもたちのゲームとカードゲーム。
どちらにも私は全く興味がない。
でも忙しい時間帯に限って、お母さんこれ見て見て!が始まる。
船の名前考えて、とか、無人島で走り回る子どもと動物たちの物語の中で、大雨なのに花火ができる!、とか。
夕飯の鍋見ながら、乾燥機の仕上がりを気にしつつ、明日の準備や宿題やらせるタイミングでイライラしているところに。
子どものためにやっていることを、子ども自身に邪魔されることにイライラ。

これを子ども目線からだと、自分が魚釣って、ものを拾って、換金して、一生懸命時間をかけて作り上げた島で、自分が買い揃えた服を誰かに見せたい!!だけなのにお母さん怒ってる!!である。

夫が料理に集中してくれないことの反映が、子どものゲームに全く興味が持てなくてめんどくさいと思ってしまう。
夫への仕返しを子どもに対してやっているのかな、と腑に落ちた気がする。

そしてその根本にはなぜ女性ばかりがこのような目に遭わなければならない、という怒りもあるんだろうな、と思う。

どちらにしてもこれは私の内側の問題。

今日はマグロのアラを一山買って来て、ニンニクとローリエと米油ヒタヒタで弱火で煮て、自家製のツナを作った。

美味!

さっき友人から離婚問題の愚痴メールが来た。
自分の問題から逃げていると、外側からプレッシャーくるのよね。。。

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