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ラジオといるじかん / あまのさくや

 絵はんこ作家でエッセイストとしても活躍するあまのさくやさんの連載企画「ラジオといるじかん」がスタートします。テーマは、「ラジオ」。中学生の頃から、生活の中に必ずラジオがあるというあまのさん。生粋の東京っ子でありながら、2年ほど前に岩手県の紫波町へと移住し、生活の基盤が変化する中で、仕事を含めさまざまな活動を展開する彼女。生活のそばにあるラジオというメディアにまつわる話から、彼女の生活や感じていることを垣間見ていければと思います。

Vol.1「ラジオが実家」


 私にとって、ラジオは「実家」みたいなものである。少しでも耳が空けば、目当ての番組を聴いてしまう私にとっては、そこにあって当たり前の存在だ。

 特に子どもの頃から家でラジオがかかっていた記憶もなかったが、母も学生時代からラジオ好きで、投稿までしていたことを知るのは、私自身がすっかりラジオリスナーになってからだった。どうやらラジオ好きは遺伝するようだ。家族はみんな宵っ張り体質だったので、あまり「寝ろ」と怒られたこともなく、ときどきはテスト勉強にかこつけてリアルタイムで聴いていた。あの頃から私は、深夜が好きなのだ。

 ラジオを聴き始めたのは小学6年生くらいだっただろうか。当時心酔していたT.M.Revolution西川貴教さんのラジオを聴くべく、ラジカセのアンテナを立ててぐるぐると部屋を歩き回っては、電波を拾った。bayfmは我が家から受信しづらく雑音混じりで、中性的で魅力的な関西弁を必死に探していた。ラジオにはAMとFMがあるなんて当時はよくわかっていなかったけれど、次に始まった西川さんの番組はAM、『オールナイトニッポン』だった。深夜3時だったり1時スタートだったりするこの番組は、さすがに中学生には深すぎて、深夜の番組はカセットに録音しながら聴いていた。

 そんな時代を経て今はradikoの普及により、雑音もなく、リアルタイムでなくとも、1週間以内なら番組をさかのぼって聴くことができる。月額385円の課金をすれば、「ラジコプレミアム」というサービスで日本全国の番組が聴けるようにまでなった。タカノリも革命を起こしていたけれど、radikoはラジオリスナーに確実に革命を起こした。なんて便利な時代なのだろう。

 私は二年前、長年暮らした東京から、岩手県の紫波町というところに移住した。盛岡から車でも電車でも30分程度のベッドタウンであり、ゆるやかな田舎暮らしというよりは、楽しいことがたくさん起きている町で、なかなか飽きないところだな、と気に入って暮らしている。だけど切実に、私はradikoがなかったら移住できていなかったなとしみじみ思う。私にとってラジオは1週間のうちに触れる時間が最も長い娯楽であり、貴重な情報収集の場でもある。ラジオで誰かのおしゃべりから触れる情報はSNSとはまた違った立体感と奥行きと生々しさがあるのだ(ついでに言えばテレビ番組の配信アプリにも大変救われている。東京、少なくとも関東を出たら基本的に地上波で「テレビ東京」って見れないのだ。これ意外と東京人の盲点なのではないか)。

 せっかく移住したのだから、もっとローカルのラジオを聴けばいいじゃないかと言われれば、私もそう思う。だけど長年の愛聴番組を聴くと、妙に安心する。移住して以来、今までの生活ではありえなかった、家を一歩出れば山が見渡せる環境の中で、新しいアパートに入居し、新しい職場を得た私は、すべてが変化に富んでいた。産直で見かける季節の野菜の彩りや、とにかく広い広い空の色の豊かさに一喜一憂して、まるで旅先のように刺激的な日々を送っていた。だけどその中で、なじみのラジオ番組を聴くと、どこかホッとした。
 新しい日々は楽しい。だけど「普段どおり」である場所と繋がっているような感覚は、私の浮ついた足元をそっと着地させてくれるような力があった。

