追悼 瀬戸内寂聴
つい先日、本名「瀬戸内晴美」こと瀬戸内寂聴さんが99歳で遷化された。
私が生まれたときには既に「寂聴」さんであった。日本仏教界の中で名前だけは一番よく知っている尼さんだった。
今まで寂聴さんの著作に触れたのは、写経についてのエッセイを学生時代にふと読んだぐらい。
報道で亡くなったことを聞いた時、そうなのかと思った程度だった。
後日あるテレビ番組で寂聴さんが手がけてきた活動について紹介していた。人のために精力的に活動していたことを知って興味を抱いた。
寂聴さんが過去に婦人公論誌に掲載したエッセイや対談をまとめた「笑って生きる」を読んだ。
本当は先の番組内で自分を大切にできるのは自分しかいない。という言葉が紹介されていた。配偶者氏に読んでもらいたい。そう思って買った本だった。
しかし、テレビの内容を抜き出していいかも。なんで思って本を読んだほうがいい。と読んでもない本を渡しただけで人間「はい、そうですか」と読むものではない。
読んでから渡そう。そう思ってページを手繰った。
とても、90を過ぎた人とは思えない。
衝撃という言葉で表せられるものではなかった。
私はお酒も飲むし、肉も食べる破戒僧。そういう寂聴さんがまるで観音様ではないかと錯覚した。
でも、観音様にしては苦労皺が多い。
先の大戦を経験しているだけでない。26歳のときに夫と4歳の娘を捨てて、妻子持ちの男と不倫しながら作家の道を爆進していた。
今の世の中ではトンデモないことをしながらも、彼女は51歳のときに晴美から寂聴になった。
同じ人間とは思えない。読み終えて、その勢いと豪快さ、そしてそのあたたかさに思わず涙してしまった。
自分自身30を過ぎて、このままでいいのか。という人生への漠然とした不安を抱えていた。その不安を人間のあたたかさで包み込まれた気持ちになった。
ララァ・スンはきっと寂聴さんの生まれ変わりなのかもしれない。
それほどに人間の可能性を感じた。
そして、惜しい人を亡くした。
昭和の歴史探偵こと、半藤一利さんも鬼籍に入って久しい。亡くなってから半藤さんの本を読んで、もっと早くに読んでいれば。
寂聴さんの作品にももっと早く触れていれば。そう思わざるを得なかった。
いまさらかもしれない。それでも、瀬戸内寂聴さんから力をいただけたのは、きっと今でも作品の中、そして人々の心の中に寂聴さんが生きているから。
一度会ってみたかったと思うけど、もう何度も会った気がするのは果たして錯覚なのだろうか。
ご冥福をお祈り申し上げます。