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「自然」という言葉の位置付け

✔︎自然栽培の本質6

自然の反対は?


自然の対極にある言葉はなんでしょうか?

単純に「不自然」でしょうか。

もしも自然栽培の対極はと言われたら?

不自然栽培?

今の世の中たくさんの

自然ナントカがあります。

自然食品・自然療法・自然土木・自然建築
自然保育・自然養鶏・自然放牧・自然美容・自然園芸などなど

その反対に

不自然食品・不自然療法・不自然土木
不自然建築・不自然保育・不自然養鶏
不自然放牧・不自然美容・不自然園芸などなど

このように対極に全部

「不自然」とつけてしまうと?

うーん、なんだか意地悪な感じがしますね。

オフェンシブというか、喧嘩腰というか。

本当に自然の反対は不自然でしょうか?

今回は、この「自然」という言葉

位置付けや取り扱いについて

考えてみたいと思います。

産婆の言葉の選び方

以前、僕はお産について

まだ全然知らなかった頃に

産婆をしている妻に「自然分娩」について

尋ねたことがありました。

彼女はこう言いました。

というか、そもそも「自然分娩」という言葉はお母さんを傷つけることがあるので使わない。

そう、そもそも彼女は

「自然分娩」とは言わないのです。

「自宅出産」「自宅分娩」と

呼んでいることに気が付きました。


僕は仕事柄当たり前のように

自然栽培という世に知れ渡っている名称を

利用することが多いのですが

こう言われた時にドキッとしました。


また、僕が長野県安曇野での

生産者時代に見てきたことですが、

新規就農者や自然農・自然農法を

家庭菜園で栽培する方や

自然栽培に転換したての生産者などが

自分を善とし、一般栽培や有機栽培を悪

もしくは下に見るような姿勢をとってしまい

地域から煙たがられ村八分にされ

いつしか田畑も放棄されるというパターンが

その一言で思い出されました。


その後、彼女はこう続けました。

もし、帝王切開や不妊治療を「不自然」とするならば、そういった体験をしたお母さん方は自分の選択と体験を否定されたと感じる。お母さん自身がお産を振り返る過程でそのように解釈することは「お母さん自身の権利」で、誰もその権利を代理しようとしたり損なってはいけないと思う。すべてのお産が自然であり素晴らしいから。

お産の世界から見ると

「自然」なる言葉を

カジュアルに使いすぎている自分への

良き戒めとなった出来事でした。

それほど自然という言葉の力は

強烈なんだと再認識でき

また、「自然」x「善悪二元論」

危険なほどの大義名分を持ってしまう可能性も

あるとも気付かされました。


現に今まさに世界で起こっている

健康・環境のための監視と支配を進める

異様な政治的な状況も

その一つの例のように思います。


「自然」とはもしかしたら場合によっては

「愛」や「神」に近いような

強い力を備えてしまうものでその取り扱いは

本来はデリケートに扱うべき

なのかもしれません。


振り返ってみれば古来より日本人は

山や海を信仰の対象としてきたんですよね。


二元論から役割論へ

今現在、僕の講座でも

自然栽培という文言を使用しています。

15年前と違い現在では

ある程度の認知が広がっており

イメージ的にわかりやすい、

伝わりやすいからという理由からです。

でももしかしたら

自然栽培の概念の発展とともに

そういった名称も変わっていく必要が

あるのかもしれません。

前述したような、

善悪二元論に陥ってしまうことで

栽培者が実現したいあり方が

不可能になってしまったという安曇野の例も

実際の営農・栽培を進めるための心得として

講座の中ではお話しします。


田畑の外にある人間社会も不自然とせず

それも自然界の一部と考えられたなら

結果は変わっていたかもしれません。


僕が自然栽培を実践してきた中で

見えてきたものは

自然界に自然も不自然もないということ。

「自然の反対も自然」

という世界観でした。

自然に裏表はなく人間の見る角度次第。

そして全ては役割で繋がっている。

そんな観点から栽培や営農に

アプローチしていくのが僕の自然栽培です。

詳しくは僕の講座もありますので

興味のある方はエントリーしてみてください。

現在は新規でオンライン講座のみ

受け付けています。

https://www.instagram.com/p/C2FHxtThuJ8/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MzRlODBiNWFlZA==


おわりに


自然という言葉を扱うときに

善悪二元論的に使用していませんか?

それは諸刃の剣のように

自分に負担になってしまうリスクもあります。


言葉の意味や位置付けは

時代背景によって変わっていきます。

1980年代のバブル期に

自然のことを口にする人は

宗教人や変人のようなレッテルを貼られていた

と言われています。


今では政治的な思惑もあり

自然環境保全を名目に

あり得ないほどの強い力で

一般市民の生活を脅かす可能性の

あるものになってしまいました。

自然という言葉の位置付けが

兵器のようになっていくのを

日本人がどのように考え解釈していくのか

試されているのかもしれません。


ただ、世界的な情勢はどうあれ、

自分達の範囲でできることの中に

「自然」という言葉を少し

大切に扱うこともあるのかなと思います。

長文にお付き合いいただき

ありがとうございました。

映像制作をはじめとした活動費に使わせていただきます。ありがとうございます!