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嫌いなりのお祝いを。

今日は数年前に縁を切った父の誕生日だ。

何歳になったのかも知らない。知りたいとも別に思っていない。それくらいに私は父のことが嫌い、というか、拒絶している。

母と父が別れて10年以上が経った。父が家を出て行くまでの2日間を私は一生忘れることはないと思う。たった9歳で、人生でこれ以上泣くことはもう無いだろうというくらいに涙を流した。荷物をまとめる父の姿も、泣く母の姿も、何も分かっていない幼い弟の姿も、嫌っていうくらいに鮮明に覚えている。

そもそも、勉強ばかりをしていた真面目な母と遊び人の父が合うはずがない。母がいつか言っていた。父にされて1番悲しかったことは、父の家族に初めて会った時に私を紹介しなかったことだと。私はこの人にとって一時の人でしかないと思わせられた、と言っていた。それでも結婚をしたのは、私がデキてしまったからだろうと思っている。性格も育った環境も周りにいる人も全く違う2人だから言い合いもよくしていた。その姿を私に見せないように配慮していたみたいだけど、その時の幼い私が耳が傷つくんじゃないかってくらいに指で耳を塞いで必死に聞こえないふりをしていたことを2人は知らないだろう。それがトラウマで今も人の言い合いや喧嘩を聞くのが怖いことも2人はきっと知らない。

別れてから私と弟は母と母の実家で今までのように暮らすことにしたけれど、父とは1か月に1回ぐらいの頻度で弟と3人で会っていた。その時から父に裏切られた気持ちとちょっとした拒絶反応はあったんだと思う。養育費を渡していないし、女の人の影も感じられて、母は1人で頑張っているというのに父は自由になれたことに幸せを感じているように見えていたからだ。それでも会っていたのは、欲しいものを買ってくれて、美味しいもの食べさせてくれて、父方の祖父母からお小遣いをもらえるからだった。それに母は一人っ子で、父方の方にしか従姉妹がいなかったからその従姉妹とはずっと仲が良いままでいたかった。

私が高校生になって、勉強も部活も忙しくなってしまって会う頻度は徐々に少なくなってしまったけれどちゃんと会っていた。縁を切ったのは大学1年生の夏が始まる頃だった。東京の私立大に通っている私が一人暮らしをすることになって母は当時きつかったのだと思う。プライドがあっただろうに、「父にお金の相談をしてみてくれ」と言われた。父に連絡をして、返ってきたのは長文の説教だった。10年近く一緒に暮らしていないのに、たった月1の娘のふりを演じている私しか知らないのに、父親をこれまでちゃんと務めてきたかのように私を否定してきた。小さかった拒絶が、一気に膨れ上がった。すぐに連絡先を消した。今は、父の話をするのも、聞くのも動悸がしてしまうし、いつかどこかですれ違うかもしれないと思うと気持ち悪くてたまらない。そして自分が父に似ていると感じる瞬間は私にとってこの世で1番の苦痛だ。顔も性格も爪の形も。弟は母方の横長の爪の形で私だけがあの家で唯一の長方形の爪。醜いアヒルの子の気持ちになる。

でもどんなに拒絶をしていたって、あの人は私の父親で、あの人の誕生日のちょうど1週間後が私の誕生日なのはこれからも変わらない事実である。私はこの事実を受け入れて、毎年6月11日を過ごしていくしかない。この先もずっと。



誕生日おめでとう。
贈らないけど、黄色いバラをあなたのために買ったよ。皮肉も込めてね。

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