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日記 4日目

どうもkomeiです。
何とか今日も筆を執った。ただキーボードを打ち込んでいるだけなのだが。

日記を書くことになったきっかけとなった友人の日記を読んでいると、日記って何なのかわからなくなった。

昨日の自分の小学生のそれのような文章をよむと、穴があったらどうしようと思ってしまう。(ヤ―レンズが好きなんです)

知り合いの誰もいないフランス語学の授業前に、おにぎりを食べながら眺めていた彼の日記を少し引用してみる。

 どうして世の人は自分や自分の過去を定型みたいなものに当てはめることへの抵抗がないのか、いやあったとしてもなんとか受け容れて生きていけるのだろうか、クソ、分かりやすい商品になってたまるか、と思う反面、どこでも良いから入れてくれ、なんでもするから、と自棄にもなっている。

2024.03.24 | 向井かける (mukaiism.com)

過去にthreadsに「就活に一番大変なのっていつも同じではない自分をいつも同じように押し込めることなのかもしれない」と投げたことがある。

自分は”自分”の統一性ということだが、彼はありきたりな”誰か”に統一されることへの抵抗だろう。
自分ももちろんその抵抗はある(あったと言った方が正確かもしれない)。ただ、自分は誰かに”誰か”に統一されたのではなく、自分で”誰か”に統一されにいってしまったのだ。
そんな自分に彼のようなことを言う資格はないだろう。

ちなみに話は変わらないようで変わりますが、(竹原ピストルが大好きなんです)ソシュールの言語学を学んだ。
そして、『はじめての構造主義』を読み始めた。
構造主義とはなにかはまだわからないが、こういうことなのかもしれないなと思った。


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