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ペットショップで見たクワガタ

今日ペットショップに行った。
犬、魚、鳥など数多くの生き物達を見ていった。
その中で上記の生き物には書いていないが、カブトムシ、クワガタエリアがあった。そして特にクワガタに目を見入る事があった。
なぜならばクワガタのフォルムは美しかったから。
美しいに加えて実際に動いている姿がさらに美しいと思った。クワガタ達を見ていて、感動したのだが、1匹のクワガタが全く動いてなかった。そしてその動いていない姿を見て私は感動しなかった。
なぜならばこの一匹のクワガタが生き生きしていなかった。なぜ生き生きしていなかったのか?と考えた時に私はクワガタはカゴの中に入れられているからだと思った。つまり狭いスペースの中で動ける範囲が制限されていた。
私はカゴの中に入っている制限されたクワガタを見て、このクワガタの生き生きしている姿はどんな物なのか?そして生き生きさせてあげるためにどうするべきなのか?と思った。
この制限され、生きているクワガタの姿を見て何かに似ていると思った。
これは人間の上司が部下の行動を制限するケースと似ていると思った。
上司は部下を都合の良い駒として扱う。例えば上司がめんどくさい事を部下に任せる。そして部下はその回数を何回も何回も繰り返し結果部下は上司というカゴの中に入れられてしまうという事があるのだろう。その結果本来の部下の才能が分からず、加えて部下も上司がいなくちゃ仕事ができない人間になり、部下は自身で上司のカゴの中でしか考えれなくなってしまう。制限の中でしか生きれない人間が量産されてしまう。そういうマネジメントを受けた人間はその下にも同じことをしていく。結果自分本位な人間達が沢山生産されていくような状況になっていく。
クワガタに戻るとクワガタも森の自然な空間で弱肉強食な環境の元で自力で思考し、生きていく。加えて本来自分達の先祖が生きてきた環境をより再現できるような場所で生きていく方が本来のクワガタとして本質的な生き方で間違いないだろう。そこから生き生きした才能が沢山生まれ、自主的な行動が沢山生まれてくる。楽しくなればなるほど発想が浮かぶ。人間も本来自分が生き生きできる楽しくなれる発想が浮かぶ環境に身を置き、自主的な行動をするべきだ。そうする事で人間本来持ち合わせている自主的ない行動が蘇ってくると思う。

以上クワガタから学んだ事でいるが、少し話が繋がっているか分からないかご理解頂けると幸いである。

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