 移住するまで私は、ペーパードライバーだった。岩手に移住して、運転をしないわけにはいかない……という決意と、町ごと教習所のコースのようにゆるやかな雰囲気があるこの地なら私でも運転できるかもしれない、と思い練習することにした。最寄りのスーパーや職場、数十分のドライブができるようになったころ、私は思い切って遠出をすることにした。最寄りの都市、盛岡方面に行くと交通量も増えるし、街中では一方通行もありルールが複雑化するので不安がある。ある時、気になるクラフトフェアが、シーズンオフのスキー場を会場に開かれると知った。夏油 げとう高原という場所を調べてみると、道も単純だし1時間程度で行けると書いてある。思い切ってそこまでドライブしてみることにした。
 往きはよかったのだ。交通量も少ない山道、ただひたすらに一本道を走るだけ。法定速度を守っているくらいの速度で走ったつもりだが、たまにコンビニを見かけては心を落ち着けるために一旦駐停車してみたりするので、到着見込み時刻を1時間ほど過ぎてようやく目的地に到着した。その日はあいにくの雨模様で客足もやや少ないようだったけれど、クラフトフェアは県内のみならず全国からクラフト作家さんが集まっていて盛り上がりを見せていた。一通り会場を見終わった後、そこはスキー場なだけあって、なんと温泉とサウナがあるという。私は嬉々として入りにいき、すっかり整ってしまい、休憩室でご機嫌にうたた寝していたら、あっという間に17時になっていた。

 さすがにそろそろ帰らねばまずいな……と思った頃には、外はとっぷりと暮れていた。その場にいたのはどうやら宿泊客ばかりだったようで、日帰り客がほとんど帰った後の広大すぎる駐車スペースの車は寂しい台数になっていた。やがて雨足が強くなり、ただでさえ真っ暗な山道を、たった一人で降るのか……と思うとゾッとした。駐車場も広大すぎて出口がわからないほどだったが、かろうじて一台、下山する車を発見。帰り道はひたすら一本道なので迷いようがないのだが、「この車に意地でもついていくぞ」という気持ちで私はあわてて出発した。心は落ち着けなければまずい、と私は反射的にradikoを起動し、愛聴番組のTBSラジオ『たまむすび』をタイムフリーで聴くことにした。番組は2時間半あるので長さとしても十分だし、その時の私には何よりも平常心が必要だった。

 なかなかスピードを出している前の車のお尻をひたすら追いかけ、離されたり近づいたりしながら、打ち付ける雨をワイパーで払い、祈るような気持ちでひたすら山道を降る。ここでスリップでもして事故ったとしても、しばらく車が通らなそうだ……という不安と戦いながら。何曜日を聞いていたかは定かではないし、話の内容も全く覚えていない。ただ赤江珠緒さんとパートナーがいつも通り、取るに足らない話をしていて、赤江さんがたまに突拍子もないことを言い出したりして、思わず笑ってしまう。その日常感が、暗い雨の山道を照らしてくれていた。あの時『たまむすび』がなかったら、私は不安で車内で泣いていたと思う。

 そんなふうに、実は何度も私の命を救っていると言っても過言ではない番組『たまむすび』が、2023年3月で終了してしまうというニュースが入ってきた。いつまでも、あると思うな親と金。そんな響きは、ラジオにも当てはまる。永遠にあるとは限らない、そんな性質も含め、ラジオは「実家」と似ているのだ。

 ほぼ「実家」と呼べるほど、私はいつもラジオのそばにいる。このコラムでは、そのじかんに聞こえてきた話や、ラジオについて取りとめもなく思うことを綴っていければと思う。

 なお、この連載が開始する本日からラジオ的にはスペシャルウィークという名の聴取率調査期間で、各局ふだんよりも企画が強化される。
 しかしとりわけ55周年を迎えるニッポン放送の祭りっぷりがぶっちぎりですごすぎて怖い。ラジオリスナーはみんな今週寝る時間がみじんもない予感。

 55時間連続放送は、もう言わずもがな凄まじいラインナップで、未経験である電気グルーヴと、ラジオで声を聴いたことのないタモリさんも非常に楽しみにしているのだけれど、2/16(木)24:00から予定されている「西川貴教のANNX」も流石に聴き逃せない。いま彼に対して「筋肉」「消臭力」「滋賀」のイメージしかない人には、西川さんのラジオを是非聴いてみてほしい。パーソナリティとリスナーとの関係性とネタコーナーと投稿のレベルの高さ、フリートークのうまさといい、西川貴教の『オールナイトニッポン』は、いわゆるAMラジオのお手本のような番組だったなと今でも思う。

文・イラスト:あまのさくや

【著者プロフィール】
あまのさくや

絵はんこ作家、エッセイスト。チェコ親善アンバサダー。カリフォルニア生まれ、東京育ち。現在は岩手県・紫波町に移住。「ZINEづくり部」を発足し、自分にしか作れないものを創作し続ける楽しさを伝えるワークショップも行う。著書に『32歳。いきなり介護がやってきたー時をかける認知症の父と、がんの母と』(佼成出版社)、『チェコに学ぶ「作る」の魔力』(かもがわ出版)ほか。
SNSは、Twitterアカウント(@sakuhanjyo)、Instagram(https://www.instagram.com/sakuhanjyo/)、また、noteで自身のマガジンも展開中。

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