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アストリット・キルヒヘアへの想い 後編

3日連続でお届けしている、小松成美によるアストリット・キルヒヘアの追悼文、本日が最終回になります。(前回はこちら

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突然の決別

それ以後の波乱に満ちたアストリットの激しい人生を、一言で語ることはできない。

ビートルズと同じ時間を過ごしながら、けれど決して交わることのない人生を過ごすことを決めた彼女は、表舞台から姿を消した。

「もう一度時間を巻き戻したとしても、私はビートルズに頼ったり、彼らとの関係をお金に換えたりすることはできないわ、だって彼らは友達だもの」

 そう、彼女は呟いた。

「イアン・ソフトリーが『バック・ビート』を撮影したいと私の前に現れた。映画が完成すると、今度は日本から、成美がやって来て、私の本を書くという。ジョンもジョージもいなくなってしまったこの世界に、私は長らく生きた、ということね」

 彼女へのインタビューがすべて終了するまでには100時間以上の刻が過ぎていた。(そのすべては、アストリット・キルヒヘア ビートルズが愛した女』で読むことができます。)

 あんなにも取材を拒んだアストリットは、その終盤には、まるで旧知の友人のような表情で私を迎え入れ、全てを話してくれた。

 ただ、インタビューの間に一度だけ、アストリットとの関係が崩壊し、二度と元に戻らない、と思った瞬間があった。その光景を思い出すと、今も足がすくんで胸が苦しくなる。

 取材も後半に入ったある日のこと。

「もう過ぎてしまったことを追い掛けても、繰り返し悔やんでも、仕方がないわ」という彼女に、過去の出来事の詳細こそ執筆には必要なのです、と言って、記憶を今一度手繰って欲しいと頼んだときのことだった。

 いきなり立ち上がったアストリットは険しい表情を私に向け、語気を強めて言葉を吐き出した。

「やはり、文化も言葉も世代も違い、共通点などなにもない私たちに理解し合うなんてことは不可能だったのよ。成美、今回のインタビューはなかったことにしてちょうだい。私は、今日個々を立ち去ったらもうあなたに会うことはないわ。成美も日本に帰りなさい」

 決別を宣言し始めたアストリットを呆然として眺めていた私は、理解も出来ぬまま、「気分を害したのなら謝ります、きっと誤解があったのだと思います」と言って謝った。

 しかし、私が何も言っても、アストリットの決意は変わらなかった。椅子から立ち上がり、ドアに向かって一直線に歩むと、無言のまま振り返らずに部屋を出て行った。

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窮地を救ってくれた人

ドアがバタンと閉まる音を聞きながら立ち尽くした私は、へなへなと床に座り込んだ。しばらく立ち上がることができなかった。

 食事も喉を通らず一睡もせぬまま翌朝を迎えると、アストリットともう一度話すために彼女の家を訪ねよう、と考えていた。

 彼女の自宅を確かめようと、地図を広げていると、ノックの音がした。ホテルマンかハウスキーピングかと思いドアを開けると、そこにはアストリットが立っていた。

手には花束があり、彼女はそれをゆっくりと私に差し出した。

「成美、昨日はごめんなさい。入っていいかしら」
「もちろんですよ」

 花束を受け取った私が右手でドアを大きく開けると、アストリットは部屋に入り、インタビューの定位置であるソファーに座った。

 足を組んだ彼女は、私に会いに来た理由を話し出す。

「私の過去の時間の愚かさや可笑しさは、自分自身でも持て余すほどで、到底他人には説明などできないのよ。成美がどんなに親身になって聞いてくれても、きっと真実なんて伝わらない、と思ってしまって。すると、これまでの取材も意味がないように思えて、きっとこの本の企画ごと、なかったことにした方が良いだろう、と思えたの。帰宅して、シャワーを浴び、ベッドに入って、これでいいのよ、と自分に言い聞かせて、私は眠った。すると、驚くべきことが起きたのよ」

