ちいかわ ~その魅力の謎と考察~

ここ最近、何かにハマるという事がほとんど無くなってきている僕がすっかりハマってしまったものがある。
そう、それが、ちいかわ「なんか小さくてかわいいやつ」である。

ちいかわは、なんか小さくてかわいい生き物が友達と遊んだり、美味しい物を食べたり、労働をしたりして暮らす日常を描いた漫画であり、Twitterで無料で見られる。

ちいかわの魅力①とにかく可愛い


まず、キャラクターがむっちゃ可愛い。
丸っこくて大きい頭に潤んだ瞳、小動物の鼻と口もと(特に下唇)。小さな胴体と短い手足。赤らんだほっぺ。
そう、むっちゃ可愛い。
そして、可愛いのは外見だけではないのが重要な所だ。
ちいかわ達はとにかく自分の欲求に素直に生きている。彼らは困ったり怖かったりしたら泣きわめき、嬉しい時や楽しい時は大笑いして踊ったり、美味しいものを本当に美味しそうに食べる。そう、彼らは外見だけでなく「生き方そのもの」が可愛いのだ。その素直な感情や振る舞いがナガノ氏の卓越した画力で繊細に、かつ大胆に描かれている。
動きや表情の描き方はもちろん、コマ割りも素晴らしく、作者独特の切り取り方でちいかわ達の感情をダイレクトに味わう事ができる。

ちいかわの魅力②すぐそこにある闇


ここまで書いた魅力だけでもちいかわは十分に素晴らしい作品になり得る。
キャラクターは可愛いし、ほのぼのとした世界で自由気ままに暮らすちいかわ達はとてつもない癒しである。
しかしながら、作者はそこで終わろうとしていない。そう、この作品には随所に深い闇が見え隠れするのだ。
まず、ちいかわ達が生活の糧を得るために行う労働の過酷さ。なんか小さくてかわいいやつらは、日雇い労働者として、草むしりや工場でのシール貼り、果ては謎の怪物の討伐にまで駆り出される。彼らは決して毎日のほほんとして何もせずに衣食足りるわけではなく、自ら危険を冒して稼ぎに行かなければ暮らしていけないのだ。
そして、彼らの生活圏にはその命を脅かす存在が多く潜んでいる。かなり序盤で登場する危険な存在、キメラである。キメラは数種存在し、露骨に攻撃的な者の他、友好的と見せかけて隙をついて襲ってくる「擬態型」という狡猾な者もいる。やつらは可愛いちいかわ達に対して全く躊躇なく命を奪おうとしてくる。ちいかわ達は微力ながら知恵や勇気を振り絞って襲い来るキメラと戦い、なんとか生き延びていかなければならないのだ。
そういう危険な存在と戦い、傷付きながらも、また立ち上がって自由に生きようとするちいかわ達は余計に可愛く、愛おしい。
「弱い者が虐げられるのを見ると応援したくなって、より一層対象を可愛いと思うようになる。それがちいかわの魅力の秘密だ」と言う考察もあるようだ。
だが、この作品に漂う闇には、どうも冒険活劇のための演出、弱い者いじめの心理、と片付けるには引っ掛かる点 、謎が多い。
作者はこの作品を通して何を伝えようとしているのか?自分なりに考察してみたい。

考察①ちいかわって、何?


なんとなく読んでいるとちいかわ達は「子供」だと思って見てしまう。彼らは嫌な時は「ヤダーッ!」と叫び、泣きわめくし、本当に子供っぽい遊びをして無邪気に楽しんでいる。
また、彼らに労働を提供する鎧さん達が大人っぽく描かれているので、その対比で更にちいかわ達が子供に見えてくる。

ちいかわは、子供の象徴なのだろうか?

ここで忘れてはいけないのは、ちいかわ達は「労働を通して自らの生きる糧を得ている、自立した存在」だと言うことだ。そう、つまり立派な大人である。彼らは親に養ってもらったり身の回りの世話をしてもらうことなく、自ら稼いだカネで食べ物や衣服を買い、自ら家事を行い、それぞれ自分の家を持って一人暮らしをしている。
ちいかわが何を表しているのか?についてのヒントは、作品の冒頭にあると思う。
作者はちいかわを提示して、「こういう風になってくらしたい」と書いている。
つまり、ちいかわは作者自身の投影であり、大人なのだ。
一方で、彼らは「ただの大人」ではない。そこをキメラと鎧さんとの対比によって考察しようと思う。

考察②キメラと鎧さん、そしてちいかわ

先ほど考察したように、ちいかわが大人だとすると、キメラや鎧さんは何なのか?
キメラは作中で「ちいかわ達の成れの果て」であることがほぼ確実となっている。
(ちいかわ達が初めて「おおきい討伐」で戦うキメラは、ちいかわがかつて工場で仲良くしていた同僚であることが示唆されている。)
このキメラについても、作品の冒頭にヒントがあると思う。作者は何回かに渡って「ちいかわみたいになりたい」と言いながら、突然「でかつよ」というキャラクターを提示する。その「なんかでかくて強いやつ」は「何か嫌なこと」があったら「バーンとねじふせて」「生きるため食物をむさぼり」「闘志を燃やすのだ」とある。
ちいかわとでかつよは、どちらも自分の欲求に素直である点では共通しているが、その表現手段=生き方においては鮮やかな対称性を見せている。可愛さでみんなに助けてもらって生きるちいかわに対し、暴力で他者をねじふせて生きるでかつよ。
このでかつよがキメラの原型、キメラがちいかわの成れの果てだと仮定すると、なんとなく見えてくる気がする。
キメラは自分の歪んだ欲求を抑えきれず、暴力や他者に危害を加える事で欲求を満たすようになってしまった大人、つまり犯罪者や異常者、反社会的な人の象徴。それに対してちいかわは純粋な子供のような心を持った大人、ではないだろうか。
そして、鎧さんは、自分の欲求を外に出さないように隠すため、またはこれ以上心が傷付かないよう守るために鎧を身に付けた大人である。

そう考えると、ちいかわ達の日々の過酷さも納得がいく。現代社会において、純粋な子供のような心を持ったまま、大人が暮らしていくのは難しい。だから、大半の大人達はだんだんと鎧を身に付けて本当の自分を隠し、守る事でなんとか生きていくようになる(鎧さん)。その鎧を上手く身に付けられず傷付いた大人、または身に付けたくなかった大人は、一定数が暴力や犯罪に走る(キメラ)。そう、ちいかわのままで生きることは、ものすごく過酷なのだ。
ここまで考えると、冒頭で作者が言っていた「こういう風になってくらしたい」の重みが増してくる。
「こうなりたい」と思うのは「なれない」からなのだ。
だから、僕らはちいかわに自分を投影して、この世には無い癒しを得るのではないだろうか。

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