 アストリットは、組んだ足を元に戻し、正面を向いて私に語りかける。

「夢を見たの。そこには若い頃のジョンがいてね、私に言いたいことがある、と言ったのよ」

 アストリットの話しに私は耳を傾けた。
 
「ジョンがね、私に向かって、こういったの。君は変わってしまったのか、と」

 ジョンの言葉はこう続いたそうだ。

「ハンブルグで出会った時、君は、革ジャンにリーゼント姿でリバプールからやって来た僕らに何の偏見も持たず、受け入れてくれたよね、国籍や文化が違うなんて、一度も口にしなかったよ。そして、僕らの夢の実現を誰よりも望み、そのために力を貸してくれたよ。それなのに、遠い東の国から来た若いライターの夢を、君は断ち切るんだね。そんなのアストリットらしくないよ。若いクリエイターに対してあんなに寛容で、誰よりも認めてあげていたのに、成美にたいしてはなぜそうしないの?彼女の望みを叶えることができるのは世界で君一人しかいないんだよ。アストリットは、成美のような若いクリエーターの力になることを、進んで求める人のはずだろ?違うのかい?」

 アストリットは、目覚めてもまた耳の奥で響くジョンの声を聞いていたそうだ。

 私の窮地を救ってくれたのは、アストリットの心に住むジョン・レノンだった。

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「ジョンの言う通りだわ。だから、今日もインタビューを続けましょう。もう二度と、成美の質問を遮ったりしないことを誓うわ」

 夢の中でジョン・レノンに諭されたアストリットは、晴れやかな表情でどんな問いかけにも答えてくれた。

 夕刻まで続いたインタビューが終わり、アストリットが「また明日」と行って帰ると、私はベッドに倒れ込んだ。

 夢のような出来事だが、夢ではない。9歳から大ファンだったジョンに、ありがとうございます、と、心の中で感謝を告げた。

アストリットに教えてもらったこと

 1ヶ月近い取材を終えた私は、最後の取材の最後の時間、アストリットにこう問い掛けていた。

「自分の人生を振り返り、どう感じていますか」

 彼女は丁寧に言葉を選びならが言った。

「もちろん、幸福だったわよ。私の人生にとって重要なことは、人生をサバイバルするためのユーモアを忘れてはいけない、ということ。辛いことは忘却の袋に入れて、幸せな自分をいつまでもショーケースに並べておくことが大事よ。“楽しさ”は長い時間、手放さないこと」

 アストリットはつとめて明るく、チャーミングな笑みを浮かべながら私の右の手の甲にそっと自分の右手を乗せ、こう続けた。

「スチュアートやジョン、ポールやジョージと過ごした日々は今も私の中で鮮明に浮かび上がるの。あなたも年を重ねれば、一瞬一瞬の思い出こそ宝石だと思える日がきっと来るはずよ。でも、後悔はない。本当よ。私には友人がいて、住む家があって、仕事があるわ。そして、新しい友人、成美がいる」

私は自分の本のテーマとなった人に、書き手との関係を超えた愛しさを、抑えられなかった。

1995年にアストリット・キルヒヘア ビートルズが愛した女』を出版した私は、その後二度、改訂版を書き上げた。

今、彼女と知り合って28年の歳月が過ぎようとしている。

天国でスチュワートとジョンとジョージとの再会を果たしているアストリット。

今は亡くなったことを嘆き悲しむより、友人として、彼女の人生を書いた作家として、「良い人生でしたね」とはなむけの言葉を送りたい。

アストリットに会いたくなれば目を瞑る。

ビートルズのアルバムを聴きながら、その歌詞を口ずさみながら。
(おわり)

(※本コンテンツの無断転載を禁じます。著作権は小松成美に帰属します)

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アストリット・キルヒヘアへの想い 前編
アストリット・キルヒヘアへの想い 中編
アストリット・キルヒヘアへの想い 後編

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